しかしそれは、肯定するということではない
ああ、自分にはそういう側面も居るんだなと思いたいということだ
そこの産みの苦しみがある
新しい自分を認め、産みたいのにそれには軋轢が生じる
私は、すまないという言葉が好きだ
済まないと書く、済まないだ
おれは捉えようによって、そしてそれを発言する時に込める意味によっては非常に多義的で含蓄があり、目の覚める納得を喚起する
一体何が「済まない」のだろうか
自分・相手の気分が終わらないのか、自分自身の未完成さを言うのか、失敗や責任は片付くわけではないという意味なのか
なにはともあれ、「済まない」自分がいて、「済まない」相手がいて、そこに付帯する色々な「済まない」事物がある
それをさらけ出して、認めるという意味が「済まない」という言葉にはある様に思える
それは、自分自身と相手とそこで起こってくる事に対して向き合えている事を表すのだろう