そう思わない?
うちの彼氏は、私が彼氏の上にまたがって、彼の太ももに私の塗れたアソコをこすり付けると
ビクビクッてなる。
こすり付けられるのが感じるんだって。
何か珍しい性癖に遭遇した事がある人っている?
ちょっと聞いてみたい。
無駄でないもの、ってのは実際「誰に対しての」アウトプットかがはっきりしてるんだろうね。
例えその「誰か」が自分にあてはまらないとしても「全くの無駄」って言いきれないし。
ほとんどが「無駄」だ、って言われかねないけどね。
なんにもしてねぇのにもてあそばれたとかねぇわー
当初は全く恋愛対象ではなかった異性の友人。タイプじゃないし、その人には彼女がいたし。
なのに、「彼女と別れそう」とか色々と恋愛相談に乗っているうちに、
自分の気持がぐらつき始めたようだ。その時、自覚はなかったけど。
恋愛相談をとおして、デートのようなことを何回かしたり、食事はかなりの回数を一緒にした。
泊まったこともあったが、何もしていない。
だって、友達だから。
その後、彼女とかなりシビアな状況になったその人は、私にアプローチのようなことをしかけてきた。
私は、あくまでも友人として付き合いを続けていた。なぜなら、その人と彼女はまだ続いていたから。
でもって、自分の気持ちに火がついた頃、その人は彼女とヨリを戻した。しかも結婚前提で。
結果としては、もてあそばれたのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100815160522
たしかにいままでの生活を思い返してみると、アウトプットしてばかりだった。
終わった後には、たしかに充実感もあるのだけれど、独特の虚しさも感じる。
それに、うすうす気が付いてはいたけれど、アウトプットしても、実際にはあまり成長はしていなかったんだ。
将来、もっと成長したときには、アウトプットは重要になると思う。
けど、いまはまだその段階じゃない。
最近、机に向かって作業をしていると
無意識のうちに物凄く奥歯を噛み締めてるんだ。
歯を食いしばってる感じ。
作業がおわって、どちらかというと疲れを感じるのは
沢山まわした頭とかパソコンのために動かした手とかじゃなくて、奥歯。
今までは音楽なんてあったら集中できなかったけど、
なんか音楽があると、そんなに奥歯に力入らないような気がするんだ
私は隣の食卓でインターネットをしていた。
そして、イヤホンを付けて、エロアニメ(巨乳の女教師と中学生の男の子が自宅で乳繰り合う)を見ていた。
イヤホンの音を上げても、音量が上がらないので、いつもよりもかなり大き目の音量にした時点で気付いた。
イヤホンを差し込む穴を間違えて、マイクの穴にイヤホンを差し込んでいた・・・。
恥ずかしい!
巨乳女教師が幼い中学生に乳をチュパチュパされーの、激しくパイズリされーの、バックからピストンされーのしているシーンを
私は何食わぬ顔で、音漏れに気付かずに見ていた(汗)
多分、妹はドラマに集中していたから、気付いてないだろうけど、もしも気付かれていたら!
はぁ・・・今度からは深夜にこっそり見よう。
ライフハックの類を読むと必ずといっていいほど「インプットだけでなくアウトプットも」という主張が折り込まれている。アウトプットすればするほど、思考が研磨されてされ視野が広がり物事に対する捉え方が深まっていくのだ、という過激な主張をする人間も中にはいる。とても甘美な考え方だ。今の自分に満足していない人間ほどこの思想に転んでしまうだろう。
しかし、よく考えてみてほしい。果たして「成長」とはそんな単純なものだろうか。「アウトプットすればするほど」は素朴な「経験値主義」に基づいている。「経験値主義」とは何か。ファミコンゲーム『ドラゴンクエスト』の主人公を思い浮かべてほしい。彼は王さまの特命を受け、世の中を悪に染めようとする竜王を倒さんと旅に出る。しかし、旅立つ時点で彼は完璧な「超人」ではない。武器は何も持っておらず、レベルは1。下手をすると城の周りをうろついている最弱モンスターにすら撲殺されてしまう。それを防ぎ、竜王を討伐するために彼はいったい何をするか。モンスターをひたすら倒し、経験値を得てレベルアップを計っていくのだ。ここではどのような戦術を取るか、どうやって鍛えあげるかといった内容は問われない。ただ数をこなしてモンスターを倒すことが成長へのロードマップなのである。このように「超人」になるには「数をこなすだけでいい」という「成長」を極めて単純化した思想を「経験値主義」と呼ぶ。『新書がベスト』の「とにかく新書を読みまくれ」という小飼弾の主張もこの範疇の中に入る。
だが、現実は成長をこのように単純化できない。ただ素振りをしまくるだけではイチローは生まれないし、本を読みまくっただけでは立花隆にはなれない。アウトプットも同様だ。現代の女子高生は毎日何通も携帯メールを用いてアウトプットをしている。しかし、彼女らの国語力が上がったなんて話は出てこない。むしろ、事態は逆の方向に向かっている。彼女らの打つ文面はどんどん奇形化し、普遍性をなくし、当人らでしか読み解けない内容へと進化を続けている。アウトプットの仕方によって人はどんどん劣化していくという一つの事例である。
現在はブログの登場によって容易にアウトプットする場を手に入れることができる。経験値主義者たちもブログでのアウトプットを称揚する。勝間和代がその一人である。彼女のブログ名はずばり『私的な事柄を記録しよう』である。タイトルからして素朴な経験値主義が顔をのぞかせている。日々、インプットをしたものを咀嚼し、ブログという場所に発表することによって考え方が整理され、思考が洗練されていくというものだ。気をつけろ、これは罠だ。考えを文章に落としこむことは整理とイコールではない。「私はこう考えた」と思考を凝り固めることだ。「私はこう書いたんだからこういう考え方でこういう人間である」と視野を狭くし、新たな扉を閉ざしていく。あとからの修正ができなくなってしまう。様々な視点を取り入れ、ごちゃまぜにし、意外な繋がりを持って発展を見せる……それこそが思考の洗練である。アウトプットをしてしまうとそこで思考が停止する。
小飼弾も勝間和代もブログでアウトプットをしたから今の地位があるのではない。彼らの経歴を見ればわかるが、今の豊穣なアウトプットに繋がる下地をせっせと作る時期が存在している。果たして彼らが下地を作っていく時期に、アウトプットにも時間をかけていたら今のような地位を手に入れていただろうか。例えばブログが注目され、そこから書籍を出すような広がりを見せる人たちがいる。しかし、彼らは往々にして長い社会人経験を経たあと、今までのインプットを有機的に結合させ、それをもって視点を提示し、そのユニークさに注目が集まっているのである。アウトプットが斬新な視点を生み出すのではない。むしろ、逆だ。
経験値主義に踊らされ、愚直なまでにアウトプットをしている人間はどこか窮屈で可哀相だ。井戸を枯らしているようにしか見えない。毎日せっせと書評や映画・アニメの感想を書いている、そう、そこのあなた。まずはブログを閉じることから始めよう。あなたは経験値主義に毒されている。アウトプットすればするほど、あなたは自分の井戸を枯らし、ユニークさをなくしている。経験値主義から脱却し、真実の成長を果たそう。
俺が存在を知らない時点で周知が不十分
http://www.google.co.jp/search?q=%83A%83q%83%83%83K%83%93%83_%83%80
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3
http://www.google.co.jp/search?q=%83A%83q%83%83%8E%A9%89%89
http://www.google.co.jp/search?q=%83A%83q%83%83DVD%83%89%83x%83%8B
オレの弟は童貞をこじらせて死んだから、そこまでじゃない。
正直鈍感な奴にはイライラするけど、そうするしかないね。
雰囲気で察してくれる奴もいれば、言葉で言わないとわからない奴、言葉で言ってもわからない奴など様々な奴がいる。自分の意思を伝えたいなら、相手に合わせてこちらも手段を変えないといけない。それができないのならあなたも相手とあまり変わらない。
相当こじらせてるだろうから慰めは禁物、としか言えない
http://anond.hatelabo.jp/20100814234934
そんで、元増田の現在の状況はどうなのさ? 学生なら彼女と同じ公務員試験を受ければいいし、就職が決まってる、もしくは社会人なら、プロポーズすればいいでしょ。「一緒にいたい」ってのが第一希望ならさ。仕事は替えられるけど、彼女はこの世に一人しかいないよ。
「こっちのこと察しろ」でなく、はっきり断ればいいと思うよ。
俺の知人にも、はっきり断らない女がいて、だからキモイやつにいつまでも付きまとわれているのだけれど、見ていてとてもイライラする。
まえは、その女のことを、「おくゆかしい」とか「やさしい」のだと思っていたが、今は違う。
最近、考えを変えた。
ただ単に、アタマが悪い人だと思うようになった。
そんなことないと思うけど