摂食障害の人も、小学生を模した出演者によるセックス映像を所持しているひとも病気である。
なぜなら、社会がそう決めたからである。
「病気」の定義は何かといえば、「日常生活がまともに送れなくなった状態」というのと、もうひとつあると思う。
世間で言う「正常」の反対である。
「正常」から外れれば、すべてそれは「病気」ということになっている。
病気で何が悪いのだろうか。そうでない人から差別されるだけではないのか。
なぜ差別されるのだろうか?それは、気持ち悪いからだろう。だけどその気持ち悪さを判断しているのはと誰かといえば、差別をする人たちだろう。差別をする人たちは、差別をする対象が自分の内にも少しあることを自覚していて、自分の中のそれに目をつぶるために生理的嫌悪感を抱くのだ。
だから、「本当に」その人が気持ち悪いわけではない。差別をする人たちにとって、その人が気持ち悪いだけだ。勝手に言わせておけばよい。そんな人にモテても困る、だってきっとわかりあえないからつまらない。そういう人とは棲み分けをして、遠いところから見守ってもらえればそれでいい。
誰だって嫌われるのはいやだ。だけど私はロリコン以外の側面も持っている。その面を肯定的に見てくれている人は周りにいる。それでいいと思う。
「ロリコンは病気じゃない!!」と主張したって誰も受け入れてくれない。病気とは、見なされることによって生起が完了するものである。病気かどうかを判断するのは、自分ではなく常に自分以外の者であり、判断されると同時にそれは「病気」に「なる」のだ。
もともと、そこに病気があるわけではない。病気でない人が、病気と判断するから病気が生まれるのだ。
それなら、「「病気」ですがなにか?」と開き直ってみたらどうなんだろう。
…一度やってみたいと思っているのだが、どうだろうか。
もともと、そこに病気があるわけではない。病気でない人が、病気と判断するから病気が生まれるのだ。 それなら、「「病気」ですがなにか?」と開き直ってみたらどうなんだろう。 ...