誰にでも起こる話だと思う。
俺もそうだった。
恋愛にかまけてサボってるというより、創作以外にも楽しいことが
たくさんある今の新しい生活に慣れてないのが原因。
スケジュール管理とモチベーション管理が必要になったってだけ。
これは、趣味じゃなくて仕事として創作をするようになった時と同じ感覚。
一生ものづくりを続けたいなら、早めに慣れておくといいよ。
好きになるきっかけが作品だったとしても、付き合ってる今は、
もっと素のあなたが好きなはずだから。
お前はそうやってご満悦してればいいだろうよ。
自分には、人に大切にされるための何かが欠けているらしい。
今に始まったことではなく、子供のころからだから、生まれつき欠けているのだと思う。
自分の言動には自分で責任を取れと育てられた。妹の言動は姉の責任だとも言われた。
妹とケンカをすれば、どちらが原因であれ私が怒られた。
親の扱いがいちいち違うのも、相手が妹だから仕方がないんだと自分に言い聞かせた。
きつかったのは、高校のときのコートかなぁ。あの紺色のやつ。
中学では買ってもらえなくて、高校でもねだった結果、いとこ(150cm)のお下がり。
160cm超の自分。袖も丈もつんつるてん。袖口や裾がすりきれ、色もあせてスレートブルー。
でも、ないよりはあったほうがいい。自分なりに大切に着た。
次の年に中学に上がった妹(150cm)は、あったかいダッフルコートを買ってもらってた。
人手がいるときだけ呼ばれ、飲み会や食事会は呼びたいときだけ呼ばれ、
問題があれば解決のために呼ばれた。骨を折っても「ありがとー」でおしまい。
新規事業で上司が逃げて自分が矢面に立たされ、精神を壊して使えなくなったらお払い箱。
別部署で復帰したときには、自分が1人でやっていたその仕事を3人がかりでやっていた。
そのあとはまさに坂道を転がり落ちた。減給、異動、なんでもあり。
人手が足りないところに火消しで入れられるため、職場や仕事内容がころころ変わる。
異動の直後は「前の職場での働きはわからないから」と昇給もほとんどない。
同期平均と比べて基本給ベースで月10万円の差がつくってどうなのよ。
男女のお付き合いにしても、うまくいかなかった。
最初はそこそこうまくいくし、甘くもなるんだけど、後が続かない。
相手の要求がのめなくなると言葉で攻撃されたりとか、力で言うことを聞かされたりとか、
束縛が異様にきつくなったり、いわば相手の「もの」にされてしまう。
「だめんずうぉーかー」なのかもしれないけど。
昔付き合っていた人に再会し、離婚したあと一人で食べるごはんは寂しいというので、
月に1、2回食事をしていたら、ある日突然弁護士が来て慰謝料を請求された。
別居中で離婚協議中だから不貞なんだってさ。友達とワリカンでごはんの何がいけないんだ。
自分に欠けたところがあるというなら、補いたい。なおしたい。
でも、何が欠けているのかがわからない。
親から結婚しろとせっつかれているけれど、今の自分が相手を幸せにできると思えない。
ましてや子供ができたら絶対不幸にする。
できるなら今すぐ全部投げ出して逃げてしまいたい。そんな度胸もないけれど。
人を何だと思っているんだろう
例え、そういう傾向が実際にあったとしても、その傾向を明るみにする事によって誰に何の得が有るの?
もうさんざんヒント出まくってんだろ。
社会性を身につけろ。人間性を磨け。コミュ力高めろ。人付き合いを嫌がるな。
おまえにはこれがすべて口撃にしか聞こえなかったんだろうけどな。
いちいち反論するやつに優しいアドバイスなんて返ってこねーよ。
うちの父さんは友達全然いないのに結婚できたよ。
そして両親は離婚(父有責)。
マナー本・作法本は数多くあるけど、その多くは女性に向けて書かれたもので、男性向けのものは少ない。
そして、男性向けに書かれた本の大半はビジネスマナーを学ぶためのもので、たまに女性にモテるためのマナー本があるくらい。
なんだかんだいって「男性の活動の中心は仕事」という意識が強いから、
男性にとって日常生活でのマナーはさほど必要でないとみなされているのかもしれない。
……そういえば、駅や道端につばや痰を吐くのってもっぱら男性だしなあ。
まあ、人前で堂々とつばや痰を吐く人は男性の中でもかなり無作法な最低人間で、普通の男性はそんなことしないのかもしれないけど。
直接マナーを学ばなくても、茶道などの稽古事で間接的にマナーを学ぶことも多い。
そして、なんとなく、世間には「女性はマナーを身につけて、お淑やかにしているべきである」という風潮があるような気がする。
そりゃ話がすり変わってるよ。
そもそも明るみがどうとか言うけど、変な論をかざしてきたのはここにいる恋愛出来ない側が元なんだし、
それにこの恋愛出来ない人は、全体から見れば極小数だけ居る社会性が高い人を見て
阿久根市関係のニュースが昨日の新聞に載ってたので、ちょっと書いてみる。
