「反対するなら対案を」で個人的にあほだなーと思うパターンがある
放置すると破滅に至る問題Xがあって、Xを解決できる方策Yが提示されてるんだけど、
ある人がYの致命的欠陥を発見して、「Yは確かにXは解決できるけど別の事情で破滅に至るから反対」と言っている
というときに、Yの致命的欠陥の解決策がないくせに「反対するなら対案を。対案Zを出せないならYを実行します」と主張する輩がたまーにいるんだよね
Yをすると確実に破滅に至るとわかっているのに「対案ZがないならY」とか言ってんの
YをするとX解決できても確実に破滅に至るとわかってるんだから、反対者が対案Z出せなくてもY案は破棄して全員で改めて新案Zを考えるべき場面のはずなんだよね。
たとえば、何も対策しなかった場合の破滅する確率が50%で、Yを実行した場合の破滅する確率が0.1%なら、Yを実行する意味はある。 そういうときに「Yを実行したら破滅する!絶対反対!...
こちらの提示したケースは Yの致命的欠陥が発見されて、Yをすると確実に破滅に至るとわかっているのに反対するバカの話で Yに問題Xを放置するのと同等かそれ以上の破滅の危険性...
もしくはXを放置したらn年で破滅するが、 Y案を実行すればm年程度で済むみたいな試算を出し合うとかね。 時間稼ぎしている間に更なる対策Zを考案するなり、Y案の修正をする。 もちろ...
なんで現状維持だと変えた時より悪くなる前提で語ってるの?