2009-04-02

「"the 哲学" の方法論」ってどの辺にあるの?

~の方法論、というのはここではその学問分野が持つ正当性の根拠となる方法論、という意味で使っている。たとえば「物理学の方法論」を考えてみると、「定量的に扱えるようにしろ」「実験主義」なんかが挙げられると思う。工学系だと設計の方法論と実際の製作、なんかも加わるだろう。経済学なら社会現象を説明するのに(定義した性質以外持たない)モデルを使う、とかだろうか。社会科学系なら実地調査主義とか。私は工学系の人間なので文科系学問分野がどのような方法論を持っているかに疎いが、大概の分野には何かしらの、その学問分野を方向付けている方法論があるように見受けられる。

以上は前置きで、じゃあ修飾語のつかない「哲学」、大学哲学科なんかでやってるような「(the)哲学」と言われる分野の「方法論」というのはあるのだろうか(わざわざこういう書き方するのは、私にはないように見えるからなのだが)。"the 哲学"の「哲学」、つまり何を目指しているのか、というのは何となく分かる。1フレーズで表せば「意味を探る」といったあたりにあるんだろう、という風に外野からは見える。物理学物理現象の”意味”の探求を諦めたところに成立している※のとは好対照だろう。

※例えばニュートン力学の範囲ではF = maはなぜこのような形をしているのか、というようなことを考えたりしない。一番基本的な式だからだ。この式を生み出しているより基本的なメカニズムが分かればそれに伴う修正はするが、力が質量加速度の積になっていることは神の意志だとか人の生きるべき道だとかは言わない。価値判断を停止していると言ってもいいかもしれない

目指す方向があるのはそれでいい。では、その目標を実現するべき方法論は一体どこに置いてきているんだろう。いやポストモダン思想界には脱構築という方法論があってですねなどと聞こえてきそうだが、それは物理学における定量化の原則や実験主義に匹敵するほどの、サルでも分かる方法論なのかというとそうではない。私には脱構築は三行ではまとめられない。定量化なら数字を出せ、実験主義なら実際にやれ、それぞれ5文字で説明できる。文字数自体にはあんまり意味がないが、極小のフレーズサルと言わずとも中学生くらいに実行出来ることに意義がある。私のthe 哲学に対する理解の不足を割り引いても、脱構築は方法論と言うには複雑過ぎる。一事が万事この調子なので、結局the 哲学にある方法論らしきものは、ひたすら頭で理屈をこねるという以上のものが見あたらない。確かにthe 哲学をやっている人は並々ならぬ頭のひねり方はしているようには見えるが、しかし頭を使うというのはどの学問分野でも同じことで、頭をひねることだけが制約事項というのは事実上ノールールということだろう。

何の制限もなく(制限がないとは方向性がないということの裏返しな訳だが)何かを考える、というのは思考の運動としては確かに面白い。面白いが、大学で専任の教授を雇ってする類のものかと考えると疑問符がつく。疑問符がつくというか個人的な感想を言えば税金を使うのはやめて、民間団体にでも任せればいいのではないかと思う。かくして文学部哲学科不要論者がここに一人生まれたわけである。

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