もっと構いたいよhttp://anond.hatelabo.jp/20081024212252たん!
エリートたちに任せるとけっきょくエリートったって人間だから自分たちの利益のことしか考えない。
一方、馬鹿の権利が拡大しすぎると衆愚政治に陥る。理想的なのは滅私奉公できるエリートなんだが、そんな奴はいない。いても限りなくゼロに近い割合だ。
そこでだ、なんとかして馬鹿が一定の強さを持ちつつ、しかし全体として頭いい奴が引っ張っていける仕組みはないか?
それが俺の提唱する「試験によって票数が増える制度、しかし最低でも1票は誰にも保証される」という仕組みだ。
政治経済軍事倫理科学の試験を受けることができ(もしくは義務教育中などに強制的に1回は受けさせられるが、さらに毎年受験可能)、
その結果次第で最大5票まで票が増える。
こうすることで、頭いい奴の権利を拡大しつつ(しかも試験に科学を導入することで宗教勢力を防げる)、しかし頭いいやつらが自分たちの利益確保に走った場合に
大勢の馬鹿たちの結束で引っくり返すことができる。
俺の場合。
セックスの最中、彼女にワキ毛がちょろちょろ生えていたので注意した。
そしたら、「見えにくいから抜くの難しい。増田が抜いて」と言われた。
ふつう、男にワキ毛抜かせるか?それって女として終わってないか?
でも、小学校でもっともらしく水伝教えてたのはゆとり世代よりはるか以前の先生たちなわけで。今よりいい教育をうけていたはずなのにこれでは、実は古い教育を受けた世代のほうがゆとり脳以下になっているんじゃないか。我々含めて。でないと、説明がつかない。
医療ミスがおこるとリソース不足を指摘せずに精神力で知恵を絞れみたいな議論になるのと同じで、教育だって本当はとうにリソース不足に陥っているのに、学校の先生は公務員だからみたいな感じで批判し続けた結果、こんなことになってるんじゃないか。
これで、本当にゆとり世代をゆとりといってバカにできるのだろうか。科学者たちはエセ科学をせせら笑うけど、人文学にだってウソ欺瞞エセ真理がはびこっているのに、なんとも言わない。言わない理由も分かるけど、でもそれで本当にいいのだろうか。なんか違うんじゃないか。
本当にゆとり世代をぼくたちはバカにできるんだろうか。
「増えてる感じはするね。おー怖ー。けど統計的には減ってるんだけどねー。」
の部分って、「肯定 → 否定」と元増田も解釈してるが、後半は否定ではないと思う。
二元論で解釈するから無理があって、単に疑問を提示しているだけ。(統計的に減っているのに増えている感じがするのはなぜか的な)
奥さんの意見を否定はしていない。
ちょっと横レス。
お前自身、自分で気がついていないだけで、実際こういう心理が働いていると思うよ。まあ、そんな事ない絶対ないと言い張るかもしれんが。
主張の重点が後半にあるという説によれば、この辺が主張の重点なのかなと思った。
前のやつで書き忘れた上、間違えてたんだが、うちの妻の意見を否定する時は、
肯定 → 否定
ではなくて、
否定 → 肯定
でないと怒る。
「増えてる感じはするね。おー怖ー。けど統計的には減ってるんだけどねー。」
はアウト(なんか否定されていると感じるらしい)で、
「統計的には減ってるんだけどねー。そんな感じしないよねー、おー怖ー」
はOKらしい。言っていることは同じだけど、最後に肯定されないと気が済まないらしい。
てーか、それはお前の妻に限った話じゃなくて、心理学的にはごく普通の事。てかよく聞くだろ?知らんの?
