2013-06-24

かつて制限選挙だったころ、税金一定以上支払うことが選挙権を持つための条件だった。

そうした人たちは勿論資本を持っている人々だ。ただし、たんなる資本を持っているだけではなかった。

産業教育要職歴任したり、地域役員だったりする。学校つくったりとか、舟運を整備したりとか、産業組合を結成したりとか。

そしてそうした役割に耐えうるだけの知識や教養を持っていたし、あるいは持ちうる環境にあった。

そうした人が、政治的判断力を持つとみなされ、投票に及んだ。

ひるがえって現代ではどうだろうか。現代では長い間の闘争によって成人の普通選挙が実現している。

だが、人々の政治への関心や政治的な判断力はどうだろうか。

かつての選挙権を持つ人は、社会の様々な動向に携わるからこそ政治への関心を持っていた。自分の活動と政治が近いところにあったのだと思う。

だが凡百の私たちは。

投票率が上がらないのはなぜだろうか。人々の政治的関心が薄い(と言われる)のはなぜだろうか。

政治について判断できない、あるいは判断する必要のない層ってのが選挙権を持っているからではないか

  • そういう層に阿呆が多いのはその通りだけど、 そういう層にも阿呆じゃないのがけっこういて、 そいつらは選挙権が無いと暴力革命を起こそうとしたり、社会を不安定にするわけ。 だ...

  • 昼間に見かけた文章。 http://anond.hatelabo.jp/20130624142154

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