「かけうどん」の「かけ」かなぁ。
ほたら姫路城行ってみ。
ほじゃけど、後楽園もえじゃろ。
そがいなもんじゃ腹は膨れんけぇ、お好み食うてかん?ばりうまいで。
風情がないっちゃね。錦帯橋でもみなさん。ぶちきれいじゃろ?
たいぎいなったら道後温泉になとつかってつかーさい。
したらかけなと食うてこんぴらさんに行きおるとええちゃん?
数学っていうのは、難しい問題を等値な易しい問題に置き換える技術だと思う。
新しい言葉を上手に定義して、新しい視点を作り出す。
すると、あら不思議、難問が「どこかで見たことの在る問題」に!
微積が無かったら、本当に単純なモデルしか使えない(=解けない)。
代数方程式が解けなかったらと考えると、空恐ろしいものがある。
数学技術の発達に伴って、複雑なモデルが解けるようになっていく。
という意味で、
お前ら下から上がってきたデータを見てハンコ押す係だろ?
と、思う。
まぁテクノロジーについては多少知っててほしいけれど、
数学とか、下位レイヤーについては隠蔽してるくらいでいいんじゃないか。
(暗号技術とか情報工学みたいな数学と直結してる奴は別だけど)
「『オタク』だけで差別はしないけど、あんたは『イッチャったオタク』なんだよ、それで迷惑被ってるの」
ちゅう話か。
何度か言ってんだけど「オタク」ってどれだけ趣味に「時間や金を費やしてるかじゃなく」て、現実の人やモノに対する「バランス感覚が崩れたり、コミュニケーション能力とかを失ってる」人だと思うんだが。
「A.趣味が深い」人のことも「B.趣味が高じて、イッチャった」人のことも同じく「オタク」と呼称してるからこの問題はややこしくなってると思う。
一般人はBを批判してるのに、オタクはAを批判されたと思って、差別されたと感じる。
二つを区別する新しい単語が必要ではないか。
もう「オタク」じゃなくて「マンガDQN・アニメDQN・BLDQN」とか言った方がいいのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20080212223023
オタク以外の人は自分のテリトリー外の人の前で趣味の話はしないんだよ。強要もしない。
腐女子ってさ、自分の性癖を堂々とバラしてるようなもんでしょ?そこで開き直る意味がわからない。
どうしてもうちょっと謙虚になれないんだ。どうして心が狭すぎると言って私を攻撃してくるんだ。
「どうして数学って習うんですか?」
「数学が習うのではありません。数学を習うんです。数学を学ぶというほうがより正しいかもしれません。したがってその質問は『どうして数学を学ぶんですか?』がより正確でしょう。
こういうどうでもいい揚げ足取りをできるようになるために、数学を学ぶのです」
「………」
「嘘です」
>新しくて面白い友人を作り続けない限り、相対的に人間としての価値は下がる。
増田で吐き出せばいいじゃん!
「どうして数学って習うんですか?」
「1に論理的思考力を養うためです。2に物事を数式で表現しそれに数学のテクニックを当てはめることで問題解決ができるからです。
2の段階にまで行くのはなかなか難しいですし、実際使わない分野に就職する人もいるでしょう。
ですが、論理的思考力は養うために数学をいっしょうけんめい勉強するのはとてもいいことです。」
長いな。
「どうして数学って習うんですか?」
「論理的思考力を養うためです」
簡潔だけど、論理的思考力を養うことだけが目的なら将棋とかでもいいかもしれないから論理的におかしいんだよな。論理的思考力を養うためとか言っておきながら論理的に弱いとかってなんか救えない。
びっくりした。何かの冗談だと思ったけど本当の話らしい。
俺は昔から「面白い」「変なやつ」といったイメージで捉えられてきた。確かに学生時代は活動的だったし、特にサークルでの武勇伝が大きいのかもしれない。
でも実際に今の俺に目を向けてみると話が変わってくる。
いわゆるSE。SEがコモディティ化してしまった現在において、他社に対してさほど独自性が出せてないのは事実。
いわゆるパラサイト。実家が俺の原点。他の同期に比べると家賃が浮くので、経済的には重宝している。ただ、学生時代からなんら進化を遂げてないようにも見える。
いわゆる鉄オタ。お絵かきできる点は他の鉄オタに対して独自性を出せている。しかし一緒に旅をするような仲間がいるわけではない。
付き合いはしているんだけど、実際にどんな価値を生み出してるのかさっぱりわからない。会うようになってから結構経つけど、これ以上進展させる気は無いのだろうか。
俺の中で「絶対的存在感」を示せているのは、はてなで書いているブログだけ。俺のブログは日本の鉄オタ界隈ではデファクトスタンダートを確立しているので、今後数年は磐石だろう。
でも、その他はどう?
俺が就職してから僅か1週間で上司と喧嘩した逸話については知っている人も多いと思う。「俺っぽい」事例として社内外で話題となった。
あれから、3年。
俺は順調に成長しているのだろうか?
