2015-01-31

そう思う(そう反応する)ようにプログラムされている論

よく、「今のままでいい」「今の自分でいいんだよ」という声があるが、それが「自我の声」だとすると、今のままでいいわけがない。

それらの都合のいい言葉も「自我の罠」だとして。


こんなことを考えている僕は、自分自身が「(人為的に)作られている声」だと考える。

僕はこう仮定した。


「聞くべき声」:

直感、第一の声、神的な声、自然な声


「聞くべきでない声」:

自我の声、作られた声、人造的・人為的な声、不自然な声


で、まず、自分自身が普段どういう声に従って生きているか?を考える。

で、見えてくるのは、「自分の中の声」も「作られた声」なんじゃないか?ってこと。

普段のリアクションさえも、作られたリアクションをしてるんじゃないのか?ってこと。

僕は小さいときから「いい子」だったんだけれども、たぶんこれが「作られている」ってことだと思う。


まり、いろいろ倫理飛躍するんだけど、僕らの多くの「普段聞いている声」というのが「聞くべきでない声」だとすると、

「僕らが普段聞いている声」というのは「作られた声」である可能性があるよね、ってこと。

自分が「正しい」と思っていることでも、そう思うことが「作られた反応」をしている可能性もあるよね、ってこと。


あなたは普段、あなたが思うことは本当に「あなた」が思ったことなのか。

あなたが思うことは「作られた反応」なのではないのか。


そう思うようにプログラムされている論。

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