ある種の病気の人。出来ることもあるし、出来ないこともある。
病気になる前には出来ていたけれど、発病後は出来ないでいることもある。
その病気への対処法は基本的に非常にシンプル。きついことをしない。
つらいときはのんびり休む。無理をしない。ゆっくりする。
投薬治療もあるけれど、あくまで基本はゆっくり休むこと。
それが大前提。
簡単なようでなかなか難しいこの治療法。
多くの場合、そういう環境を整えることが出来なくて、中途半端になってしまう。
だから、もしそういう環境を作れたのなら、「社会復帰」くらいまでそこにいればいいと思う。
患者さんは家族のもとで、たくさんの人のサポートを受けて暮らしている。
ところが恋人とは遠距離恋愛。恋人の住む町では、家族のサポートを受けられない。
病院も遠くなるしね。
つまり、患者さんが恋人のところへくれば、今までみたいな環境のサポートは得られない。
うまくいくかもしれない。そういう成功例をいくつか知っている。
うまくいかないかもしれない。恋人まで病んでしまった例をたくさん知っている。
数人分のサポート能力を一人で発揮しないといけないんだ、この種の恋人は。
失敗する確率が高いのは当たり前だ。
自分の負担のあまりの大きさ、成功率のあまりの低さ。それをちゃんと知ってる。
せっかくのいい環境にいるのだから、もっともっと治療をそこで進めてほしい。
患者さんは言う。ワタシを面倒くさいと思ってる。
患者さんは怒る。ワタシを愛してないんでしょ?
患者さんは喚く。ワタシの気持ちで行動してよ!
世の中には美談がある。心の病気を持つ患者さんを受け入れて、願いを叶えて。
患者さんが幸せであることが、自分自身にとっても幸せだと無垢に言い切る人たち。
恋人はその共依存がとても嫌だ。共依存は病気と病気みたいなものの組み合わせだ。
心の病気でない自分が、病気になる大きな危険性を抱え込んでまで、患者さんを引き取る。
恋愛って、そこまでして進めるほどのものではないと思う。
心の病気って、そこまでして受け入れるべきものではないと思う。
病気ではない人が病気にならない程度の献身に抑制することは、おかしいことなんだろうか。
愛のためには、精神病患者のためには、病むほどの献身をすることが当然なんだろうか。
それは本当に美談なんだろうか。
こういう意見がある。
「メンヘラの恋人になるなら、何もかもを受け入れて生涯耐え続けるくらいの覚悟が必要だ。
そうじゃないと二人とも不幸になる。メンヘラはかえって傷つく」
けれど僕は思うのだ。
「そんなの覚悟じゃない。恋愛じゃない。そんな意見は、メンヘラは恋愛禁止といっているだけだ」
自分を守りながら生活するのは悪い事じゃないと思います。メンヘラに対して必要なことは
「受け止める」事だったはずです。受け入れる=いいなりになる事じゃありません。
メンヘラの恋人がメンヘラでないのなら、病まない程度で出来る事をしてあげればいいんじゃないかな。
その方が、心を病んでしまった人たちにも恋愛の幅は広がるよ。