そうとばかりも言い切れないぜ。考えられる理由の一つとしては挙げられるだろうけど。単に人間関係が希薄になっただけかも知れない。自由恋愛的なブームが来てるだけかも知れない。さらに別の理由があるかも知れない。どれか一つの理由じゃなく全ての理由のバランスかも知れない。
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こういう考え方の人には上司とか親戚のおせっかいババアとか大家とかがムリヤリ結婚させるくらいでちょうどいいんだと思う。自分の境遇をわかってる人の紹介なら仕事に理解のある相手を紹介してくれるだろう。そしてそうやってちょっといいかな位の男と何となく結婚してみるとこれが以外と幸せだったりする。幸せなんてそんなもんだ。もちろん、そんな紹介システムは日本からなくなって久しいわけだが。
似たようなことをされて困ったことがある。
俺とは面識ない人が携帯落として悪用っていうかいたずらされたらしく、どこかのアダルトサイトの入会メールみたいなのが俺にも20通くらい届いた日があった。
文句いいたいが落とした人とは面識ないし友だちに文句つけたけど結局メアド変更したりする手間をかけさせられてふざけるなみたいなね。
参考までに
ドイツ大学留学の手引き http://www.jasso.go.jp/study_a/oversea_info_12.html#hiyou
> ドイツの高等教育機関では授業料は(一部の私立校を除いて)現在はまだかかりません。国の費用で運営されているためです。しかし、最近、まだ反対している州もありますが、決められた期間内に所定の学業を修了できず、期間を延長する場合、授業料を徴収する州もあります。授業料は要らなくとも以下の費用がかかります。
最近気付いたこと。
老若男女ネットリアル問わず、好きな人ときめく人はたくさんいる。
男性に関して言うと、自分的なツボにHITするとすぐにときめく。
バリバリと仕事をやっている人にもときめく。ときめきやすい方だ。
しかし、そこから先が特にないことに最近気付いた。
好きだったりときめいたりしても、付き合いたいとは思わない。
なぜだろう?
人生かけても実現したい夢がどうしてもあって、まだ遠いけど着実にそれに近づいていることがまた仕事に没頭する素になっている。
夢の実現のためなら結婚できなくていいと思っている。
むしろ結婚にまったく向いていないと自分で思うからしない方がいいと思う。
勿論そのための貯金を別でしてる。
性格はマイペースと言われるタイプで、趣味に没頭したり1人でプラプラしたりするのが好きなのも関係しているんだろうか。
付き合いたいって気持ちが溢れ出すほど誰かを好きになったことがないだけなのか。
それとも何か欠落しているのか。
将来的に結婚はしないとしても、20代で恋愛感情がなくなってしまうのは少し淋しい。
なんなんだろう。もしかして気付いてないだけで昔から付き合いたいとは思ってなかったのかな。
ま、そりゃそうだが、それで言ったら対等な口説き方でもネットでいきなり口説き出すのってどうよっていう疑問も浮上してきて、対等かどうかの問題じゃなくね?っていう。
週末、二日酔いになるほど飲んだら案の定今週になって口内炎が出来たよ。
二日酔いでめためたになった体を修復することにリソース食われるからなのかな、必ず出来る。
で、そういうときここ何年かケナログ使ってるんだけど、
ああ、そうか。三つ考えないとならないのか……確かにそうだな。俺だって対等よりはできれば下にいて、上を見ながら何か学びたいし
元増田の話を読んでなかった。いやもっと別の話かと
その下の立場の奴が、上の立場の奴を見て不満を言い出し、不平等を是正しようとするからだろう。
ごめん学費タダとか初めて聞いた。ドイツ。入試はほら、アビトゥーア取っちゃえば学科は選びたい放題だけど。今はそうなのかな?
あとアメリカは18歳から大学生でも銀行はお金を貸してくれます。学資ローンがたくさんだよ!
