デモを行なう中で動員数を誇示したり、街中で大声で怒鳴り散らかしたり、大通りを塞いだりすることは、多数者でなければできないことのまさにそれであり、社会に生きる人々の自由闊達な生活を妨害しようとする行為であり、およそ投票に並立する民主主義の権利の行使であるとは思えない。
デモとはこのような、議論を否定しようとするものとは正反対のものであり、数がものを言う投票では示すことのできない、多数派とは異なる有用な意見を持った少数の人々が自分の考えを発信する場であり、そういった有用な意見を政治に取り入れて民主主義を豊かにするための仕組みではないのか?
多分今まで俺が日本で言う「デモ」に違和感を感じてきたのは潜在的にこういうふうな考えをしていたからだろう
どうにか、ああいう風な「デモ」が続けられることも、デモの存在が否定されることもなくなって、デモが投票に並ぶ民主主義の柱として根付くようになってくれればいいんだけどな
そもそも、「多数」や「少数」とは何を基準にしたものなのか? デモで数百人、もしくは数千人を動員したとしして、それは社会における多数派からしたら、微々たる数字でしかない可...
それ、君がマイノリティーを経験してないか 社会に対する興味が薄いからじゃないかな?
つまり君はデモが嫌いと言ってるだけなんじゃないかな?
見つかりそうか?
社会に生きる人々の自由闊達な生活を妨害 されても守られるべきマイノリティーの権利とかも有るんじゃないか? 結局君は 「俺の日常を妨害するな」 と言った主張を「民主主義」と...