よく、「今のままでいい」「今の自分でいいんだよ」という声があるが、それが「自我の声」だとすると、今のままでいいわけがない。
こんなことを考えている僕は、自分自身が「(人為的に)作られている声」だと考える。
僕はこう仮定した。
「聞くべき声」:
「聞くべきでない声」:
で、まず、自分自身が普段どういう声に従って生きているか?を考える。
で、見えてくるのは、「自分の中の声」も「作られた声」なんじゃないか?ってこと。
普段のリアクションさえも、作られたリアクションをしてるんじゃないのか?ってこと。
僕は小さいときから「いい子」だったんだけれども、たぶんこれが「作られている」ってことだと思う。
つまり、いろいろ倫理飛躍するんだけど、僕らの多くの「普段聞いている声」というのが「聞くべきでない声」だとすると、
「僕らが普段聞いている声」というのは「作られた声」である可能性があるよね、ってこと。
自分が「正しい」と思っていることでも、そう思うことが「作られた反応」をしている可能性もあるよね、ってこと。
あなたは普段、あなたが思うことは本当に「あなた」が思ったことなのか。
あなたが思うことは「作られた反応」なのではないのか。
そう思うようにプログラムされている論。