マジです。ツボみたいなところがあって、息を止めながらそこを集中的にこするとすぐにイケます。
もはや作業です。
でも他人にそこをいじられても違うんですよ。力加減とか速さとか。
あ、いや、自然数に自然数を足した物が、必ず自然数になる。というのは、公理だけから導くことができますが。
そうではなくて。
いままで、たとえば、4つの公理が必用であった物を、3つの公理だけで構成して、のこりの1個の公理は3つの公理だけから証明できれば、公理を定理にできるわけで、より数学的に美しくなる。
つまり、
公理 A B C D があったときに。
公理D は A B Cから証明可能である。
という事が言えれば、公理D は 公理ではなく、定理にできるわけで。
それは、数学的により美しい行為である。という考え方から。
線形代数と積分を使って、自然数の公理と実数の公理から、自然数に自然数を足した物が、必ず自然数になる
って東大から来ている講師の人が 大学の授業で証明していて、その授業の時間はシラーってしていた記憶だけが曖昧に残っているのですが
もしかしたら、記憶違いかもしれません。
言い方を変えると、数学の公理の中では、どんな条件下においても1+1=1.9や1+1=2.1になることは積分してみるとありえない。って感じだったと思うのですが・・・記憶違いの気がだんだんしてきました。
もちろん、物理の実験で、こども科学館では1+1が1.9ぐらいになることを、液体で証明してくれましたwwwということは、併記しておきます。
これは誰にも話してないことなんだけど、私はセックスでイッたことがないです。
小2の時からオナニーをはじめてすぐにイクようになったのに、セックスではどうしてもイケない。
おそらく足を閉じてクリをこするタイプのオナニーばかりしてるので、足を開くとイケないんだと思う。
別にセックスでイケなくてもオナニーすればいいじゃん、と思うようにしてるけどこのまま死ぬまでセックスでイケないのかと思うと悲しい。
私にとってのオナニーっていうのはもはや入眠儀式みたいなもんで、セックスとはまったく別物になってるからなおさら残念な気分になる。
ちなみにほぼ毎日オナニーしてます。別にムラムラしてるわけでもなんでもなくて、習慣として。
あと、道具を使ったりはしない。めんどくさいから。さっさとイッてぐっすり眠りたいだけ。2分もあればイケるし。
男の人は精液の処理とかめんどくさそうで大変ですね。
無から自信を作り出せる、自信の錬金術師は限られた一握りだ。
だから多くの人は他人と比較し、その優劣から自信を得る。
一番無難な方法は、努力し結果として人より優れた存在になる事だろう。
ところが世の中にはそうした労力を払う事を嫌うものも存在する。
そうした人間が労せずに自信を得ようと思った場合、方法はかなり限られる。
自分が変わらないのだから、他人が変わらなければならず。
他人の方が優れている場合は、他人を貶めるしかない。
集団心理も助けとなり、かなりお手軽な手法となっているのではなかろうか。
幼少期ともなれば、これはもっと露骨に現れる。
いじめはその最たるものだが、こうして理不尽に奪われた自信は、
それが幼少期である場合、取り戻すのにかなりの労力を必要とする。
自己を肯定する材料に乏しいからだ。
本来なら家族や教師がそれに当たるところだが、それが望めない時も多い。
人間不信にでもなれば、それはコミュニケーション能力の欠如にも繋がる。
そうしてコミュニケーション能力に欠如した場合、その事実がさらに
当人から自信を奪い、他者に自信を与えてしまうスパイラル構造。
抜けるのは相当に大変。
しかし、こうして考えると。
大した罰則も社会的制裁も無く、無邪気に笑い話に出来る幼少期のイジメは
かなりコストパフォーマンスの良い自信交換方法ではないかと思う。
別に大した意味はないよ
元増田が言ったような炭水化物が原因の精神不調ならたんぱく質とビタミンミネラルを中心とした食事にかえれば穏やかにだけど効果は明確にわかるというだけの話
双極性なら躁の方が問題じゃないのかな
そういえばためしてガッテンで過敏性腸症候群の直し方についてやってたよ。
もう見てないかもしれないけれど、見るかもしれないから貼っておく。
http://cgi2.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20090401
ここの
過敏性腸症候群克服のヒミツは?
