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2010-09-07

農法の進化

農法の進化の過程を見ていると、紀元前から続く農業肥料との戦いであったことに気づく。

ヨーロッパの原始的な農法として二圃制というのがある。

冬に小麦を育てるのだが、その後はなんと一年間放っておき、休耕地にする。

これは別に農家が怠慢だとかではなく、そうしないと小麦が育つ地力が回復しないからだ。

次に北ヨーロッパに農耕文明が伝わってしばらくすると、三圃制というのがでてくる。

二圃制に加えて夏に大麦を育て、大麦→小麦→休耕のローテーションにする。

これは当時としてはかなり便利だったらしく、長く続けられた。

ところで、別にそんな面倒なことをせんでも成り立つ非常に便利な農法が古代にもあった。

氾濫を利用する方法だ。

メソポタミア文明エジプト文明、その他いろいろの文明の発祥地ではこれが非常に便利に使われていた。

土が枯れたら雑草に癒して貰うのではなく、川に流してもらい、新しい土を持ってきてもらうのだ。

そうすれば毎年なんの憂いもなく農業に励める。

現在では大河の氾濫など、人間に害があるばかりでダムでも作って治水してしまうものだが、化学肥料がなかった時代は氾濫は農業にとって非常に重要であった。

ところで、農地の地力とは、主に窒素分のことである。

大気中に腐るほど存在している窒素も、窒素酸化物などの形で地面に入らなければ植物が利用できない。

日本では古来、カミナリのことを稲妻と呼んだ。雲中で大放電現象が起きることで空気が灼かれ、窒素酸化物ができそれが雨に乗って地上に落ちる。無論、稲妻最初に呼び始めた人たちはそんな現象は知らぬだろうが、その関係性は知っていたのだろう。

窒素を大量に固定してくれる植物は、マメ科植物だ。

大豆などが有名だが、大豆肥料として利用されていた。日本では満州大豆を大規模栽培し、油などを取った絞りカス日本に輸入して肥料にしたりしていた。

化学肥料がいくらでも手に入る現在では、行われていないが、日本田圃では収穫後の田圃レンゲソウマメ科)を植えた。

幻想的な風景だが、昔は田圃に一面のレンゲソウが咲いていることが日常風景であった。(その蓮華は枯れる前に花ごと地面に巻き込んで肥料にした)

ヨーロッパ農業革命と言われるノーフォーク農法(輪栽式農業)では、クローバーを栽培した。

クローバーマメ科であり、この時やっと人間が「肥料を作る」という現象が発生した。

これまではずっと「肥料はどこかから持ってくるもの」だったのだ。(たぶんこの辺の意識の違いが近代近世あたりの歴史認識重要になってくるんだろう)

ノーフォーク農法は大麦小麦クローバーの他に、あまり地力を必要としないカブを育て、そのカブ家畜に食わせることによって家畜を年中飼育することができた。

クローバー家畜の糞でようやく、紀元前から続いてきた慢性的肥料不足は改善されるようになったのだ。

その後の化学肥料農薬の現代農法が確立されるようになり、肥料の問題は(少なくとも量的な側面では)農業から消滅した。

今や肥料をえるために四苦八苦していたのは歴史の事柄である。

2010-03-24

世界史を知らない奴は文明人として落第です!

典型的世界史履修者の実態

ローマ帝国ギリシア帝国?の違いが分からない.

古代ルネッサンス時代が 西暦でいうと 何年から何年に相当するのかが曖昧

モンゴル帝国と 元 の違いが分からない.

・元という国名から推測するに,漢字が得意な「中国人か何か」が支配する国だと思っている.

もちろん,元寇中国人による日本へ侵略行為だと信じている.

メソポタミア文明の時代には,

アメリカ大陸アフリカ大陸日本列島には

人間は1人も存在せず,野性動物が支配していたと信じている.

ちなみに旧帝卒(地理履修)です ('・ω・`)

2008-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20080824170333

せっかく真っ当な主張をしているのに、なんで世代論を持ち出すんだろう。

そのせいですごく胡散臭くなっている。

そもそも、あなたが「非常に多く目にするようになった」からといって、それが世代全体を象徴するとは限らない。

あなたは部分を見て、それを全体だと思い込んでいないか?

若者批判というのはメソポタミア文明時代から行われてきていることであり、それ自体に大した正当性はないにも関わらず、それを知らずに「今」の若者が本気で自分たちの世代より劣化していると思っている馬鹿どもがいるから、実にたちが悪い。

あなたはその近視眼的思考を「猛省」すべき。

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