という話に対して、
ということだから、
「男がいるからOKという話」なのかどうかは始めから関係ないんじゃないかな。
逆に寧ろ男を出してほしいのになんで温泉むすめでは「採算性的に」無理だったのだろうか的なことになるのかもしれない。
まあ、建前上地下鉄の収益を目的としてないから採算度外視でも良かったという流れになるのかもしれんけど。
でも自分の知ってる範囲だと京都市営地下鉄も大概赤字に苦しんでるところだったし、キャラクターコラボに集客の意図がまったくないわけでもないとする
考ええがあったとしても不思議ではないと思う。
男性のポスターを作ると蘇民債がそうであるように男は気持ち悪いから掲示するなと女性が表現自由を弾圧するんだよ
すくなくとも京都市営地下鉄ではそういう話はなかったと捉えてるけど ってか多分そういうのを無視してでも利益が出るほどの採算性があるのかどうかみたいな話でもあるのでは