2019-10-18

輸血してもらって生きていて、献血してくれた人には感謝しかない

数年前に病気で大きな手術をした。

その時輸血もしてもらった。だから私は生きている。

元々体も弱く、献血できない身体だったが、もう献血できることもない。

それだから、今回のポスターの件があるから献血しない!と公言している某男性フェミニストや一部の学者が心から許せない。

でもそれは個人自由から否定はできない。でも許せない。


繁華街を歩くと、献血者があり本日〇〇人足りません!献血をお願いしますと。

休みの日にはいつも掛け声がかかっている。

それを聞きながら、私は「ああ、あの手術の時輸血してくれた人がいるから今の私がいるんだ」なんてそんな高尚なことをいつも思うわけでもなく、

いつも大変だなあくらいにしか思ってなかった。


でもやはり輸血してくれた人がいるからこそ、私は手術ができて今でも生きながらえているのだと思う。


みなさんお体にはお気をつけください。そして身体と心に余裕がある人は少しだけでも献血してあげてください。

もちろん男女問わずグッズのためにでも献血ルームで食べ物が食べたいでもいいので動機は構いません。

そしていろいろな事情献血できない人がこの世にはたくさんいることも覚えておいてください。

  • これに限っては輸血した人が正義で、輸血してない人に発言権はない

  • キモオタの血を輸血されてキモオタになった人か

  • 庶民から貴重な血液を無償で搾り取ろうという発想に疑問を覚えていて、 売血じゃなんでいかんのかとは思っている。

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