進学率が高い分、学費もピンキリですけど、ちゃんと卒業しても大学卒相当と認められる学校とかそうじゃない学校とかあるしね。
UC位だったら金借りないと通えないよ。
イギリスの場合は高校卒業後に大学一年先延ばしにして海外にくるとかは聞いたあるけど、大学卒業後に出回るのは初めて聞いた。
いろいろあるんだね。ま、家帰ったら調べる。未だ仕事中でさ。
少なくともだな
は絶対いる。真ん中が他の二つよりマジョリティである保障は全く無いだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20081127212334
立場上の上下は必要だけれど感情的な上下関係は嫌なんじゃないかな。変に上に立つと下の連中に向かって悦に浸っている気がする場合もあるかもしれないし、そうかといって下にいると今度は見下されているような感じがするかもしれない。だから間を取って貴方と私は対等でいましょうといいたいんだと思う。立場上の上下はあってもいいけど感情の上下関係は嫌なんじゃないかとね。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10137812924.html
結局、論壇という狭い世界を漂っているなんとなくな言説の「空気」を「世界」だと思っているのよね。
それじゃ読者にはいつかバレるし、どんどんバレればいいと思う。
最近の彼の書くものを見ながらずっと思ってることなんだけど、東浩紀ほどネット上の言説にコミットして、その結果として悩んでいる人間はいないんじゃないかと思っている。
私が「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んで一番印象に残ったのは、その注釈の多さだ。ページの半分が注釈で埋まっている箇所さえある。確かに、360度からツッコミが入る環境で言論を戦わせた経験のある人間が、それを踏まえてなお、己の主張を一冊の本に固着しようとしたら、あらかじめ360度の防衛線を張るより他ないだろう(まぁ、それでも矢はガンガン盾を突き抜けていくわけだが)。
少しでもネットで議論を交わした経験のある人間なら分かると思うが、公の場に自分の主張を出すということは、己がコミットするものが、「世界」から見ればワンオブゼムでしかないことを徹底的に再確認させられる作業だ。情報技術の発達は、あらゆる立場のあらゆる人間が己の主張の正当性を信じているということ、それを可視化することを可能にした。たとえ、その主張が本人の誤解や全くの思い込みに基づいていたとしても、だ。そして人には、それを真実であると信じ、仲間と共有し、異を唱える者を「反公共的人間」として糾弾する「自由」がある。
だから、彼が「南京」を例に出しているのを見たとき、そういう現状を極めて率直に語っているのだな、というのが私の感想だった。彼の言っていることは全く正しい。「世界」に対して真に誠実に向き合うなら、あらゆる主張が「ありうる」という事実を認めるほかない。
しかし我々は、徹底的に相対化されうる「世界」の中でなお、それぞれがそれぞれの理由で「偏り」を持った存在であり、それを解(ほど)くために何かにコミットすることを選ばねばならない。たとえ、そのことに絶対的な正当性がなくとも。そして同時に、己の立ち位置の「根拠」の無さを忘れることなく。
東氏も、最終的にはメタメタから降りて、何かに「あえて」コミットする道を選ぶことになるだろう。けれど、上の文を一読して、そんな彼を悪し様に批判してどうするんだろうな、ということを思った。もちろん、それを言ってる本人やその他の人々やそして私が、東氏の言うジレンマを踏まえた上でなお何かにコミットすべく踏み出していくのは勝手だし、いや、むしろとても価値あることだと思う。
しかし、「お前はなぜそれにコミットしないのだ。風見鶏を気取りやがって!」という批判は、直裁に言えばとても気持ち悪い。何かにコミットする、そしてそこに正義がある、というのは今や自明ではない。もちろん、自明でなくてもヤラねばならないことはある。それはそれで正しい。しかし、上記のような批判には、その二律背反に対する躊躇が全く感じられない。そういう躊躇の無さが、批判的な意味で「左翼的」と呼ばれているなら、その感覚には同意する。
「コミットすることの正義」は自明ではなく、しかし、自明でなくとも進まねばならない。この隘路を踏まえずに突き進んでも、全ての言説が相対化されタコツボ化するネット社会において、「利己的な正義」のワンオブゼムとして忘れ去られる以上の成果など残せないのではないか。
東氏が、いつ次のステージに踏み出す気なのかは知らない。我々は、彼の言説を踏まえつつも、それを尻目に黙々と自分の道を歩めばいい。それだけの話だろう。
(追記)
上のエントリが某所で言及されてたのを見て、反射的にコレを書いたんだけど、よく見ると9月の記事だとさっき気づいた。上で「360度」って書いたけど、これは若干語弊があるね。今まさに実証してしまったように、弾は四次元の方向からも飛んでくる。よく、こういう環境で「批評」を、しかもそれを「本」という固着された存在にしようなんて思うよなぁ。
(追記2)
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081203#p1
んー、そういう「誤った相対主義」の結果として東の発言を捉えるのはミスリードだと思うんだけどなぁ。そもそも例の発言は、デリダの言ったっていう「ユニバーサルな人間理解の可能性」というのは所詮不可能であるし、不可能であることを前提としない民主主義はある意味不健全である、という認識に基づいていて出てきた発言であるように思うので。その辺は、「東京から考える」や「思想地図」を読むと分かると思う。