1500万はいくらなんでも高すぎないか。
時給1万円の医師を拘束したとして、1人の患者に1500人/時間ものリソースが必要か?
機器利用料金としても1500万なら医療機器が一台買えてしまうと思うのだが、
ICUってのは1人の患者に使ったらそれで寿命が尽きるものなのか?
いったい何にそんなに金がかかるのか。
やあ元増田だよ。
とかだとどうだい?てか元々書いてたワードと違うよな。ごめんな。
例えばこれ:
http://www.aiuhoken.co.jp/topics/index.html
くも膜下出血で約1ヶ月入院。治療費だけで約3,060万円。移動費など諸費用入れると約3,370万円。
ソースいったん散逸して調べなおしてるので、2000万じゃなくて3000万なのは愛嬌な!
はてなは井戸であり、はてなユーザーは井の中の蛙である。もちろん「井の中の蛙、大海を知らず。しかし、空の高さは知っている!」的なことではなく、はてなは単なる井戸であり、はてなユーザーは単なる井の中の蛙である。しかも、その井戸は蓋で閉じられている。
確かに蛙は大海を知らない。しかし、その井戸が深いことは知っている。どのくらい深いかというと、どのくらい深いのか分からないくらい深い。
もしかしたら実際には深さは大したことなくて、既に底に行きついているのかもしれない。だが、蛙にとって問題なのは実際の深さではなく、自らが「この井戸は限りなく深い」と思っていることの方である。
この井戸は限りなく深く、ここの他に世界は存在していない。蛙はそう思っているのかもしれない。しかし、その井戸の側面には無数の穴が開いている。蛙はそのことに気づいていない。
その穴は、どこか別の場所へ通じている穴だ。その穴の先は大空の下かもしれないし、また別の井戸かもしれない。それは穴を通り抜けてからの話である。
マジかよ。。。
なら「はず」はだめだよな
海外での治療費が夢の二千万と言う話を聞いてとりあえずググってみたんだけど
いまのところ見つけられない。どういうキーワードで検索すればいいんだ?
このへんで探してもダメなんだが、教えてくれないか。
OpenCLのサンプル回してみた ちなみに1024x1024の行列と1024x1024の行列のかけ算 と フルHD画像のDCT演算
Core2Duo のミドルエンドで計算した方が ローエンドGPUでOpenCLするよりどっちも2-3割高速だったwww。
でもローエンドGPUとハイエンドGPUでは9倍性能差があるっぽい。ということは、
Y=X*0.7*9
GPU Y=36x CPU ぐらいな感じか・・・あとはメモリがDDR3とGDDR5でどれだけ差が出るかだなぁ。
GPGPU速いなぁ。
ハイエンド機かっちゃおうかなぁ・・・。とりあえず、もすこし、ベンチとってみてまとめよう。
裏はてなはどーれだ?
as23824 FUTURE-S Future Spirits Co.,Ltd 上流ネットワーク
http://www.robtex.com/as/as23824.html
妊娠したくない子が妊娠する可能性のある時期に中出しされて不安そうにしているのを求めているのなら、
確実にあとで文句をいわれないような方法はないだろ。
僕は33歳。奥さんは35歳。
特別子供がほしいというわけでもないけど、
年齢的にも、そんなこといってられないお年。
今月初めての体外受精をしたのだが、
今朝、奥さんが「整理がくる、お腹がいたい。」とつぶやいていた。
それは、体外受精がうまくいかなかったということ。
うまくいかないことになるとは、わかっていたはずだけど、
正直、ショックを受けた。
医者によると、体外受精の5回目以降は、確率がほとんどあがらないらしい。
残るは、4回。これから、1つ1つ数が減るのだけど、
そのたびに、ショックと不安は大きくなるんだろう。
奥さんは4回もできるのだろうか。そして、4回であきらめられるのだろうか。
そうだよな。そうだよな。
ハッピーターンの粉が、そんな、中毒になるほど美味いかよってな。あれホントただの甘辛い粉じゃねーかよと。確かに不味くはないけどさ、ってな。
わかってくれる奴がいてくれて俺は嬉しい。
きみの足音がすると、すぐに気付いてしまう。
コートをはためかせて突風のように、背後からすれ違いざまに、恋する瞳で見る。あっという間にぼくの周りのものを吹き飛ばし、あぜんとするまにどこかへ行ってしまう。
宙に舞った資料やら、メモやら、ボールペンやらをあわててかき集めて、やらなきゃと思い出す。
なんでこんなに鬱屈していたのだろうだなんて。
そんなことは忘れてしまう。
声をかけられると、そういったものがどうでもよくなってしまう。
きみは、そんなひと。
その突風は、心が複雑骨折をしていて、ぼくが名医だとしても、この距離ではそれを治癒できない。
じっとみて、ゆっくりと癒さなければならないはずなのに、一箇所に留まるのを嫌がる。
だからぼくは途方にくれてしまい、しばらくいてくれれば治るのに、と悔しがる。
それで、何ヶ月もかかって、処方箋を書いた。
ちゃんと、全部読んでくれるだろうか。
この魔法がすこしでも効くといいのだけど。
これでも頑張って、長い手紙を書いたのだけど、まさかきみあてじゃないとは思っていないよね?
