近年、「(特定の性別)らしさ」に囚われない世界が目標とされているが、そこで「心の性別」という言葉がよく使われている。
もちろんこの言葉は理解されやすいかもしれない。しかし、自分は「心の性別」と「(特定の性別)らしさ」に囚われない世界は真逆であると思っている。
というのも「心の性別」は「(特定の性別)らしさ」から来ているもの、つまり男女の固定観念、つまり解消することを目標とされているものから来ていると考えるからだ。
真の「(特定の性別)らしさ」に囚われない世界とは人を(性別学的なもの心理的なものどちらの)性別で見ずに個人として見ることだと思う。
そもそも「心の性別」なんて存在しない。すべての人はノンバイナリーなのだ。
Permalink | 記事への反応(1) | 13:03
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