2015-10-29

曰く、それはその人が思う「最後の拠り所」なのだと思う

「どうしようもなくなったときに、それでも(強いて言えば)これを蜘蛛の糸としよう」という原型がその人の専門になるのだろう

それは対話であり、集団であり、芸術であり、薬であり、行動であり、社会資源であり、国であり、家族であり、社会であり、地方であり……

そこには、その人の“良い対象”があるからこそ、それを専門とするのだろうから

心理職として、力動に偏ってしまう者として、自制しなければならない

所詮は個人が見る、世界の切り取り方なのだから

どの経路で、どの形態で「本当の幸い」を見つけるのか、何を“良い対象”とするのかは、常に相手が決めることで

こちらの用意した全ては利さなければならないし、道具であるべきで

「何が出来るのか」こそが良き問いになるのだろうか

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん