一昨日からご飯食べてないよ。
彼女に「あんたと食う量がいつも多いから食事代ぐらい多めに出してよ。しかも私は学生を卒業したばかりでお給料も低いのよ!」とキツク言われて、一応納得はしたもののガソリン代、宿代、駐車代はこっち負担。
会う度に自分の方が結局多く出してるので
自分の貯金は減る一方。
その上、彼女からは「一緒に住むんだったらお金貯めてよね。なんか貴方のお金の使いっぷり見てると本当に一緒に住む気があるのか考えちゃう」と言われる。
まずは自分の食べる量から減らしていこうかと
食事制限に出たというか、もう身体が勝手に受け付けないというか誰とも食事してなくないって気持。
「どうしたの?!」とか催促のメールは来るものの返信する気になれず、電話が来ても出ない。家族に「顔に元気がない」と言われ「大丈夫」と愛想笑いで返す。
暫く一人にしておいて・・。
近年、出生率の低下が問題視されているがこれにはちょっとした誤解がある。下がっているのは「知的水準の高い人間」に限った出生率であり、馬鹿は馬鹿みたいに発情し、欲望の赴くままにセックスをして、子どもを産んでいる。
馬鹿はコンドームを買う金がない、もしくは避妊の方法を知らないので、当然妊娠することになる。もちろん、中絶する金もないので、無計画に出産し、馬鹿だから教育を与えられないので生まれた子供は馬鹿に育つ。馬鹿に育っている子どもを横目にまたセックスをし、馬鹿を産む。こうやって馬鹿を量産する。
一方、知的水準の高い人間は教育にかかる費用や難しさ、それと避妊の方法を知っているので安易に妊娠する危険性のある行動はしない。結婚に対しても、様々なことを考慮に入れ、時間をかけて熟慮する能力があるので、衝動的に結婚することはない。また、知的水準の高い人間は同じく知的水準の高い異性とつき合う傾向にあり、こういったカップルは男女ともに社会のために頭脳・肉体を日々働かせているので時間的余裕がなく、さらに馬鹿と違ってセックス以外の娯楽を知っているのであまりセックスは行わないのである。
このようなことから、現在先進国に馬鹿が大量に発生している。近い将来その比率は大きく差がつき、馬鹿が圧倒的な多数派となり、馬鹿が社会を運営することになるだろう。知的水準の高い人間は全て骨となっていなくなる。機械は壊れたまま放置され、治されることはなく、新しく作られることもない。字を読める人間はいなくなり、知識の継承はなくなって、学問は滅びる。栄華を極めた現代文明は全て灰になる。
そして、再び原始的な世界がやってくるのだ。ウパー!
中野に住むと今度は杉並に住みたくなる。
杉並に住むと、次は世田谷にいく人と、武蔵野・三鷹にいく人とに分かれる。
世田谷の次は、目黒と渋谷へと分かれ、狭いのにバカ高い家賃を払う事になるか、二子新地をニコタマと言い張る、または狛江市は03だとかいいはじめてしまう。
三鷹・武蔵野へいくと、もう23区には戻れなくて、最終的に多摩市や稲城市にマンションを買っておしまい。
何がいいたいかというと、三軒茶屋最高!
http://anond.hatelabo.jp/20070329001737
http://anond.hatelabo.jp/20070329102146
俺も、30越えるまで一日3回以上オナニーしてたら、もう女の膣でイカなくなっちゃったよ。
一発目はなんとかなっても、二発目はもう無理。
プロの女性相手にする時は、相手にとっても遅漏の男は疲れるだけらしいしね。
やじうまWatch(3/27)から、
スラッシュドット ジャパン | 痛みのレベルを数値化する機械が開発される
まあ、やじうま自身もどこかから拾ったネタなのかもしれないし、/.のタレコミ人がネタをどこから仕入れたかも分からないけれど、出典無いのが気になる。
「損得」ってのが「お金」とか「モノ」ってこと'ダケ'だったら、同意しない。
農や林業を生業とする人々の生活レベルでの精神的充足はうらやましいばかりだ。身の回りのものは基本自分で作るみたいな、村の中の人々で手を貸し合って生きるみたいな雰囲気の中で、生きていることに対する精神的な満足感が育まれている。
農業に夢を見すぎなのでは?
