「嘘も方便」という言葉は好きだったけれど、
相手にとって悪くないよう嘘をつき続けることは精神衛生上よくなかった。
最初は、よかった。
嘘をつくことで、話がこじれず円滑に進むことを知った。
嘘により相手を安心させることもできた。
嘘は便利だった。嘘は簡単だった。
そのうち、苦しくなってきた。
嘘をつくことは、衝突を避ける楽な道を選ぶことだったから、
一旦その道を選ぶともう元に戻すことは難しかった。
さらに、一度ついた嘘は、つき通さねばならない。
気がつけば、相手に対して反射的に嘘をつくようになっていた。
相手の喜ぶツボに合わせて嘘をついていた。
嘘は楽だった。けれど、嘘は同時に心苦しさも生み出した。
私は、相手にとって都合のいい人ではなかった。
しかし、一緒にいるためには、相手にとって都合をよくするには、
嘘をつくしかなかった。
「嘘も方便」だと自分に言い聞かせていたが、やはり嘘はよくない。
私は自ら自分の首を締めていった。
あの時、嘘をつかなければ良かったのか?
…否、嘘がなければ、衝突は避けられなかったし、
いずれ別の問題を引き起こしていたに違いない。
相手は特に何も感じていなかっただろう、しかし私は限界だった。
嘘をつくことに疲れてしまった。
嘘の結果、待っていたのは別れだった。
嘘は最後までつき通し、
嘘の関係に別れを告げた。
私は誤っていたのだろうか?
嘘をつく他に道はなかったのだろうか?
…楽な道を選ぶ限りはこうなっていたのだろう。
仕方のないことだった。今はそう思うしかない。