むかついてるところさらにむかつかせてあげる。
なんでお前が公務員にならなかったの?まさか、不正ばかりの公務員にはならないぜ!って潔癖症?だったらむかつくのはおかしいよな。
公務員公務員ってうるさい奴に関していつも思うんだが、なぜこいつらは公務員にならないのだろうと。なぜ公務員になろうとしなかった、あるいはなるために頑張るだけの気力がなかった癖に公務員批判をするんだろうと。
俺の親はどっちも公務員だけど、不景気とか全く関係なくふつーに優雅に暮らしてる。
優雅にって言ってもそりゃそこらへんの金持ちと比べれば質素だろうけど、少なくとも不景気だの派遣切りだのを「世の中は大変なんだなー」って思うくらいしかしない。
男子力とは!
これ即ち仁儀礼忠孝の五つの力である!
何回も裏切るガリみたいな輩すらも笑って許す仁の力!
どんなに拷問されても朋友(ポンヨウ)のために口を割らない義の力!
どんなに金を積まれても筋目を通し組織を裏切らない忠の力!
この手の話は、あれこれ別の要素の話もまざりあってくるので、ひたすら拡散するのみといった気がする。
こういうのって誰しもする失敗じゃないの?
やっぱり自分だって程度の差こそあれ、どこかで同じようにバカなことやって誰かを傷つけてきたはずだし、少なくとも僕はそうだったけど。
ときどき寝る前なんかに思い出して、「なんであんなこと言っちゃった(やっちゃった)んだろう」と
ベッドの上をころげまわってしまう種類の失敗。
少なくとも僕はそういう失敗のあと、いろんなものを引き換えに教訓を得て、同じ失敗はしなくなったと思っています。たぶん。
こういう失敗はある程度の年になった人であれば、ちゃんとどこかで失敗していて、
そういうこと言ったりすると誰かを著しく傷つけてしまうんだということを学んでいてしかるべき、
という認識があるからたたかれるのかなと。
でも高校生(特に男子)ぐらいなら、まだわかってない人もたくさんいるんじゃないかと思ったりします。
書き手の方がいくつかはわからないけれど。
失敗してしまったものはもうしょうがないから、その失敗の反省から何を学んで、
無理かもしれないけど関係を修復しようと努力できるかどうかが問われているんじゃないかと思います。
厳しいことをおっしゃっておられる方は、きっと同じようにいろんな失敗をして、
ころげまわるほど苦い夜を過ごしてきた先輩たちなのではないかと拝察いたします。
(そうでもなかったらごめんなさい)
もういろいろと手遅れな気がして、死にたい死にたいとそればかり考えてしまう。
頭がぼーっとする。だるいなあ。人と話をしているときは無性に眠い。緊張感ゼロ。弛緩しきっている。
今日が人生最後の日だと思ったら、少しは目が覚める気がしたので、そういう意識で毎日過ごしてみることにした。
初日は取り敢えず失敗。
さっき酒を浴びるほど飲んだ。今にもふて寝してしまいそう。
もういいやどうでもと思っているけど、楽観的展望だからこんなに悠長にしていられるんだろうなあ。
とりあえず生きていれば。でもいつまでもそれだけではいけないんだろう。
恐ろしく厨二…げんなり。
イニシャルって表現がよくなかったかな。
実名ではなくuserIDの頭文字が当たってたので、これなら1/26。
実際はuserIDに遣われる文字にも偏りがあるだろうから悪くても1/20ぐらい?
十分びっくりできる数字だと思った。
やりたくないこととやりたいことがセットでやってきて、やりたい気持ちのほうが強かったらやるでしょ。
やりたくないことばかり避けたら、の意味が良くわからない。山登りのためにするバイトが嫌だったら、山登りはバイトをする苦しみよりも弱い願望だったというだけで、避けていたら何もやりたくない人間になるということではない。
というかその方便は、「やりたくないことでもとにかくやれ」と言っているようにしか聞こえないし、そういうことばかりしていると何がしたいか分からなくなり、結果何もやりたくないという一種の強迫観念にさいなまれるようになるんだよ。
いわゆる趣味がないという人間のほとんどはこれだろ。やりたくないという気持ちを克服するのは非常に体力がいることで、そのことばかりやっていると本来自分がやりたいと思っていたことのために温存しといたエネルギーすらなくなってしまうんだよ。それが無気力状態だ。
20代まで彼氏彼女がいない人間って、一生のうちに何回セックスするのかなってふと思った。
だって、したい盛りにしなかったわけでしょ。
でも、暇な学生ならとにかくとして、社会人なら20代30代は働き盛りでしょ。
いいとこ週一。
会えるのが週一、セックスするのは二週に一回ってとこじゃないかな?
恋人がいない場合(大半の喪女&喪)、セックスする機会ってどのくらいある?
ゆきずりとかそうはないでしょ。
男性なら風俗ってのもあるだろうけど、本番まである店にそんなに行けるもの?
いろいろ考えると、年に一回あるかないかじゃない?
なんかさあ、一生独身だった場合、100回しないんじゃないかなぁって思う。
結婚したって、妊娠して出産して赤ん坊世話してとしてたらセックスなんかそうそう出来ないと思うのよね。
40台にもなれば枯れるだろうし。
http://anond.hatelabo.jp/20100621201923
楽しいことややりたい事があれば苦労とも思わない、ってのはほんとなの?
