法の厳格な運用が出来ず、なし崩し的な現場判断で慣例的な運用しかできない。
そのくせに、表向きにはモラルや努力を可視化することばかり重要視する。
コンテンツそのものに金を払うという意識など、そもそも日本人にはなかったのではないだろうか。そのコンテンツにアクセスすれば共同体に承認されうるチャンスを持てる(アクセスしなければ承認されない)といういわば義理のような感覚で、アクセス料としてコンテンツに対価を払っていたのではないか。
今そのアクセス料が未だに生きているのはライブやグッズにおいてだ。インターネット上にあるコンテンツは、インターネットにすでにアクセスしている以上、インターネットへのアクセス料のみで本来手に入れられるべきものだ、という感覚が日本人にはとりわけ強いような気がする。
こんだけ主語がでかいと揶揄されることの多い場で、なんでそんな主語を設定するんや どうかしてるぜ
法の厳格な運用ができている国はどこですか?