夫婦の形はそれぞれなんだろうけど、人生設計があまりないまま結婚したのでちょっと耳が痛い。
夫さんが「あがいたけど今年も無理だった。どうしても書きたいので休学させて」という姿勢だったら、また違ったのかな。
その程度でも嫌だよね。
それを見た友人は怖くてその店即やめたという
もっと恐いのは教師の間や役所関係でもそういう事が普通にあるらしいこと
誰にも言ってない学歴を、教師になって間もなく職員室のほぼ全員が知っていたとは知人の弁……
それを聞いたこっちも今のバイト先が途端に怖くなってしまった
もう本当この国で働くの嫌になってきたな……
最近、ゲーム系のwebニュースで元ネタにはちま起稿とかオレ的ゲーム速報@刃とか使われる事が多いけど、眺めるたびにイライラする。
2chのハード業界板の内容をダイジェストで見せられているだけの気分。あんな不満を煽るのがwebでのゲーム系ニュースの標準になるんだったらまだファミ通の方がマシだ。
幸せではないかもしれないし、後悔するかもしれないが、
あなたの母にとって、産むという選択は正しいのだろう。
「金銭的な豊かさ」どころか、「幸せであること」すら押しのけて、「自分にとっての正しい選択」が優先することは、ある。
たまたま、年が近いだけで、あなたの母の考えを想像してるんだけどね。
やあ。君と似たような経歴の先輩にあたる男だ。
俺の場合は、院で成果を出すのに時間がかかって、いつまでも就職しない息子に腹を立てた親が
経済的な支援を打ち切り、精神的にも追い詰めてくるようになった。
そんな親に反発して、生活費と学費は自弁しようとしたが、そうするとバイトばかりに追われて
学費は払っているのに、全く勉強できない日々を過ごすことになってしまった。
バイト代なんてたかが知れてるし、その中から学費も書籍代も出すという貧困生活と
親からのプレッシャーによって、陰鬱な毎日を送っていた。
ある年、そういう生活に耐え切れなくなって退学を決意した。
今は派遣社員だが、自分の生活費は自分で賄えるし、学費という巨大な出費がない分、生活はずいぶん余裕ができた。
アカポスなんて当然諦めているけれど、いまだに本を読むことは好きで、専門書から雑誌まで幅広く読んでいる。
こないだ院生時代の先輩に「復学する気はないのか。せっかく博士課程に進んだのに勿体無い」と言われたが、
「ここまで来たのだから勿体無い」とか「可能性がゼロじゃない限り夢を諦めるな」というのは簡単だが、
埋没費用はいずれにしても戻ってこないのだし、あまりに見込みのない夢に賭けて、費用をつぎ込むことはないと思う。
費用には毎年の学費に加え、働いていれば得られたはずの所得や職歴も考えるべきだ(機会費用)。
これらを考えてみたとき、俺にとって在学し続ける理由はほぼなくなった。
しかしひそかに、いつか学費や生活費の心配がなくなれば、大学院に社会人入学したいという考えももっている。
まずは奨学金の返済が先決だけどね。
>品性のために柔軟な知性が妨げられてしまうくらいなら品性なんていらんと思う
まあ反論はしない。ただし研究能力と知性は違うと思うんだよな(どちらも妨げられるくらいなら品性は犠牲にしていいとは思うが)。その場の人間の知性に本当に敬意を感じていたら印象は違ったかも知れんし、当時はそういう謙虚さはなかったかも知れん。
>どんなセックス
何言ってんの?
介護や保育はほとんど家族(の中の女性)がやってきたのが日本社会。
ぶっちゃけたこというと、今その道をあきらめて就職したとしても、
ろ く な 職 が な い
という現実があるので、このままつっぱしっていった方が後悔しないと思う。
むしろ後悔することのほうが多い。今の雇用情勢だとたぶんそうなる。
約10数年に渡って、一部の集団にしか助成金が受理されなく、しかも、
それ以降は、その一部から派生した小さな集団にしか渡されていない。
そもそも一般的に考えて、舞台芸術なんて食べていけないだろうと思われると思うが、
この一派は、法人・評論家・芸術家で連携し、自分達だけで私腹を肥やし、”客が入らない”
舞台を延々と作り続けている。
本来ならば、舞台芸術系は客が入らなければ、集団として解散しなければならないところまで陥るのに、
客が入らなくてもかまわない構造になっており、赤字を垂れ流して、官と癒着して、自己満足の公演を
税金を使って作り続けているのだ。
本当に、手売りでチケットを販売している、ごく普通のアーティストは悲しくなる。
なんとかならないのか?
