今のペースで保存を続けていけば、いくら公共団体たる規模の大きい施設を以てしても、早晩限界を迎えるだろう。
そもそも、歴史的事物の保存にはどんな価値があるのかを見直さないといけない。
どのラインを越えれば、「歴史的価値がある」と呼ぶべきなのか。
どのラインからは、今生きる自分たちの利益を犠牲にしても、その保存に費用をかけるべき価値があるのかということを。
私的なコレクションとは違い、なんでもかんでも集めればいいというわけではないのだ。
そして今はデジタル化ができる。事物をそのまま管理保存する必要なんてないはずだ。
私は歴史というものに嫌悪を抱き、過去を存在しないものとする「5分前仮説」を好む。
それは、過去を失いさえすれば、過去に受けた他人への恩を全て帳消しにできるから。
それが観光資源であると思える範囲で保存すればええんちゃうか。