ってページね。
体をリラックスさせる方法と、薬で治す方法の二つが紹介されていた。
この病気が治ったとしても、ほかの要因でまた大学に行かなくなるかもしれないかもしれないけどな。
そっちも平行して直そうぜ。
で、そのうち成功事例はいかほどで?どれほど聴かれてるので?そこが肝心要のポイントだろうが。
キミが挙げたお歴々もまったく同じ「ミク以外が全然聴かれない」悩みに直面しているかもしれないぜ。
それに、活動の幅を広げてるなら広げてるで、結局ボカロが安住安息の地になれなくて抜け出そうとしてるってことじゃんそれ。喜ぶことなんかい。Pにミクでドーピングして成り上がる下心があったにせよ、なかったにせよ(一応念のため言っておくが、創作者にとってこうしたドーピングは悪ではない。皆やってるし、副作用もせいぜい後ろめたさを感じる程度だしな)。
それ以前の問題として、ボカロ以前から音楽活動やってた人も多い、というかほとんどのはずだよ。「活動の幅を広げてる」なんて勝手に言っちゃうと先方には迷惑だったりしねーか?元からやってた活動まで含んじゃってないか?勝手にキミらの手柄にしちゃってないか?どうよ。まあそういったことも「副作用」のうちなんだけどさ。
あと関係ないけど、amaznodeあたりに「初音ミク」を入れてみるとおもしろいですよ。DTM関連書籍クラスタと、フィギュア等オタクラスタの疎結合。
∞←こんな感じ。
リスナー側クラスタ偏りすぎな上に、互いの接点ほぼゼロで、相互理解があんまあるとは思えないんだよね。歪。これを見たとき、ああ駄目だこれは、ボカロ宇宙はこれ以上広がりようがないなと俺は悟ってしまったのだ。
たかが1000円がそんなに妬ましいかね。
そこらのアニメblogなんて、こんな時にしか読まないくせによく探すわ。
嫌儲の思考はつくづくわからん。
精神面の悩みとかって暇だからできるんだよ。
よく言われてること。
あいつらほんとに空気読まねぇんだよ。
よく言えばおおらか、悪く言ったら大雑把すぎ。
こっちが空気読んで遠回しで言ってるのに、全く自分の主張を曲げないんだよ。明らかに間違ってるのにだよ?
さすがにキレて喧嘩腰で言ったら、ようやくまともに話ができたくらいなんだからorz
それからウェスタンにははっきり意訳なし、空気なしで、意見を言うようになりました。
時にはドアを足で蹴りノックするくらいまで成長しました。
~の方法論、というのはここではその学問分野が持つ正当性の根拠となる方法論、という意味で使っている。たとえば「物理学の方法論」を考えてみると、「定量的に扱えるようにしろ」「実験主義」なんかが挙げられると思う。工学系だと設計の方法論と実際の製作、なんかも加わるだろう。経済学なら社会現象を説明するのに(定義した性質以外持たない)モデルを使う、とかだろうか。社会科学系なら実地調査主義とか。私は工学系の人間なので文科系の学問分野がどのような方法論を持っているかに疎いが、大概の分野には何かしらの、その学問分野を方向付けている方法論があるように見受けられる。
以上は前置きで、じゃあ修飾語のつかない「哲学」、大学の哲学科なんかでやってるような「(the)哲学」と言われる分野の「方法論」というのはあるのだろうか(わざわざこういう書き方するのは、私にはないように見えるからなのだが)。"the 哲学"の「哲学」、つまり何を目指しているのか、というのは何となく分かる。1フレーズで表せば「意味を探る」といったあたりにあるんだろう、という風に外野からは見える。物理学が物理現象の”意味”の探求を諦めたところに成立している※のとは好対照だろう。
※例えばニュートン力学の範囲ではF = maはなぜこのような形をしているのか、というようなことを考えたりしない。一番基本的な式だからだ。この式を生み出しているより基本的なメカニズムが分かればそれに伴う修正はするが、力が質量と加速度の積になっていることは神の意志だとか人の生きるべき道だとかは言わない。価値判断を停止していると言ってもいいかもしれない
目指す方向があるのはそれでいい。では、その目標を実現するべき方法論は一体どこに置いてきているんだろう。いやポストモダンの思想界には脱構築という方法論があってですねなどと聞こえてきそうだが、それは物理学における定量化の原則や実験主義に匹敵するほどの、サルでも分かる方法論なのかというとそうではない。私には脱構築は三行ではまとめられない。定量化なら数字を出せ、実験主義なら実際にやれ、それぞれ5文字で説明できる。文字数自体にはあんまり意味がないが、極小のフレーズでサルと言わずとも中学生くらいに実行出来ることに意義がある。私のthe 哲学に対する理解の不足を割り引いても、脱構築は方法論と言うには複雑過ぎる。一事が万事この調子なので、結局the 哲学にある方法論らしきものは、ひたすら頭で理屈をこねるという以上のものが見あたらない。確かにthe 哲学をやっている人は並々ならぬ頭のひねり方はしているようには見えるが、しかし頭を使うというのはどの学問分野でも同じことで、頭をひねることだけが制約事項というのは事実上ノールールということだろう。
何の制限もなく(制限がないとは方向性がないということの裏返しな訳だが)何かを考える、というのは思考の運動としては確かに面白い。面白いが、大学で専任の教授を雇ってする類のものかと考えると疑問符がつく。疑問符がつくというか個人的な感想を言えば税金を使うのはやめて、民間団体にでも任せればいいのではないかと思う。かくして文学部哲学科不要論者がここに一人生まれたわけである。
当然海外から書き込んでるんだよねそれ?