2008-08-31

病気の人とそうでない人

 ある種の病気の人。出来ることもあるし、出来ないこともある。

病気になる前には出来ていたけれど、発病後は出来ないでいることもある。

 その病気への対処法は基本的に非常にシンプル。きついことをしない。

つらいときはのんびり休む。無理をしない。ゆっくりする。

 投薬治療もあるけれど、あくまで基本はゆっくり休むこと。

それが大前提

 簡単なようでなかなか難しいこの治療法。

多くの場合、そういう環境を整えることが出来なくて、中途半端になってしまう。

だから、もしそういう環境を作れたのなら、「社会復帰」くらいまでそこにいればいいと思う。

 じゃあ、患者がその環境から脱出したがったら?

患者さんは家族のもとで、たくさんの人のサポートを受けて暮らしている。

でも、患者さんはそろそろ適齢期。恋人のところへ行きたい。

ところが恋人とは遠距離恋愛恋人の住む町では、家族サポートを受けられない。

 病院も遠くなるしね。

 つまり、患者さんが恋人のところへくれば、今までみたいな環境サポートは得られない。

でも、でも、患者さんは恋人のところへ行きたい。

恋人が頑張れば、患者さんを支えきれるかな。

うまくいくかもしれない。そういう成功例をいくつか知っている。

うまくいかないかもしれない。恋人まで病んでしまった例をたくさん知っている。

数人分のサポート能力を一人で発揮しないといけないんだ、この種の恋人は。

失敗する確率が高いのは当たり前だ。

 恋人病気じゃない。前途をちゃんと計算できる。

自分の負担のあまりの大きさ、成功率のあまりの低さ。それをちゃんと知ってる。

 だから恋人は、患者さんを自分のところに受け入れたくない。

せっかくのいい環境にいるのだから、もっともっと治療をそこで進めてほしい。

 患者さんは言う。ワタシを面倒くさいと思ってる。

 患者さんは怒る。ワタシを愛してないんでしょ?

 患者さんは喚く。ワタシの気持ちで行動してよ!

 世の中には美談がある。心の病気を持つ患者さんを受け入れて、願いを叶えて。

患者さんの幸せのために全力を投じるパートナー

 患者さんが幸せであることが、自分自身にとっても幸せだと無垢に言い切る人たち。

 そこにははっきりとした共依存存在している。

恋人はその共依存がとても嫌だ。共依存病気病気みたいなものの組み合わせだ。

心の病気でない自分が、病気になる大きな危険性を抱え込んでまで、患者さんを引き取る。

恋愛って、そこまでして進めるほどのものではないと思う。

心の病気って、そこまでして受け入れるべきものではないと思う。

 病気ではない人が病気にならない程度の献身抑制することは、おかしいことなんだろうか。

愛のためには、精神病患者のためには、病むほどの献身をすることが当然なんだろうか。

 それは本当に美談なんだろうか。

 こういう意見がある。

メンヘラ恋人になるなら、何もかもを受け入れて生涯耐え続けるくらいの覚悟が必要だ。

そうじゃないと二人とも不幸になる。メンヘラはかえって傷つく」

 けれど僕は思うのだ。

「そんなの覚悟じゃない。恋愛じゃない。そんな意見は、メンヘラ恋愛禁止といっているだけだ」

 自分を守りながら生活するのは悪い事じゃないと思います。メンヘラに対して必要なことは

「受け止める」事だったはずです。受け入れる=いいなりになる事じゃありません。

フォーク准将じゃないんだからさ。

メンヘラ恋人メンヘラでないのなら、病まない程度で出来る事をしてあげればいいんじゃないかな。

その方が、心を病んでしまった人たちにも恋愛の幅は広がるよ。

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