市長の障害者切り捨て容認発言は、はてなでも取り上げられて大炎上を起こした。もちろん常識的に頭で考えればとうてい容認できるような内容ではなく、私も何言ってんだこいつは、と思ったんだけれど、そんな市長が強く支持されているのには感情的な理由があると思う。
それは、阿久根市が鹿児島県内でも切り捨てられていると住民が感じても仕方がないような状況だから。
それを象徴するような出来事のひとつに、九州新幹線の開業がある。地図を見てもらえればわかるように、旧鹿児島本線は南から
の順番で並んでいる。過疎化が進んでいるとはいえ、それでも限界集落だらけの県内では都市部であり、かつては博多からの特急つばめも停車している駅だった。
しかし、九州新幹線の開業によって状況は一変した。阿久根市には新幹線が通らず、川内から出水に直行するコースをとった上に、採算のとれない川内以北は肥薩おれんじ鉄道として分離されてしまった。新幹線の通った鹿児島市には篤姫効果も重なって観光客が大きく増え、川内や出水にも鹿児島市に対する一種のベッドタウンという役割が生まれた。一方、収益のとれる路線はJR九州に残され鹿児島市が出資していないこともあり、阿久根市民に与えられたのは膨大な財政負担と割高な料金、快速しか止まらない不便な駅だけ。
開業前からこのようなデメリットを指摘する声も無くはなかったものの、建設を推進する鹿児島県・市の大きな声にかき消されて県内マスコミなどでも大きく取り上げられることはなかった。ほとんど黙殺されていたといっても過言ではない。
過疎化で、経済的には負担だからということで切り捨てられている、と感じている人たちが、自分で働いて稼ぐことのできない障害者は切り捨てられても仕方がないという意見に同調してしまうのは何も不思議な話ではないと思う。
知り合いと連絡を取ろうと思わない。連絡を取らないから連絡が来ることも無くなる。
それでも不思議とあせらない。そんなこんなで32年。孤独な人生まっしぐらなようです。
なんで連絡をとろうとしないのだろう。
病気なんだろうか。
悪評が響き渡って、
さんざんなじられ、
いまだに現実にまでしつこく監視は続いている。
そのうち、本気で外に出るのが嫌になる。
女の噂話の中でどれだけの中傷がされているのか想像もつかない。
男も性格が悪いやつはしてるだろう。
これからも燃料は投下される。
俺はhttp://anond.hatelabo.jp/20100312024331を書いた増田だけど、そういう意図で書いたわけじゃない。
「恋愛できなくても人間的に魅力のある人はいるし、支持されている人はいる。」とも書けたけど、たまたま言いまわしがそうなっただけ。
おれは傾向について語ってんだよ。例外があって当然。
例外な人ももちろんいるし、今、恋愛できない人でも将来はできるかもしれないのに、できない人の社会性、人間性が低いとし、自尊心を奪うのは良くないと思う。
例え、そういう傾向が実際にあったとしても、その傾向を明るみにする事によって誰に何の得が有るの?
摂食障害の人も、小学生を模した出演者によるセックス映像を所持しているひとも病気である。
なぜなら、社会がそう決めたからである。
「病気」の定義は何かといえば、「日常生活がまともに送れなくなった状態」というのと、もうひとつあると思う。
世間で言う「正常」の反対である。
「正常」から外れれば、すべてそれは「病気」ということになっている。
病気で何が悪いのだろうか。そうでない人から差別されるだけではないのか。
なぜ差別されるのだろうか?それは、気持ち悪いからだろう。だけどその気持ち悪さを判断しているのはと誰かといえば、差別をする人たちだろう。差別をする人たちは、差別をする対象が自分の内にも少しあることを自覚していて、自分の中のそれに目をつぶるために生理的嫌悪感を抱くのだ。
だから、「本当に」その人が気持ち悪いわけではない。差別をする人たちにとって、その人が気持ち悪いだけだ。勝手に言わせておけばよい。そんな人にモテても困る、だってきっとわかりあえないからつまらない。そういう人とは棲み分けをして、遠いところから見守ってもらえればそれでいい。
誰だって嫌われるのはいやだ。だけど私はロリコン以外の側面も持っている。その面を肯定的に見てくれている人は周りにいる。それでいいと思う。
「ロリコンは病気じゃない!!」と主張したって誰も受け入れてくれない。病気とは、見なされることによって生起が完了するものである。病気かどうかを判断するのは、自分ではなく常に自分以外の者であり、判断されると同時にそれは「病気」に「なる」のだ。
もともと、そこに病気があるわけではない。病気でない人が、病気と判断するから病気が生まれるのだ。
それなら、「「病気」ですがなにか?」と開き直ってみたらどうなんだろう。
…一度やってみたいと思っているのだが、どうだろうか。