可能性で話をするのならコスプレが好きだった被害者がいた可能性だってあるな。
死んだらそっとしてほしいと願ってた被害者がいた可能性もある。
キリスト教の被害者がいた可能性は?イスラム教は?
献花に反対してる遺族がいる可能性は?
逆に遺族がコスプレを許してる可能性は?
許す遺族と許さない遺族がいる可能性は?
なぜ気持ちを見ないで、外見だけどうこういうの?
献花は結局、気持ちを受け取る場所じゃないのか。
そういう言い方をするなら、生前は献花をされたくないという人だったかもいたかもしれないし、ゆりが嫌い、菊が嫌いって人もいたかもしれない。
そこまで、道ばたの献花で要求するのはどうなんだ。
返事ありがとう。
でも、制服って決まっている学校に私服で行くのは校則違反だよね。
やっぱり花をあげるのは、喪服って決まってるってことなのかな?
行ければ行ってみたいって思ってるんだけど、自分は喪服を持ってないので。
葬式に変な格好で行くなというのは分かるが、献花だけでその意見は理解しがたい。
芸能人の葬式に変な格好の人間はいないけど、お別れの会みたいな場には普段着の人も多いだろ。
特にミュージシャンなんかだとコスプレも多いし、主催者も「賑やかに送ってください」みたいなことも言う。
それに対して誰が不謹慎だと言えるのかね。
もちろん秋葉原=コスプレじゃないし、否定的な目があるのもわかってる。
ただ、今回の件で言えば、
個人的には、レイヤーの人たちが、目立ちたいからとか、この格好が好きだからやってる、っていうより、
彼らなりに弔いたいって意志を感じるから、そんなに否定的には見ない。
そういう考えの人もいるってことで、
横だけど、花をあげたりする場所の話をしてるんだよね。
あれって普段着で行ってもいいところじゃないの。
自分がものを知らないだけで、喪服じゃなきゃいけないの?
そうじゃないなら、いきなり生ものを置くとかならともかく、誰にも迷惑かけないことでケチつけるのはおかしい気がする。
要は気持ちの問題でしょ。
同感。
「黒だからなんでもいいでしょ!」ってゴスロリの黒いのとか着てる
世間知らずのおじょーちゃんたちって感じがするですよ。
ちょっとそこは外しちゃいけないんじゃないの?って感じがする。
たとえば新宿や渋谷で今回の事件が起きてコスしてたら、あからさまにおかしいけど、
秋葉原だからなあ。
彼ら・彼女らなりに、「秋葉原でなくなった人を弔ってあげたい」という気持ちの表れであるから、
そこまで目くじらたてんでも、と思う。
それは増田のとらえ方であって、
正装で見送りたい
という考えもあるのだろう。
献花もしていない人が、してる人に対して文句たれるのは見苦しい。
思いこみだけで書かない方がいい。
更に言えば、それが正しいとか間違っているとかはおいておいて
そういう特異な状況を飲み込める場所だからこそ、今のアキバがある種神聖視されてるんでしょ。
チラシ配ってる人はほとんどコスプレ、女性かと思ったら中身男性、男性かと思ったら中身女性。そういうの普通に多いよ。
オタクだけのコミュニティなんだったらいいかもしれないけど、現状、一般人からも注目されている状況。
であるにも関わらず、コスプレ献花などという少なくとも一般人からすれば意味不明の行為をし、
チューリングマシンと句構造文法との関係から、量子チューリングマシンから量子句構造文法が導けないだろうか?
量子チューリングマシンのキュービットで、自然言語をコード化することできたら関係づけることができるか?
追記
語を球として考ると、球と球の接点を連接演算として群をなすだろう。
平面上における、構文木が
3次元上に、構文木状の球が連なったものがイメージできるように思う。
そう、「文脈」のあり方もこの考え方で変わってくるだろう。
考える価値はあると思う。
> 庶民に分配されてるより、一人の実業家が持ってたほうがいいってこと?
> そういう状況での庶民側のメリットってのも良く分からないんだが。
Googleは当初検索技術をYahooやMSに売り込もうとしたけれどうまくいかなくて、エンジェル投資家から1千万円くらい受け取って起業したんじゃなかったっけ。
もし、まだ海のものとも山のものともしれない技術に(当時、検索技術は一般には終わったものと思われてた)、*自分一人の判断で* ポンと1千万出せるAndy Bechtolsheimのような人がいなかったら、今のGoogleは無かったんじゃない?
(Googleが本当に社会に富をもたらしているかって議論はあるかもしれないけど、そう思うならGoogleを何か適当な成功した企業におきかえてくれ。こういうストーリーは珍しいものじゃない。)
いくつかポイントがある。
私財ではなく、ベンチャーキャピタルのように他人から金を集めて投資する、という形では成し得ないことがある。他人の金の場合は、失敗しましただめでしたじゃ済まないからね。
政府による補助金とかもそう。向こうは納税者に対する説明責任を果たさないとならないから、金の行き先は限られる。
どこに現れるかわからない次の時代の産業を担う企業を成長させるには、多様性を確保することがどうしても必要で、そのためには個人が自分の金を自分の判断で出せないとならない。
そして、数百万から1千万単位でいくつか投資するには、億単位の資産を持ってないとリスクが負えないだろう。
その人の持ってた1億を1万人に1万円づつばらまいたとして、1万人がある時点で一斉に「よしこのベンチャーに1万円づつ投資しよう」なんて考えることがあり得ると思うかい?
それとも、これまでにイノベーションを起こした企業の数々が無かった世界、彼らのもたらした技術とそれによる生活の変化が無かった世界に住みたいのかい?