2007年07月21日の日記

2007-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20070721085411

増田女性なのね

だったら問題ないっていうか良い事した気がするんだけど。

増田が男だったら恋が芽生えたかもしれん

ニコニコ動画の補助ツールみたいなもの

http://nicoboom.org/

再生数などの経過を追えたり。

細かい使い方は、

http://nicoboom.org/about

http://anond.hatelabo.jp/20070721063058

ここで増田が悲観主義をとる意味あるか?

彼女」の心なんて増田にわかるわけないだろ。

前も書いたけど、他人の心はわからない。

だから、けっきょく行動を左右するのは「自分がどう思うか」しかないんだよ。

限られた情報しかない、俺ら増田になにがわかるんだよ?

わかんないんだよ。

フラグかどうかなんてわかんない。

それでも「フラグだ」って信じて、前に進めって言ってんの。

片思いしてる増田に悲観主義すすめてどうすんだよ?

http://anond.hatelabo.jp/20070721063054

まあ、裏を考えたらキリがないしねぇ。

とりあえず「中国産に気をつけよう」でいいんじゃない?

http://anond.hatelabo.jp/20070721063054

馬鹿!黙ってろ!

そういうことを喋ったり調べようとするとな、竹田と同じ運命を辿るぞ!

噂によると竹田はな、

 

ん?誰か来たみたい。佐川かな。ちょっと行って来る。続きはすぐあとで書く

http://anond.hatelabo.jp/20070721011003

要するに価値観の相違でずっと平行線かー

まぁ常識とか「多数派の見解」ってだけだしな

大学グループ課題。

何で再履修の人間ってあんなに役に立たないんだろう。

とかぼやきつつこのまま今開いてるレポが終わんなかったら自分が再履修するハメに。

初めて会社をサボった

どうってことないな

おぱんつ見えてますよ指摘行為

http://www.ohmynews.co.jp/news/20070719/13294 を読んで思い出した。

当時私は受験生お嬢様女子大受験に臨むところだった。友達とキャンパスを移動していたら、制服スカートの裾がウエスト部分に挟まってスリップ丸出しおぱんつすけすけの女子がいた。おぱんつはすばらしい優雅なレースをあしらった純白のもので、受験用勝負ぱんつと思われた。たぶん試験前にトイレを済ませて、そのときに挟まったんだろう、ならこのまま試験会場に行ってしまうかも。私は反射的に彼女の肩を叩いて知人のようなそぶりで植え込みの陰に誘い込み、スカート上がってますよと囁いた。彼女耳まで真っ赤になって、もごもごとお礼を言いながら身じまいした。

さて驚いたのは同行していた友達の反応だった。恥かかせてかわいそうじゃん、余計なことして、と言うのである。えーでも誰も教えてくれなかったら面接もあのまんま受けちゃったかもだよ? でも今恥かかせることないじゃん、私なら教えて欲しくない、と彼女。…そうなんか? 私ならおぱんつ見えてたらそっと耳打ちしてほしいと思う。頭だけ隠して尻も隠せたつもりになってるダチョウじみたまねはしたくない。

で、いろんな価値観があるなぁとは思いつつも、私はその後同じ大学に進学した友達のパンツの尻が破れているのやらワンピースのジッパーが壊れてブラジャーが見えているのやらを指摘し続けて、その都度嫌な顔をされたのであったが、私はおぱんつ見えてますよ指摘行為をやめるつもりはなかった。なぜなら彼女は、スカートをはくと決まっておぱんつ丸出しでしゃがんでしまう尻の甘い私に、ぱんつ見えてるよと間髪を入れず指摘してくれる人だったからだ。もしかしたら彼女は、おぱんつ見えてますよ指摘行為は家族親友といった親しい間柄でないと行うべきでないものと感じていたかもしれない。赤の他人によるおぱんつ見えてますよ指摘行為>不特定多数おぱんつ見せ続ける>親しい人によるおぱんつ見えてますよ指摘行為、という恥の序列は理解できる。ともかくそれからも長い間、私たちはお互いによるおぱんつ見えてますよ指摘行為を行えるごく親しい友達であり続けたのであった。

ブログとかで文章書いたのをあとから読んだら、文体がめっちゃ硬かった。

読みやすく書いたつもりだったのになぁ。

これじゃあ、面白くはないな。

一緒にミニ四駆をやってくれる彼女が欲しい

真剣にセッティングして勝負がしたいぜ!

誰かいませんか?いたら紹介してください。

アマチュアなぼく

客観視は出来る、しかし目標や理想や戦略戦術を意識できない。想像できない。決定できない。実行できない。行動できない。実現できない。

負けてもいいかなと思えるようになってきた

今日日本戦怒られるかもしれないけど負けてもいいかなと思えるようになってきた。

だって、オシムかわいいし。

早くアニメ業界トトロオマージュとしてオシムを作って欲しい。寝てるデカオシムのお腹の上で寝転がる絵、めちゃ素敵やん?

http://anond.hatelabo.jp/20070721005144

えー?フラグ立ってる?どこに?

あんまり大学では友達つくろうって感じはないな。もうただ授業受けに来てる感じ。

これは増田に対しても当てはまっているように思えるんだけど。

フラグ立ってるなら、「大学で会った人」に「大学で友達作ろうって感じはしない」なんて失礼な事は言わない。

あと、彼氏いるのに楽しい事ないっつーのは「楽しい事はあるけど、あなたに話せるわけないじゃん」っていう拒否姿勢。

増田と話して盛り上がるような楽しい事は何もない、という事。

楽しい事は全部彼氏がらみの可能性が高い。

段ボール肉まん」は本当に「やらせ」か。

段ボール肉まんはやらせでしたってことにしよう、っていうのが真相なんじゃないかと。

http://anond.hatelabo.jp/20070720144200

俺は、こういう言葉が、結構好きだ。

真摯さとポエミーなのって紙一重な時があって、

明確な区別つけらんない時もあるなって思うけど、

でも、混同するのは違うと思うから。

んん、まてよ、そうする他ないから、そうしているというのか?

