2021-05-03

歴史的事物の保存はどこまで行うべきなのか

今のペースで保存を続けていけば、いくら公共団体たる規模の大きい施設を以てしても、早晩限界を迎えるだろう。

そもそも歴史的事物の保存にはどんな価値があるのかを見直さないといけない。

どのラインを越えれば、「歴史的価値がある」と呼ぶべきなのか。

どのラインからは、今生きる自分たち利益犠牲にしても、その保存に費用をかけるべき価値があるのかということを。

私的コレクションとは違い、なんでもかんでも集めればいいというわけではないのだ。

そして今はデジタル化ができる。事物をそのまま管理保存する必要なんてないはずだ。

私は歴史というもの嫌悪を抱き、過去存在しないものとする「5分前仮説」を好む。

それは、過去を失いさえすれば、過去に受けた他人への恩を全て帳消しにできるから

御恩という債務から自由に過ごせるから

今この時点から生き直せるのであれば、他人に引け目なく明るく生きれる気がする。

過去に受けた他人からの恩というものが私は重く感じられるので、私が過去を思い出すことは滅多にない。

  • それが観光資源であると思える範囲で保存すればええんちゃうか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん