試してみると、何かいっぱい出てくるけど(必要としないから)意味がわからない、(10個とかでると)どれを読んでよいのかわからない、(半分以上自分の求めていない)関係ないものばかり、変なところをクリックすると変なことになる(見知らぬサイトに行ってデザインが違うから戸惑ったりする)らしい。
だから、初心者が使うものじゃない(使えない所)らしい。
それはできた(やってもらった)。
なんつーか「初心者」が妙に敷居を感じたり細部を気にしたり選択を迷ったりするのは、慣れていないからですかね。
ヤフー知恵袋って、人力検索はてなのYahoo!版です。サービス開始も人力検索はてなのほうが早いです。人力検索はてなが、日本や世界で一番早くできたサービスということはないと思うけど。
で、人力検索はてなというのは、近藤社長が、当時既に存在していたYahoo!とかGoogleとかでうまく検索できない人のために、調べたいことを代理で検索してもらうサービスとして考えてできたものです。その名のとおり人力検索ですね。だから、人力検索はてなでは、過去に似たような質問があっても、同じような質問をして良いし、また、「過去ログ嫁」とか「ググレカス」とかの回答は、ふさわしくないと思います。Wikipediaに書いてある事項でも、質問者が満足すればそれで良いんじゃないですかね。
とっても暖かくてとろとろしてておちんちんが溶けそうになるくらい気持ちよかったけどなあ。
まだお互い下手だったり、相性悪かったりするんじゃない?
三回目に寝たあたりから俺が三回いくまでに五回彼女がいくくらいなレートになって、すんげーきもちいいけど。
充足感とてつもないし。
生きてても虚しくならない人は18歳くらいで決まっているんだよ
たまに「期待はずれ」「たいしたこない」みたいに言ってる人見て「ウソつけ!」って思ってた。
マンコの中ってとっても暖かくてとろとろしてておちんちんが溶けそうになるくらい気持ちいいかと思ってたよ!
でもホントーに期待はずれだったなあ。彼女には悪いから「ヤバイ!××のマンコ気持ちよすぎ」て言ったけど・・・。
うーん。。。これなら必死になって頑張ることもないなあ。。。彼女のマンコが悪いのかな。。。
横だが。
馬鹿であるかどうかは他人が決めること。
所詮人間、どれだけ客観的に見ようとしても主観の枷からは逃れられない。
仮にこの世の全員から「おまえはばかだ」と思われていても
「おまえらこそばかだ」と思える強さがあるなら、一人で孤高を貫くのもありだ。それは生き方だからな。仙人のように生きるのもいい。
うーん、日本の現状って
無責任のスパイラルに陥っていて、嫌な世の中の理由が民主主義にあるんだと
制度の悪弊が指摘されて議論が止まってしまっているように思えるけどね。
こないだどっかで
あなたの味方はあなたの知りたいことを教えてくれるが、
あなたの敵はあなたが知らねばならぬことを教えてくれる、
という言葉を見ました。
いくつかの局面を想定して、自分が知らないことは何か?どんな人に助けを求めるべきか?などなど。
その仕組みをいろんな学部で学びましょう。
あれ? これ一回の質問じゃ無理なんだっけ?
横だけど
俺は「馬鹿でもいい」とは思えないなー。馬鹿になるくらいなら死ぬわ。
馬鹿に対する憧れもない。馬鹿な俺なんて存在価値1ミリもないから、と思う。
元増田みたいなのもそう思ってるんじゃない?
やりたくなければやらなくていいんじゃない?
私はやらなかったよ。結婚しました葉書を親戚に出しただけ。周囲の知り合いには口頭での報告のみ。
でも何の問題も起きてない。
むしろ親族内ではその後それが流行った(笑)。私の後に結婚した従姉妹は同じ形式をとってる。
多分周囲はそれ程気にしちゃいない。
体面があるから仕方なくやるのとか言っちゃう人も、多分本当はちょっぴりやりたい気持ちがあるんだと思う。
そしてやりたいならやればいいと思う。
「英雄のいない国は不幸だ!」
「違う。英雄を必要とする国が不幸なのだ」
なーんて言葉を思い出したり。
だから、ある意味薄汚く、効率が悪いように見えるんだろうけど、
メッタに出てこない「英雄」をアテにするよりも、マシなんじゃあるまいか。
全てがくだらない。世の中の人が熱中する音楽、小説、テレビ、ネット、他にもありとあらゆるものを試してみたけど、全てがくだらなかった。どうしてあんな低俗でつまらなく、くだらないものを楽しめるのだろうか。理解に苦しんだ僕は先生に聞いてみた。
「先生。全てがくだらないんです。」
すると先生は笑いながら答えた。
「へえ、よくわかったね。そう、全てはくだらないんだよ。全てがくだらないっていうその考えと同じようにね。」
能町みね子さんの文章などで知っていますし自覚もしています。他者からもよく言われ、ネタとなっています。
こういう場合みんなどうやって解決していくんでしょうね。
世間とある程度折り合いをつけるというのはずっと考えていましたが、自分の一大事・かつ他人を巻き込む場合はそこらへんが厄介です。
20代後半・女。友達の多くが結婚してゆく。それはよくあることだし、いいことだ。
けれど一般の女たちはそこで「結婚式」を楽しむことで頭がいっぱいのようだ。
既婚者は「わたしたちの世界へようこそ」と手を広げる。そこに取り残されている未婚者のことはお構い無し。
結婚は忍耐である、とよく披露宴のスピーチでも言われるし実際そうだと思う。
だからこそ私は浮かれたくない。
「結婚式もゲストや親に感謝し楽しませるためのもの」「新たなる旅立ちで、決意を新たに」と思う気持ちと
「あんなひらひらのドレスを着る行為が、ばかばかしく感じられる」「ウェディング産業のボッタクリや煽りに、乗りたくない」という対極の気持ちがある。
ばかみたいにたのしいことばかりをしたくない(正月に骸骨を持って歩いた一休みたいな気持ち・・・)。
そしてなにより、こんなことでうきうきするような女になりたくない。ばか女だと思われたくない。