2013-05-28

「済まない」と自己一致について

自分自分を認めてみたい

しかしそれは、肯定するということではない

ああ、自分にはそういう側面も居るんだなと思いたいということだ

しかし、自分を認めることは人との関係においては難しい

他者から圧力は、変容を殊更に要望するから

それはとても大きな課題であり、矛盾であるのだ

そこの産みの苦しみがある

新しい自分を認め、産みたいのにそれには軋轢が生じる

私は、すまないという言葉が好きだ

済まないと書く、済まないだ

いまだに終わらない、完了しない、未完成であるという意味

おれは捉えようによって、そしてそれを発言する時に込める意味によっては非常に多義的で含蓄があり、目の覚める納得を喚起する

一体何が「済まない」のだろうか

自分・相手の気分が終わらないのか、自分自身の未完成さを言うのか、失敗や責任は片付くわけではないという意味なのか

なにはともあれ、「済まない」自分がいて、「済まない」相手がいて、そこに付帯する色々な「済まない」事物がある

それをさらけ出して、認めるという意味が「済まない」という言葉にはある様に思える

それは、自分自身と相手とそこで起こってくる事に対して向き合えている事を表すのだろう

すなわち自己一致であり、あるがままを感じる のである

そこには三原則と森田療法共通点があると考えられる

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