自殺者もすごく多いんですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070329110719
そんな場所でも・・・。ユビキタスネットワークってすごいなって思った。
徒歩1時間なら車で10分かからないねぇ。
500m圏内にコンビニなんてないよ。最寄のコンビニは徒歩2時間の場所にあるよ。駅も徒歩2時間だよ。山越えるよ。徒歩で往復1時間の間に商業施設が2つくらいしかないよ。郵便局も農協も徒歩40分だよ。
という立地なんでanond:20070329105303で「ド田舎」と書いたんだが、anond:20070329105747に「半端な地方都市」と決め付けられた。半端な地方都市にも、家人のいない家に上がりこんで仏壇に線香上げてソファーに座って畑からもどってくる家人を待つ客人なんているんだろうか。
都会から半端な田舎(地方都市)に移住するとそんな思いもするわな。
とことん田舎なら気にもならない。どの家だって大同小異だ。
生まれも育ちも東京、両親の出身がド田舎(もちろんADSLなど通っていない)という自分には、農や林業を生業とする人々の生活レベルでの精神的充足はうらやましいばかりだ。身の回りのものは基本自分で作るみたいな、村の中の人々で手を貸し合って生きるみたいな雰囲気の中で、生きていることに対する精神的な満足感が育まれている。
が、人間関係面では最悪だと思う。表裏の差が激しく(表の顔がいいから助け合いがあるのだが)、伝聞による差別が日常的にある。
都会ではそのどちらも希薄になっているが、それが精神的に楽な場合も多い。プライバシーが隣人により踏み荒らされることもないし。
どっちが精神的にいいかっつっても、もともと土俵が違うので比べられない。それくらい違う。
名古屋駅前、新しい高層オフィスビルの建設ラッシュ中で、それを当て込んで
首都圏のファンドがどんどんマンションを建てたんだけど、ここらの人の意識は
駅前の好立地にマンションを買う金があったら、少々郊外でも家を買う方に
向くってのがあって、全然売れてねぇみたい。中部圏が好況って事で通ってるから
向こうの人たちはろくなマーケティングもせず値付けしたみたいですな。
確かに俺は人の友情壊す事が人生通して「得」になるのか、さっぱり理解できない。
他人の思考をバッサリと否定している人に言われると、名状しがたきものが胸の奥に渦巻きますが、永遠の革命主義者であるところのミーとしては重く受け止める所存であります。
ところで
ニートのひきこもりってのなら、まぁわからんでもないけど、俺は偽悪的にほくそ笑む楽しさよりも、友だちに囲まれている方が今も将来も「得」だと思うね。
偽悪的って言われると、まるで自分が善人みたいで神妙な気分になります。
この文脈だと「露悪的」のほうが正しいというか、どこぞの文豪の定義によると「偽善」の反対は「露悪」だそうですよ。
もちろん23区内だから職も多い。
その分物価もちょっと高いけどね。
それは週一で高円寺(チャリでいける)に買出しにいけば済むこと。
肉が100g28円で買えちゃうゾ!
かつ緑が多く一歩入ればタヌキとか住んでる。
「体験農場」システムがあるから畑を借りれば
東京にいながら本格的な農業が楽しめる。(23区内なのに農家がいる)
家賃も安い。4万円からはじめられる部屋選び。
どうですか練馬!
http://anond.hatelabo.jp/20070329103526
お話を読んでいたら、どんどん頭の中でシムシティの世界が構築されていきました。
ある種の病気だよね。
あ、もしかしてこれがゲーム脳なのか!!
トラバ返し
http://anond.hatelabo.jp/20070329104551
A列車やったことなかったので忘れてたよ。
すげーどうでもいい。
勃起しちゃって変態扱いされたらどうしようという恐怖感があるからでしょう。
じっとしてると意味も無く立ち上がる時があるからなあ、ヤツは。
ついでにもっとくだらないトリビア以下の話。
男性モデルを使って絵を描いた事がありますが、袋の方はタヌキでなくとも「風も無いのにぶーらぶら」するのが常。
ブラブラっていうかモゾモゾ?
某マンガのスナイパーが言ってた
「皮膚が風にさらされる時、筋肉はストレスを感じ微妙な伸縮を繰り返す云々」
というセリフは本当なのだなあ、と妙に納得した憶えが。
いやいや、それがお前にとって「得」ならばやれば?
確かに俺は人の友情壊す事が人生通して「得」になるのか、さっぱり理解できない。
ニートのひきこもりってのなら、まぁわからんでもないけど、俺は偽悪的にほくそ笑む楽しさよりも、友だちに囲まれている方が今も将来も「得」だと思うね。
いや、そう思わないなら構わないよ。
http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20070328/p1
こういう記事をみるたびに、都会の人が頭の中だけで考えたイナカ論だなぁと思う。そもそも商圏が駅前になきゃいけない理由ってあるのかな?
交通手段がマイカーにシフトした都市では、商圏は道路のあるところに生まれるわけで。土地の安いところを買い占めて大規模商業施設でも建てて、住宅地域と結ぶ綺麗で広い道路作って人を呼び込むのと、駅前を再開発して発展させるのと何が違うのかね。
公共交通機関は車を運転できないお年寄りなんかの人たちの足として、最低限の機能を提供していく必要はあるが、必ずしも地方の財源が公共交通機関と連動している必要なんてないのでは。
人生の大半をイナカで暮らしたものの実感としては、駅やら都心やらから何分のとこに住みたいとか、少しでも公共交通機関の恩恵にあずかれるところに必死で近づこうとする熱意のほうが異常に感じるんだけどなー。