そういう舞台を作って表現しようと思うが、
それに対する危機感を持っている同じ業界の人が、誰一人もいない。
孤独だ。
http://anond.hatelabo.jp/20090929120922
皆元気かな
ところで便通はどうだい
排便をする時くやしいのが直腸からどうしても全部を出すことができない事
内容量180gとあってもその何%かは腸内部に付着したままでしょう それはくやしすぎるでしょう?
その小さいくやしさがやがて憎しみとなって蓄積され人類に悪影響を少なからず与えている
その憎しみから開放されるべく
ウォシュレットを高圧で噴射してみたり 一心不乱の大絞りを試みたり したけれど 空しいだけ
そもそもそんな事をしている時間がないからレトルト食っとるんや!
そこで私から神様に提案です
腸を平面状に開けるように縦方向への切り取り線を入れてください
そうすれば人類のひり出したいという欲求から逃れ腸内部に隠れ続けた糞を白日の下に晒す事ができる
そうなったらこっちのもの 舌でペロペロ作戦を実行するもよし お上品にこそぎとるもよし 好きにすれば良い
これを導入することによって人類が排便に費やしていた時間とくやしさから開放されることによるメリットは計り知れない
(程小さい)
と思います いかがでしょうか。
デメリットは、平面に開く時に気をつけないと内容物が飛び散って便所が悲しみで満たされるところくらい
元記事を読まずに読んだら拷問の話かと思った。こわいこわい。
私の場合は、研究室にそういうのが貼ってあるのを見て、「おお、大学の研究室っぽい」とむしろ少し嬉しくなったのを思い出す。普段は雑誌のグラビアとか見ないし、女の子の水着の写真があるとひそかに照れちゃうけれど、別に嫌な感情はなかった。人はこういうのをムッツリと呼ぶのかもしれない。
正直に言うと、それで嫌悪感を抱く人がいると想像したことがなかった。皮肉とかでなく。それを貼った人もそうなのではないかな。不快感を与えるとは思っていなかったと思う。
そして、大学の研究室にそういうのが貼ってあって、嫌悪感を感じる人はそんなにいない気がする。まあ、大学の研究室といってもいろいろあるから、なんとも言えないけれど。でも、かわいい女の子の画像がいっぱいのっているページにブックマークがたくさんつくのは、そういうのを見て楽しい気持ちになる人がそれだけいるからだと思う。それは悪いことじゃないと思うのだけれど、どうでしょう。
あと、他の人にも見えるところにポスターを貼ったりするのは、自分で見て楽しむのもあると思うんだけれど、まわりに対して心をひらくというか、一種のコミュニケーションなのではないかと思う。
一回全然関係ない分野(文系職とか)で働いてみるというのもオススメしたい。
驚くべきことに自然科学を見る目が変わってより深く理解できるようになったりするんだなこれが。
俺は知性と品性はあんまり関係ないと思ってるし、品性のために柔軟な知性が妨げられてしまうくらいなら品性なんていらんと思うからなあ。
よくわかりました。
どんなセックスするのかは気になるなあ。
まぁちなみに俺もリアルじゃこんなこと言って回ったりはしないよw
>とかいう発言も『知性に欠けた品性下劣な人間の思考』とか解釈するんだよねえ。
基本的にはあまり自分と変わらんと思う。
ただ自分は大学の研究室も最低限の「銀行のオフィス」的パブリックさがあって欲しいというか、誰でも迎えられるような体裁が要るんじゃないかと思っただけで。
>気になるなあー。
んーさっきまで言ってたことと違ってきてる。
もう何がなんだか分からなくなって、とりあえず今思ったことを言っちゃったって感じがプンプン漂ってくるようなコメントだなあ。
とりあえず、一度自分の考えをゆっくり見直して整理してから書き込み直すことをお勧めする。
これでは仮に俺を説得させたとしても、当初の目的は達せないことになるよ。分かるかな?