ちゃうわ。
アルガスやウィーグラフやディリータは、現実的といえば聞こえは良いが、要するに現実に妥協しとるんや。
あの3人は、踏みつけられる事に怒ったまでは良かったが、自分が踏みつける側に回る事を正しいと思い込んだ。
意地の張りどころを間違えて、ただ甘さを捨てる事が世の中に処する道と思い込んだんや。
ラムザが、ルカヴィに堕ちたウィーグラフを惜しんだのは、理想を掲げていたウィーグラフが現実に負けて変節してしまったからや。
それは処世術という意味では正しい方向でも、信義は失う。信義を失えば、友を失う。愛を失う。
自分を通す強さが無いために、節を曲げ、弱い者を踏みつけて自分のためだけに利用したから、彼らは地位を高めた代わりに孤独を深めたんや。
エンディングのディリータなんてその帰結や。アルガスやウィーグラフより上手くやったつもりになっても、結局のところ誰もそばに残らん。
ラムザは現実に逆らって甘ちゃんである事をやめないから、多くの仲間に支えられとんのや。
裏切らない、踏みつけない、利用しない。
それを通すから、まったく立場の違う多くの人達に支えられたんや。
つまるところ、力というのは重荷を背負うためにあるんや。
ラムザはそれを履き違えなかったから、最後まで重荷を背負えた。
ディリータはそれを履き違えたから、本来背負いたかったものも含めて重荷が全て無くなって何も残らなかった。
そういう話や。
逆「リア王」やな
極端な解釈。 エンディングでは、ディリータもラムザも、それぞれの生き方を純粋に貫き、その代償をそれぞれに負った(ディリータは刺され、ラムザは歴史から封印される)ことが描...
そういう役回りを平民の三人に背負わせ、貴族の主人公はあくまでもお綺麗な英雄をやらせるところが何ともグロテスク
ラムザも傭兵という強盗強姦略奪稼業に堕した時点で人のことをどうこう言える立場ではないがな。 直接描かれていないが『暗黒剣士』カフガリオンの下についていたところから推して...
「それは処世術という意味では正しい方向でも、信義は失う。信義を失えば、友を失う。愛を失う。」 中国の故事みたいだ