寒い季節になると、誰かを包み込みたくなる。
これは本能的な欲求で、自分は毛布かコートの生まれ変わりなんじゃないかなんて思う。
冬生まれの人は、だれかをぎゅっと包み込んで、抱きしめてあげたい本能を持っているんじゃないか、なんて思うときがある。自分が寒い季節の人だから、その寒さで震える人を見過ごすことができないのだと思う。
心が冷える怖さを、何度も味わっているから。
だから、そんなきみがそこにいると、抱きしめたくなる。
師走になってしまった。
もう、冬が始まった。
いつのまにか季節が巡ってしまった。
でも、冬はぼくらの季節だから、はやくはじめてしまおう。
大好きなきみは、この冬をどう過ごしたいのかな?
木枯らしのように吹くのが好きなのは分かる。
でも、ぼくはきみを温めたい。
当方50代男です。
ひきこもりの記事などを読んでいるといろんな症状の人がいますが、結局すべての元凶は寝過ぎにあるんです。
これは僕の経験からいって断言できます。
寝すぎ→頭内朦朧→疲労→人生無意味 とこうなって、悪循環が断ち切れません。
とにかく一日12時間も絶対に寝てはいけません。寝すぎるから疲れたり、神経過敏になるのです。
いろんなことが気になってマイナス思考になったり、人に会うのが億劫になったりするのも全部、寝すぎから来る症状です。
自分ではもう、どうにもできません。
とにかく朝9時には起きて、パンではなくご飯と味噌汁を食べて、それから30分かけて新聞を読むのをずっと1年間続けるのです。
午後も寝ないで、思い切って外に出るのです。カルチャ−センタ−のような所で何か学ぶのがいいです。
少しでも自分が進歩しているという感覚を味わえると、早く立ち直れるでしょうね。
でも長い間とじこっもっている人は、やはり立ち直るのに年単位を要するでしょう。
でも諦めないで、薄紙をはぐように少しづつでもいいから生活を改めていきましょう。
増田なのに増田さんが「増田」をこえたわー なんだこれ。なんだかおかしいですけど、はじめましてと挨拶をしたい感じです。
それで、画面の向こうに人間がいるんだと意識して、ということは人柄もあるんだよなと思い当たり(今更ですみません)、増田さん像をイメージしながらズレの原因を探ってみました。思うに、私は「分からない、どうしようもない」ということに、増田さんは「ではどうしたらいいのか」ということに、重きを置いて考えているようです。
人間は「立場」から逃れることは出来ないと思うなあ。「ある正しさに立脚するのが不安」だろうと「どこの正しさにも立たない」ことは無理。そこは諦めるしかないと思うんだ。いずれかの「正しさ」を取捨選択した上で、それを物差しにして周囲を測っていくしかない。
諦めるしかないというところまで思って、でも諦められなかったがために1番最初の文章を書いたんです。まさに先に進めない状態ですが、なにか自分にない視点はないかと求めていました。現実的にどう対処すべきかと問われれば増田さんの意見に賛成ですし実際そういうふうに暮らしているんですが、それでも時にはどうしようもないことの上で非現実的な迷い方をしていて(というか「したくて」?)、ここでは「どうしようもない」「意味がない」に付き合おうとしています。
つまり、例えば
『「正しさ」から無縁であることは、(一切の意思決定を放棄しない限り)平時にあっても不可能ではないか』/「そうした「正しさ」を論ずる意味はない」ということにはならないのですか?
ということについて、不可能だし意味もないかもしれないと思った上で、否定したり拒否したりと除く方法を考えるのではなくそれ自体を考えたい、ということです。極端にいえば戦争は一具体例で、「自分はなにを思えばいいのか」とそのための不可能や無意味について考えたいんです。このあたりの認識の違いに思い至らず「どうしようもなさ」から自由になれないことを前提にしていたことが、ISAFの話を軽く流してしまったりだとか、その他もろもろの食い違いの原因でしょうか。
ISAFの活動についても「グレーである(分からない)」が私のファイナルアンサーです。結論を出せないし出し得ないのですが、理屈の上では、だからといって出し得なくさせる土台を否定しなければいけないということもないでしょう。理屈ではなく現実に生きていますが、私にとっては別の問題でした。平和と戦争についても、比較して相対的にどうこうではなく、「正しさ」なんてないか自分には知り得ないかのどちらかだ、という意味で「国家と大衆が支持する正しさが正しいとは限らない」「平和がいいものとは限らない」でした。