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2009-01-31

ホームレスの親父が死んだ

誰かに聞いて欲しかったので長文になるかもしれないが書かせて頂く。

自分は29歳サービス業勤務。

休日が不定期なのだけど昨日は休みだったのと

大雨だった事もあり昼間からネットに張り付いていた。

一人暮らしの雨の日なんてのはこんな事しかやることがなかった。

そして退屈し始めた15時頃携帯に見知らぬ番号から着信があった。

見た事ない番号は取らない事にしてる為に無視していたのだけど

そのあと16時頃、姉(既婚)から電話があった。

警察から電話があったんだけど、○○(俺)何か心当たりない?」

というジョークから始まり勿論心当たりなど無いにも関わらず

内心ドキドキしながら

「あるわけねーじゃん(笑)」と返す。

そしたら急に真面目になった姉から帰ってきた言葉

「心して聞いて欲しいんだけど…

パパが死んだって警察から連絡があったから確認してほしいって」

親父が死んだ?

あの親父が?

親父とはもう14年会っていない。

勿論、姉と母だってそれ位は会っていないだろう。

親父は小さな町の寿司職人だった。

自分の店を持ち、俺達家族を養っていた。

だが元々酒癖が悪く店の経営が上手くいかなくなった事もあり、

DVに耐えきれなかった母は俺が中学卒業と同時に姉と俺を連れて家を出て行った。

3人で家を出た事はそれまでに何回かあるので、

多分親父も帰ってくるんだろうと考えてたと思う。

家を出て半年親戚づてに連絡が来て、

母と姉と俺で親父と会った時にはちょっと痩せて昔みたいに坊主になってたが

まだ俺の記憶の中の変わらない親父だった。

その時に家に置いてきたものを取ってきたかったので、

先に帰るといって姉と二人で家の鍵を使って家に入った。

店は運営してなかったと思う。

もともと母と経営してた為に親父1人じゃ運営出来なかったんだと思う。

家の中はほとんどそのままで十何年と飼っていた犬は居なくなってて

猫達もいなかったが、猫達は家の裏の竹やぶにいた。

「ごめんな」と姉と言いながら御飯を置いて帰った。

これが俺の中でのあの寿司屋と親父の最後の記憶だ。

今思えば親父は普通の小さな人間だった。

達兄弟も可愛がられてなかった訳ではなかったし、

酒を飲んで豹変する事さえなければ母にも優しかった。

ただ荒れた生活が何年と続き、

家を出る1年程前から家庭内暴力もかなり酷かった。

ある時は母が暴力に耐え切れなくなった時に

子供だけなら大丈夫だろうと1人で親戚の家へ避難した。

そして親父が酒を飲んで暴れたので、

俺と姉は部屋に逃げていたのだが、

呼び出され俺は頭を靴で何十回と叩かれ嘔吐が止まらず、

救急車で運ばれたりもした(呼んだのはびびった親父)

またその頃は既に体格的に親父に負けてなかったので、

暴れた時に一発ぶん殴ってやろうと立ち上がってこぶしを握ったら

包丁を持ってきて「刺してやんぞ」と凄まれた事もある。

そして家を出てから親父に会いに行こうと思った事がない。

3人の生活で完結していたからだ。

もう親父と会う事はないと決めて忘れようとしたんだと思う。

別に悪い思い出だけだったわけじゃない。

むしろ楽しい思い出も沢山あったのに会いに行くことは無かった。

家を出て数年後母親から店が更地になってた事を聞いた。

長くなったので話を戻す。

姉から電話が来て姉の会社社長さんに送ってもらい

母と姉と俺で警察まで行ってきた。

一度市外に移り住んでた俺達3人だけど既に1人暮らしだった俺は

仕事の都合で元実家と同じ市内に戻ってきてた。

まず警察の話を聞く所によると親父は市内でホームレス暮らしをしていたらしい。

市内といっても外れのほうで、河川敷近くだったという。

死んでた時はアスファルトの上で息絶えてたという事だった。

近隣住民の話だと1年前位から住んでて親父がいつからホームレスなのかは分からなかった。

親父の身元が判明したのは診察券を持っていて

(昔酒で内臓がやられて入院した事もある)

さらに万引きで捕まった履歴があり指紋が全部合致したので間違いないという。

待合室で安置室の準備が整うまで待たされる間に死因不明だったという事で、

解剖をしなければならないため母がサインをしていた。

この時までは正直実感が全くなく「早く終わらせて帰りたい」という気持ちしかなかった。

結構待たされたが30分位して準備が整い安置室へ通された。

警察の人に白い布をめくって貰い顔を見せられ、

そこに居たのは見覚えの無いやせ細った老人だった。

無理もないと思った。

最後に会ったのが46位の親父で目の前にいるのは60位の老人だったのだから。

母も俺も姉も確証が持てず何度も顔を見たり特徴を思い出し体の傷やらを見せてもらったが、

その時点ではなんとも言えなかった。

結局こちらは墓がないので遺体を引き取れず警察の方から

親父の実の兄弟に連絡して、そちらに引き取ってもらう事になった。

親戚付き合いが元々そんなになかったので連絡先が一切分からなかったためだ。

警察の人は「こういっちゃなんだけど」と付け加えて

奥さんは他人かもしれないがお子さんは血の繋がった親だからと

引き取るのを薦めていた)

警察の人が「最後に線香をあげてください」という事で

確証が持てないその老人の最後に顔を見て線香をあげた。

線香をあげてる時ですら俺は他人事のように思っていた。

最後に警察の人が「持っていた物があるので見ますか?」

という事で遺留品?を見せて貰った。

外国の紙幣となぜか古ぼけたロレックスの本体と

濡れてしわしわになった一冊のノート

そのノートを若い警官が持ってきてさっきから説明してくれていた年配の警官

指示されて無理やり最初の1ページをめくると自転車の車体番号と

親父の実家の住所が書かれてた。

母は「間違いないです、そうです、○○の田舎の住所です…」と泣いていた。

さらに寿司屋の屋号が書かれた自転車があるという事で

「なんて書いてありましたか」と俺が聞くと自転車置き場に案内して貰って自転車を見せて貰った。

自転車は見た事ないものだったが自転車にはしっかりと寿司屋の屋号と

あの家の住所が記されていた。

そして若い別の警官が来てもう一つノートがあってそこには

俺の名前と姉の名前がしっかり書いてあったと聞いた時、俺は泣いていた。

ああ、親父が最後まで忘れず心の依り所にしていたのは俺と姉だったのかと。

俺の人生の半分を一緒に過ごした親父。

その俺も親父が居なくなって人生のもう半分が過ぎようとしている。

貴方は何を思って冷たいアスファルトの上で逝ったのだろうか。

恨んでいるのだろうか仕方ないと諦めていたのだろうか。

惨めな生活を送っていたのだろうか。

それなりには生きていたのだろうか。

俺と同じくらいにはあの頃の生活を思い出していたのだろうか。

ダダをこねればおもちゃを買ってくれていた貴方

包丁を突きつけた貴方も夜中車で飛ばして海へ連れて行ってくれた貴方

お使いにいかない俺を叱り飛ばした貴方

その夜出前のついでに熱帯魚を買ってきてくれた貴方

沢山全部今となってはあったかどうかもあやふやな程実感のない

貴方との懐かしい思い出です。

今となってはもう何も話せない親父。

親父は今日火葬され叔父に引き取られていったそうだ。

長文すまんせん。

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