「死の恐怖は非日常のものであって、日常的な価値では解消できない」
と思ってる。
意識が消滅することそれ自体が怖いんだったら、そう言える。
しかし、意識が消滅することそれ自体はゼロであってプラスでもマイナスでもないはず。
もしかして、怖いのは、
日常生活の中で、いろいろな価値がありそうに見えるのに、死によってそれが失われること。死によって失われない価値を信じられないこと。
なんじゃないか。
アンパンマン風に言うと「わからないまま終わる」事が怖いんじゃないか。
だとすると、日その価値は日常の延長にあることだってありうるんじゃないか。
いや、そもそも、恐怖感は合理的に計算された危険度とは無関係なので
「ゼロなら怖くない」なんて成り立たない。