2011-01-03

7年目の鬱

7年前、僕は鬱になった。

あんまり考えずにはいった某メーカー系の系列SIでSEをやっていたが、2年目にして、屑なプロマネにあたり、仕事をしないこのプロマネと、お客の板挟みにあって、結局僕が全部プロジェクト管理して完成させた。昼間はプロジェクトの進捗会議に一人で出て、親会社10歳も上の人たち相手にやりあって、夜に定時を過ぎてから自分設計して、新人の後輩2人と外注のプログラマ2人で必死に終電までプログラムを書いていた。

仕事をしないプロマネは当然定時で帰り、本社から部長とか、本部長が覗きに来た時だけ仕事をしているようなふりをしていた。

納期間際に新人が「もう出来ない」と言って辞め、外注の上司職場に来て、使えないプロマネと「何やってんだ、あんた!」みたい喧嘩を始めたと思ったら、プロマネは何を思ったか、「いや、仕切っているのはあいつだから」と僕を指差した。僕はその外注上司新人時代に一緒に仕事したことがあって、僕の顔を見るなり「え?」という顔をした後、僕を喫煙所に誘った。僕はまずは謝罪をした後で、事情を説明すると、彼は「わかったよ…あんたんとこの本社へ行くわ」と言って帰っていき、3時間後に本社部長から直接僕の携帯電話があって増員で5年目のSE3人をあてる、と言われた。

ただ、仕切るのはお前だ

部長は続けた。もう、その覚悟は出来ていたし、そのほうが効率がいい。事情を把握していたお客さんもかばってくれたし、増員の先輩たちも色々アドバイスをくれて、最後は僕とその先輩SE2人の3人でお客さんの品質審査会議クリアしてプロジェクトは終わった。丁度GWの前で、僕は1週間ぶっ倒れた後で新人女の子の指導役だけやらせるから、他は何もしなくていいから、という事で本社まったり勤務に復帰した

だけど、僕は1週間後にはもう身体が動かなかった。そしてそのまま1年間休職

そして7年。いまだに睡眠薬向精神薬は手放せない。あの「使えないプロマネ」は今は飛ばされて本社の人事部付で窓際になってる。僕は奴への殺意を押さえつけるのに毎日必死だ。

  • 7年か、、。その激務の直後だったら「でもそれすっごく成長してるよ」と事実のいい側面を言って多少気持ちを楽にしてあげられたのに。 でも実際、その仕切る経験とか約に立ったで...

  • 最初はそうやって理由があったんだよね。 仕事もういややわとか、なんだかモチベーションがわかないとか、燃え尽きたとか。 それを1、2ヶ月ほうっておくと、そもそも理由があった...

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