あと「しかし」という接続詞を使った場合、そのときの主張の重点は後半にあるというのは論理学でも学ぶことだろ。
「否定、しかし、肯定」だと「基本的に肯定しています」というメッセージが相手に伝わる。
「肯定、しかし、否定」だと「基本的に否定しています」というメッセージが相手に伝わる。
「言ってることは同じ」……ではないんだよ、そもそも。
同じと見なしている時点で、そもそもお前が非論理的。論理学の本でも一冊買ってみろ、まず接続詞についてうんたら書いてあるから。
お前自身、自分で気がついていないだけで、実際こういう心理が働いていると思うよ。まあ、そんな事ない絶対ないと言い張るかもしれんが。
小泉さんが首相になりたてのころ、いまいち彼にしっくり来なかったから、家で少し批判的なことをいうと、おふくろが猛烈に反撃してきたことがあってね。いや、びっくりした。で、よくみたら、世の中のおばさんの多くがこの調子なのに気がついた。政治のプロはそんなこととっくの昔から知ってたんだけど。
選挙権の制限を考えたほうがいいんじゃないか。中年以上の主婦は選挙権なし、とか。
そうすれば世の中もうちょっとまともになるような気がする。
横だけど
どうしてもどうしてもプレミア鉄道模型が欲しくて、元1000円の模型に10万円払う人間がいたとして
関連性が皆無と言い切れる根拠がわかりにくいです
ありがとうをまだ言ってもらってないぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20081024210901
善悪の問題じゃない。
プラダーウィリー症候群のように次から次に食欲(や性欲など)がわいてきて、抑制できない人たちにそういうことを言うのは無駄だといいたいだけだ。
たしかにね??。
議論しているのかな?って思っても結局,人格攻撃とかになっていって,
ロジックでの反論にならなくなっていくよね。
議論には負けそうになると,人間としては負けてないと言いたくなるんかな。
国会みたいだ。
いわゆる同和問題が利権絡みのヤクザや胡散臭い団体の飯の種になっている部分はある。
でも、同和地区と言うのは、今も確かに存在する。
前の仕事が売れないセールスマンだったので、仕事柄本当に色んな都市の色んな街を歩いた。
それで今まで普通の街で普通の家で育ってきた自分には、にわかに信じがたい地区が確かにあった。
「ああ、日本にこんな地域や家が本当に実在するんだ」って感じ。
凸←こういう形の建物の両端に入り口があって真ん中で仕切られている2戸住宅(所謂ニコイチ)が、
地域一面に数百戸ずらずらずらっと整然と、あるいは道なりにちょっとバラバラに並んでる地域。
「○×団地」と書かれた地区の中にコンクリートの四角い家が延々と縦横に続いていく海沿いの町。
あと長屋。今時こんな長屋ってあるのかよってくらい嬉しくない意味でレトロな長屋の群がある地域。
他にも人権標語の看板とかビックリするほど路地が狭いとか、ホントに色んな地区を見てきた。
個人的には同和問題ってどうなの?って考えても全然当事者じゃないから何ともいえないってのが本音だ。
でも、自分がもし子供時代あんな地域で育ってたら。
テレビや雑誌では華やかな世界が映し出されてるのを、21世紀にボッロボロの長屋で見ていたら。
インターネットで同和の野郎は・・・とか書いてあるのを、ニコイチの建物で夜中に見ていたら。
どう思って育ってただろうなぁ。とは思ってしまう。
最近の問題かどうかは知らないが、それらの要因は結局皆が皆「負けたくない」と思っているからであると思う。
言い合いにどうしても(表面上でも)負けたくない、相手にバカにされたくない、そんな思いだけが募っているから、議論で負けそうになれば全く躊躇うことなくレッテル貼りや罵倒に走るし、相手にバカにされたくないから、少しでもバカにされた態度とられると「全然余裕だけど?」って態度をとりたがる、そして相手もそれに反応して「そっちが必死なんじゃないの?」と余裕ぶる、煽る、その繰り返し。意地の張り合い。自衛のために針を出しまくる。滅茶苦茶ナイーブなハリネズミ同士の喧嘩っつーか。
まー……皆余裕ないんだろうな。
ぶっちゃけ余裕ある奴が増田やる確率なんてそう高くなさそうだしなw
そもそもが誰でもいいからぶち倒してすっきりしたい(言い合いで)、というような奴らの集まりといっても過言ではないだろう。