感覚的には2005年あたりが最も輝いていた時期で、それからは相対的に価値を落としていないだろうか。
未だに貯金が50万程度というのも驚くべき話だ。
これは社会人としては少ない部類に入る。
例えば、医師の友人は36万のシャンパンでも平気で開けるし、弁護士の友人の貯蓄は500万近い。
これが士業の資金力だ。
俺の成長が止まっていることがが端的に現れている例としては、こちらを紹介したい。俺の評価面接の結果だ。
「社内のインフラチームを率いてくれたのは大きな収穫でした。ウェブサーバーやメールサーバーの管理を担当してくれたおかげで、他のメンバーはスムーズに仕事に専念することが出来るようになりました。アプリケーション開発を中心とした仕事でも、また成果を挙げてもらいたいと思っています」
他のメンバーのためにサーバー管理をすることが重要なのは理解できるのだが、それは俺のやるべき仕事ではないのでは?もっとアグレッシブな分野の開発を手がけるべきじゃないかと思ってしまう。
他の奴等に仕事を振りにくいのは理解できるのだが、今後は俺も便利屋ではなく「なにかのプロ」を目指すべきじゃなかろうか。
医師や弁護士の友人たちだって、そうしてきたように思う。資格が転職市場での評価ポイントとなっているのは様々な所で言われているよね。
楽しい毎日を送りたい。
人生をもっと面白くしたい。
アメリカ旅行に行って、いつかここで暮らして、地元の人も雇って仕事を始めたいと思った。こちらでやりたい事はたくさんある。実際にアメリカに来てみて、新しい国での事業と、文化の違いを実感する中で、今後の人生について随分考えた。自分の事だけではなく、家族や友人との付き合いや、実現可能性などいろいろな問題について考えたが、最終的には日本に戻り、SEとして働くという判断をすることにした。
これを見る限り、当時はアメリカで一旗挙げようと考えていた。アメリカに来て、夢を追う様子が伺える。
こちらは就職して半年くらい経ったの俺の日記(2005年夏ごろ)。
実は、かなり焦っている。就職にしてから、全然友達が増えていない。サークルに打ち込んでいた学生時代と違って、新しい物事と出会う機会はもっとあるはず。知り合いはたくさん増えたはずなのに、友人が作れない。結構危機的。
当時よりも焦燥感は募っている。
新しくて面白い友人を作り続けない限り、相対的に人間としての価値は下がる。
頑張れ俺。
わかるなんてたぶんそう簡単に言ってはいけないんだろうけれど、それでも今自分もそんな感じで、ああ、わかるよって読んでしまった。
話しかけてはちょっとやめて、のあたりとか、そんな感じ。
気がついてくれないかなあって他力本願なことを考えながら、でも気がつかないで、とも思っている。
重たい人間になりたくないけれど、何の必要も無い人間でも居たくなくて、どうしていいのかよくわからない。
自分の中に厳重なルールがあって、その【自分ルール】がこれを誰かに預けてはダメだって言っている。
そして、自分の場合、預けたら最後、その相手を恋愛的に想ってしまいそうで怖い。
泣きたいくらい寂しい。でも、そうやって泣くことも寂しいと打ち明けることもうまくできなくて、毎朝起きるたびに、また、目が覚めてしまったなあと思う。死にたい、とか消えたい、という欲求より、「消えたほうがいいんじゃないか」っていう変な義務感のようなものがつきまとっていて、いつも不安だ。
自分で自分をたいせつに思うことができないのに、誰かがたいせつに思ってくれるわけないだとか、逆に、誰かがたいせつに思ってくれることがあればもうすこし自分をたいせつにできそうだとか、二律背反なことばかり考えてしまうので、当然思考が落ち着くことがなくて、常にバランスが取れない。不安定な感じ。
甘えていいよって言ってくれるひともいるけど、そのひとは自分とは別に一番大切なひとをもう持っているので、そこに負担をかけたくない。こういう気持ちって、どうすればうまく消化できるのかな。
前歯の裏側の歯茎が腫れて痛いよー。
物を噛むときに触れるとしびれる。
歯医者嫌いだけど、行くしかないのかな。
仕事終わってから行けるところあるのかな。
ううう、歯茎切って膿を出されたりしたら、泣く自信ある。
やだよーやだよー。
冷たい飲み物でごまかしてきたけど、おなかタポタポ・・・orz
もう早退してでも歯医者に行くか!・・・って元気でない。
でも、基礎は大事だよ。基礎以前、基本に至る道のりまで固執して分解するのが哲学さ。
柔軟に思考できて、かつ論理的な人はウェルカム。
「常考」を利用する人はアホというよりは
「自分の属するコミュニティ内の単語がそのコミュニティに属さない人にも通用すると思っている」人ではなかろうか。
……そういうのをアホというのだといわれればそれまでだが。
「その単語が一般的かどうか判断付くだろう常考」
みたいな使い方すればいいのか、これは。
いやどこよ?どこで誰がそんなこと言ったのよ?
それとも「こういうアホ」ってhttp://anond.hatelabo.jp/20080215141107←この子のことか?
おいらも一票入れよう。
誰が親身になれなんて言ったの?どこ?どこ?