好きな人と

メッセが続かない。

話を振っても切られる。

たのむから期待させる事をたまにいわないでくれよ。

現在の自分の仕事

デザイナークリエイターアーティスト…。

横文字にするとなんだかカッコイイですよね。

僕は昔まで制作仕事に関わっている人というのは、

人に頭を下げて仕事をするサラリーマンよりも優秀で、

世の中で特別な存在なのだと思っていた時期がありました。

常に新しい価値観を生み出し続け、

皆があっと驚くようなアイデアを見せ、

自分の作り出すものが凄ければ、

自然お金もついて来ると思っていた時期もありました。

センスを研ぎ澄まし、

常に圧倒するような完璧な物を作り続け、

自分が納得のいく所までこだわり、

自分の力と作った物で皆を動かさねばいけないと

思っていた時期もありました。

自分はデザインだけを考え、

デザインだけに集中し、

デザイン以外の事を行うのは悪と考えていた時期もありました。

そんな考えも、今思えば非常に恥ずかしく、

もし、タイムマシンがあれば、

過去へ行き、そんな自分に酒でもオゴりつつ、

色々と、ゆっくりと話をしてあげたいと思うようになりました。

なんだかんだで、僕はプロとしてデザインお金を貰い始めてから

6年ほど経ちました。

まだまだ視野は狭いとは思いますが、

それでも、上に書いたような事を考えていた時よりは、

よく物事が見えるようになってきたかなと思っております。

久しぶりに深夜にテレビを見ていると、

いろいろなデザインを掘り下げる番組がやっていました。

はなちゃんの出ているアレです。

その番組デザイナー夢を与えるような、

素晴らしいデザインの製品やアイデアなどが取り上げられていました。

画面の中のはなちゃんは、興味深そうに製品にコメントをしていました。

でも、僕はあまり興味を感じることは出来ませんでした。

リアルさというのが感じないというのか、なんというのか、

非常に奇妙な感じがしました。

こんなものは自分の好みもあるのかもしれないので、

偉そうなことは言えませんが…。

僕は仕事に対しての考えのひとつに、

「僕がやっている仕事は別に特別な仕事じゃない」

という妙な意識を持っています。

そもそも「仕事」って何でしょうね?

僕は、仕事というのは、必要とされているものに対してサービスを行い、

その代価として報酬を頂くものだと考えております。

それは人間が相手であったり、世の中が相手であったり、環境だったり。

報酬というのも、お金であったり、スキルであったり、経験だったり。

求められている事に最大限に応えてあげる。

そんな事だと思うんですよね。

相手が何を求めているか、何に困っているのか、何を知りたいのか、

そして何を伝え、何を形にしたいのか。

最近感じているのが、僕の仕事というのは、

この「何を伝え、何を形にしたいのか」、

という要望に対して、クライアントや、

そのサービスを受けるお客様が喜んでいただけるように、

最大限のサービスで応えてあげているんだなぁ、

と思うようになりました。

クライアントの伝えたい意図をどうやって伝えるか?

昔の自分は、デザインという手段が目的になっていました。

今は、デザインというのはあくまでも手段。

自分の手持ちの武器のひとつと考えるようになりました。

案件次第ではデザインをしない時もあります。

その方が妥当だなと思うからです。

でも、それで仕事がまわり、

クライアントも満足し、

お客様も喜び、

世の中がちょっとでも良くなれば、

それでいいんじゃないかと今は思っています。

そう考えると非常に気楽というか、

変なプレッシャーというのが無くなった感じがして、

非常に精神的にも肉体的も楽になり、

仕事うまいこと行くようになりました。

この制作業界

非常にこのあたりの意識があいまいです。

アートビジネスの狭間を行ったり来たりするからだと思いますが。

だからと言って、日頃のデザインのセンスや力を養わない、

ということでもありません。

必要な時に期待に応えられないようでは、プロではありません。

でもこういう考えって、

いわゆるサラリーマンと言われる仕事だったり、

飲食関連等に代表されるようなサービス業と言われるものだったり、

みんな同じ考え方だと思うんですよね。

相手に対して最大限のサービスを行い、満足をしてもらう。

満足をしてもらうには自分には何ができるのか?

僕は今のところ、企業がうまく伝えれなくて困っている事を、

たまたまデザインという技を使って、情報を整理したり、

演出したり、根回ししたりしてスムーズに流してあげる。

もしくは情報自体を考えてあげる。

というようなサービスを行っている気がしますね。

なんだか変なテンションで長い日記を書いてしまいました。

これもあの番組のせい…、なのかな?

この日記も10年後の自分が見たら、

きっと恥ずかしいと思うのでしょうね。

ある意味楽しみです。

あ、最後に、コミュニケーションスキルと対人術と会話術。

それと相手に対する思いやりと愛みたいなものと義理人情

これが仕事で何よりも大事なものだと思いますわ。

 既存の曲を楽器別に録画し、その後1つの動画編集し仮想セッションにしたものを見ようと思ったんだが、著作権的なクレームが付いたらしく、削除されていた。ユーチューブの話。サイト内の動画を寄り集めて作成された編集物だったようだが、こいつで違反だとするとバンドで既存の曲をコピーしてアップするのもまずいのか。見たかったのに。

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