2020-07-19

うちのじいちゃんはエボシ御前だったのか

さな鋳物工場を営む家に生まれ育った。

社長わたしのじいちゃん

鋳物作りはまさに きつい・汚い・危険3K労働だ。

そのため、キューポラの音はうるさいわ、型を作るための砂が飛ぶわで、近所から公害呼ばわりされていた時期もあったという。

一度、工場から火の粉が飛んで隣家のヤシの木が炎上したこともある。

そんな過酷職場(加えて安月給)は人手不足も甚だしく、軽度の知的障害精神障害の人が貴重な戦力だった。

給料のほかに障害者の自立のための基金にも寄付をしていた)

とは言え、彼らは危なっかしく、聴力の弱い人もいたので、工場はいつも怒号が響いていた。

その中の一人がかあちゃんに殴られるというのでわが家に匿ったことがある。

別の従業員が友人の家に金の無心をしていると聞き、顔から火が出たことも。

ずっと、そんな生家のことをどこか恥ずかしく思う気持ちがあった。

ものづくりへの誇り」で補おうとするけど、それだけじゃ拭えない気持ち

けれど、今日わたしの心はバランスを取り戻し、これまでにない平和がおとずれた。

うちのじいちゃんもエボシ御前だったんだ。

もっとも、じいちゃん鋳物工場を始めたのも、勤め先が廃業しそうになってやむなく手を挙げたのだと聞いている。

乙女には少々キツい境遇だったけど、エボシ御前にならずにはいられなかったじいちゃんを誇りに思う。

そして、「もののけ姫」をますます好きになれたことに とても感謝している。

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