山登りが好きで、時間もお金も必要だけど、仕事してると登山するんで3週間休みますってわけにはいかないんで、結局、短期で実入りのよくない、はっきり言って他人に言ったらバカにされそうな底辺のバイトで、必死で1年お金貯めて、んで、1カ月ほど山行ってくる、って人がいた。
私は子供が笑ってるのが好きだったから、うんこの始末も食べこぼしの始末も、ちっとも嫌じゃなかった。
やりたくないこととやりたいことはセットになってやってくる。やりたくないことを避けたら、やりたいことが出来なくなる。結果、何もやりたくない人間になるしかなくなる。そういう仕組みだと思ってる。
wikisource : 刑法 (日本)
http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#38
法的に問題がなく実際に法によって罰せられなかったとしても、そして原因が自分の中になくても他人からの評価は落ちるし場合によっては冷静でない、あからさまな悪意を向けられたりする。
この法規定自体は論理的に意味がない事をしないという部分で間違っていないんだけど、実際には私刑を下す奴ばかりだし、人間って本当に屑しかいないよね。
それに対抗して、男子力というのを考えてみたい。
だがその内容が、さっぱり思いつかない。
ひとつわかるのは、
オレには男子力がない、ということだけだ。
よくわかんぞ。
髪を盛ればいいのか? トサカ立てるとか?
さっぱりわからん。
ひとつ思いついた。「(根拠のない)自信」
いただいたご意見。基本路線は「男=漢」
仁の力 | 寛容さ? |
---|---|
義の力 | 友情か |
礼の力 | ジェントルマン |
忠の力 | 組織の歯車 |
孝の力 | 介護問題 |
そうだよ。面倒だと感じる、ズルしたりサボったり誰かに押しつけたくなるのは、やりたくないことだから。
やりたいことなら、傍から見れば苦労してるとか面倒くさいことをやってると思われても自分では全然そう感じない。いや、感じるかもしれないけど気にはならない。
この社会では、やりたくないことってのは当然あって、それを避けてはまともに生きていけないということになってるけど、実際避けて通ってる人はたくさんいる。
それは、自分はやりたくないけど誰かがやりたがってるということを他人に任せ、自分は好きなことだけやるという方法。
怠惰とか甘えとか言うかもしれないけど、そもそもそういう言葉は「自分が苦しんでいることを自慢することで苦しみから逃れたい」という歪んだ処世術だから。
見直さない気持ちはわかる気がしますw
めんどくさいんですよ。もう一度状況をバッファにロードするのが。
キャッシュメモリとかほとんど無いんで、問題を解き終わったら情報は既に揮発しています。
いちいち脳内パーサを起動して構造を解釈する作業がまた発生するので、負荷が凄く高いです。
個人的に子供の頃こう教育して欲しかったなあと思うのは、「見直すのが面倒なんだったら他の解法を考えてみろ」という考え方ですね。
結論が食い違えば嫌でも見直したことになります。
国語系(つまり社会人的な見直し)には役に立たないですけどね…。
で、小学生のお子さんに対して今何をしたらいいかですが
自分の経験に即して考えると、何よりまず成功体験を積ませることが必要だと思います。
周りの子供や先生の大多数は馬鹿なので、「空気が読めない」という時点でそれ以外の要素がどんなに優れていても落第者のレッテルを貼ります。
これは増田で日々繰り返される頭の悪いレッテル貼り合戦を見ても明らかです。
そうすると、本当は優れた面があるにも関わらず「自分は落第者なんだ」と自己認識してしまって委縮するようになってしまいます。これは負のフィードバックです。
それを跳ね返すためには、自分のやり方で成功した体験を積むのが手っ取り早いです。
成功への道筋が見えるようになれば、「ひょっとして馬鹿なのは自分じゃなく周りなんじゃないか」と考えることができるようになります。
社会人としてどうしたらいいかについては、まず確かに、高度な空気読みスキルを要求するような職種は困難だと思います。
ところが日本におけるそういった職種(≒総合職)は、一部の優秀な人を除いて単なる「特に何も得意なことが無い人」にすぎないため、国際競争の中で淘汰される傾向にあります。
自分の得意分野を持ってそれを軸に周辺分野に触手を広げていくような専門職の価値は相対的に高まっていて、お子さんのようなタイプは専門職にはむしろ適性があると思います。
従ってお子さんの得意分野を伸ばすことが重要で、またその分野が社会的需要と結びつくように必要に応じて微妙な軌道修正を掛けてあげることが重要です。
結論としては
これが重要だと思います。
うちのような学も調査力もない知的に下流な両親(両親が嫌いなわけではありません)の下に生まれ、全てを自分で発見するしかなかった俺のようなケースに比べれば、お子さんには遥かに可能性があると思います。
あくまで参考までに、頑張って下さい。
少し話しが逸れますが、僕の勉強法はほとんど、「読むだけ」、「見るだけ」だったと思う。
成績はといえば、まあ中の上、大学受験の偏差値で60ちょいくらいだったと思うけど、ノートにまとめるって必要性を感じなかった。
今でもそう思う。
いわゆる教科書というものは、最初からまとまってたように思う。
重要な事柄には詳細な説明があったし、そうでもないところは"それなり"だった。
"それなり"の部分がいらない知識かといえば、前後をつなぐ上で削るわけにはいかないものだった。
教科書という体裁をとるために、事実や公理に至った背景なんかは端折られていたけれど、そこそこ楽しめる物語性があったと思う。
文系科目の教科書はどれも普段の読書の延長で読んでたし、イコール勉強だった。
ノートは演習問題を解くためのものだった。
ノートにまとめるってなんのためなの?
大学だと、二冊(あるいは数冊)の本を読み比べたり、矛盾する二つ実験データや仮説から考えるときに紙にまとめる必要があったけど、高校の勉強ってまとめなくても教科書に最初からまとまってたよね。
そんなに分厚くもなかったし。
最初かつての俺の同類かと思ったら性別が違ったwww
いい話だと思って読んでた分、オチで吹いたw