雌としてしか見てないとか、そんなことない!
エッチなの考えちゃうって書いたから?
でも、好意持たれてるかも! ってなってたら考えない? ないはずないよ!
ま、端的に言えばあなたが悪い。
gotoじゃない方がいいんじゃないの?という指摘は来るかなと思っていたけど。
つまり、結婚というのは構造的にやり直すチャンスがかなり低い、ロングジャンプみたいなもので
ジャンプしたらなかなかもどってこれねーぞ。という感じ。
gotoは使い所が難しいけど、使った方が良いケースもある。
よっぽど特殊な趣味なんじゃ?
実はいずれも古い形の宗教だよな。
・お金教
晋の魯褒の「銭神論」つうのがあって、お金を守り本尊とする人を皮肉った最古の書みたいね。
だからメチャクチャ古いよ。
・権力
人類の発生とともにあると思われ。
・恋人
・科学
これも古い。後漢の王充あたりが最古。
・音楽
これも古いね。
まー、割と新しいけど、サヨクを鈴木大拙は「共産宗」といって皮肉ってたな。
が押し寄せてくるような時には、みんなはどうやってやり過ごしているんだろうか
頼れる人もいなく、気を紛らわすこともできず、お酒とかもあんま好きじゃなくて
とりあえずシャワー浴びて寝るのが一番なのかなあ
でも、逆の立場になったら超うざそう
手間がかかるってどんなんよ?想像し難い
一応突っ込んどくがネット上にはひとつで十分でしょ。
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20080831/1220163097
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20080830#p1
サンプル数2でそんなことを言うのもなんだが、まわりをこぞってドン引きさせるこのパワーはどこから出てくるんだ。
最近は通報も遊びのうちだからなぁ。
すげー気になるんだけどさ、電話の交換手って電話機の進歩と共にどうなっていったの?
急に「お前らもう仕事しなくていいから辞めて」とか言われたの?それとも他の部署に移ったのかね。
家電量販店の普及で個人でやってる電器屋とか苦しいんじゃないのかな。
他にも個人のおもちゃ屋とかネット通販や量販店に押されてないの?
そういった店が大きい店に負けて消えていくのは交換手という職が消えたのと同じ時代の流れなんだろうか。
犯罪になるだろそんなことかいたら
財政難とか考えれば公立図書館が数十年後もあるとはいえないし、「日刊雑誌モドキのくだらない二束三文のタレント本や宗教本」って自治体の図書館だとうじゃうじゃあると思うけどね。
そもそも文化的歴史的に価値ある本を保存するなら全国各地に図書館乱立させる必要もないし、知へのアクセスなら文章コピーしてネットか何かに保存しとけばいい。紙で利用したいという人がいればコピーして渡せばいい、誰かが借りてて借りられないとか汚されるとか返してもらえないという問題もなくなる。
マイノリティーである自覚 → マイノリティーである自分もマジョリティに認められたい = ゲイ
マイノリティーである自覚 → 「マジョリティに認められたい」と考えて自分を苦しめない = クィア
みたいな。
おー、ありがとう。
皮肉の解説までしてくれてさんくす。無料貸本屋という言葉も今日初めて知ったしね。
自己中なのは仕方ない。
世界中の貧困に苦しむ人々より自分の生活が大事。自分の手と目の届くところしか興味ない。他を優先したら自分が死ぬ。
ということで僕の範囲外の著作者の収入とか本屋の経営状態より図書館のホームレス臭の方が俺にとって問題だからそっちを解決してほしいと思うのは変わりありません。
なんか今日は知らない世間を見れた気がします。
やっぱり慶應義塾大学生は違いますね。
うーん、だから自分が思うのはね、
つくづく日本というのは「標準的な生き方」というのが社会的に存在して、そこからの逸脱を
許さない社会だと思った。
って仰るけど『非モテ』という統一規格的な人格の特徴のひとつとして、
・でも自分は「標準的な生き方」をしていないと思っている
・「標準的な生き方」が正しいばかりじゃない理由を必死に探してしまう(女性の醜さの証明シリーズとか)
・でもそれで自分を満足させきれないから、どこか醒めてしまってる自分が居る
という「標準的な生き方」とやらに近づきたいのか近づきたくないのかよく判らない、変な振り回され方をしているところだと思う。
別にいいじゃない。自分で自分の軸さえしっかり持っていれば、人の評価がどうであれ自分を信じていられるはずなのに、
結局最後に相対評価を気にして「自分なんて…」になってしまうのが非モテの特徴だと思ってる。
ある種の病気の人。出来ることもあるし、出来ないこともある。
病気になる前には出来ていたけれど、発病後は出来ないでいることもある。
その病気への対処法は基本的に非常にシンプル。きついことをしない。
つらいときはのんびり休む。無理をしない。ゆっくりする。
投薬治療もあるけれど、あくまで基本はゆっくり休むこと。
それが大前提。
簡単なようでなかなか難しいこの治療法。
多くの場合、そういう環境を整えることが出来なくて、中途半端になってしまう。
だから、もしそういう環境を作れたのなら、「社会復帰」くらいまでそこにいればいいと思う。
患者さんは家族のもとで、たくさんの人のサポートを受けて暮らしている。
ところが恋人とは遠距離恋愛。恋人の住む町では、家族のサポートを受けられない。
病院も遠くなるしね。
つまり、患者さんが恋人のところへくれば、今までみたいな環境のサポートは得られない。
うまくいくかもしれない。そういう成功例をいくつか知っている。
うまくいかないかもしれない。恋人まで病んでしまった例をたくさん知っている。
数人分のサポート能力を一人で発揮しないといけないんだ、この種の恋人は。
失敗する確率が高いのは当たり前だ。
自分の負担のあまりの大きさ、成功率のあまりの低さ。それをちゃんと知ってる。
せっかくのいい環境にいるのだから、もっともっと治療をそこで進めてほしい。
患者さんは言う。ワタシを面倒くさいと思ってる。
患者さんは怒る。ワタシを愛してないんでしょ?
患者さんは喚く。ワタシの気持ちで行動してよ!
世の中には美談がある。心の病気を持つ患者さんを受け入れて、願いを叶えて。
患者さんが幸せであることが、自分自身にとっても幸せだと無垢に言い切る人たち。
恋人はその共依存がとても嫌だ。共依存は病気と病気みたいなものの組み合わせだ。
心の病気でない自分が、病気になる大きな危険性を抱え込んでまで、患者さんを引き取る。
恋愛って、そこまでして進めるほどのものではないと思う。
心の病気って、そこまでして受け入れるべきものではないと思う。
病気ではない人が病気にならない程度の献身に抑制することは、おかしいことなんだろうか。
愛のためには、精神病患者のためには、病むほどの献身をすることが当然なんだろうか。
それは本当に美談なんだろうか。
こういう意見がある。
「メンヘラの恋人になるなら、何もかもを受け入れて生涯耐え続けるくらいの覚悟が必要だ。
そうじゃないと二人とも不幸になる。メンヘラはかえって傷つく」
けれど僕は思うのだ。
「そんなの覚悟じゃない。恋愛じゃない。そんな意見は、メンヘラは恋愛禁止といっているだけだ」
自分を守りながら生活するのは悪い事じゃないと思います。メンヘラに対して必要なことは
「受け止める」事だったはずです。受け入れる=いいなりになる事じゃありません。
メンヘラの恋人がメンヘラでないのなら、病まない程度で出来る事をしてあげればいいんじゃないかな。
その方が、心を病んでしまった人たちにも恋愛の幅は広がるよ。