2010-09-21

卒論の見本求む。

ゼミで指導する側からの話です。末尾にあるように内部向けに書いていたのだが、明らかにゼミ生向けではなくなってしまったので、増田行きとしました。)

卒論を書くのに身近な先輩の卒論読んではいけない」ということをゼミ学生に言ってもなかなか理解されない。半分ジョークだと思っているのかもしれないが。

もちろん、研究室継続的に行なっている一連の研究であれば、内容的に引用したり、データを参照するためには、「見る」必要はある。

ただ、卒論がどんなものか、何を書けばよいのか?というイメージを得るために、先輩の書いたものを読みこむのは決定的に間違っていると言わざるをえない。残念ながら。その意味で見本として満足なフォーマットを満たした、うちのゼミ卒論はほとんど存在しないのだよ。ほとんどの場合時間切れタイムアウトの残骸なんだ。

なお、卒論というのは建前はともかく、実態はあくまで単位(と技能)修得を一つの目的とした演習課題だと私は思っている。なので、本論が貧相でも、本論を作り上げる上で膨大な作業をこなした場合、優れた着想を自ら考えた場合、などは本論の品質の評価基準が甘くなることもある。そのようなこともわからず、結果として残されている論文だけ真似て作ることは危ない。

それは私の指導力不足でもあるので申し訳ないというところもあるが、まあ半分以上はなんとなく「なあなあで」卒業できるという日本大学の持つ恐ろしい特性に起因するのだ。

言うまでもないが、手本とすべきものを間違ってはならない。もっとも、手本にした結果、残念な出来だからといって、落第させてやるほど私は親切ではないので、さほど心配しなくてよいが。ただ、余計な指導の回り道は避けたいというだけだが。

もっとも、では他に何を参考にしたらよいか?と言われると、文系一般でA4で数十ページ書くようなタイプ卒論の参考になる文章形式はそれほど多くないというのも同情すべき点ではある。

私がよく知ってる学会の和文学論文であれば、せいぜい1本2万字弱の文章で書く事が求められる。だが、長い伝統なんだかどうかよく分からないが、私の勤務先ではなぜか卒論はA4の(スカスカの)フォーマットが指定されており、それ以上の分量(ページ数)を無意識のうちに求められるような気がする。(今少し検索してみたら、3万字「以上」とか4万字「以上」とかを課している大学もあるみたいだ。決してうちの学科が特殊というわけでもなさそうだ。一方、工学学会論文(梗概形式、2段組、せいぜい4P~8P)は分量的にはもっと少ない。多くて図表込みで5千字程度だろう。自ずと書くことが厳選される傾向がある。その方式だと、ロジック実験の方法をちゃんと書けば手早く論文っぽいものになるというメリットもある。余談だが。)

もともと文章の論理展開をしっかり作る技量が不足している初学者に、長い文章を課すというのはやっぱりナンセンスな気がする。一方で、論理が未熟ながら、というか期待しないが、とにかく調べて何か文章を書けというレベル課題としては納得ができなくもないが。それって意味あるんかいな?そんなんだったら大学名乗るのやめようよ。と毒づきたくもなる。

つまり、今の文系卒論とやらはその形式が特殊すぎて、まともな見本が存在しないという状況にある気がする。だれか素晴らしい見本があったら教えてください。

お前が書いたらと言われるかもしれないが、経験上、自分が書いた論文を見せても絶望プレッシャーを与えるだけでまず参考にならない。自分も書けそうと多分大学4年生に思ってもらえるような「手本」を書くのは大変そうだ。でも一度やってみようかな。一般向けの学術書を書くのと似てる気がする。

誰に向けて書いているのかよくわからなくなってきたが、卒論の時期に向けて、学生の皆さんにはとにかく頭をよく絞って書いて欲しいです。あんまり追い込みすぎないで早めに片付けましょう!

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