「プログラマという職業は『ふつう』の人には厳しくないか」というエントリーにまつわる、様々な反響を見てふと思うことがあったので、匿名で書いてみようと思う。
プログラマーという仕事は、普通の仕事と大きく異なる部分がある。成果物であるプログラムの品質は、労働時間に必ずしも比例しない。長く時間をかけたとしても、駄目なプログラムは役に立たない。
業界の一部で横行している、無駄なロジックを何度も書くと言った行為は本来評価すべきではない。バグの巣窟になりやすい、コピーアンドペーストなんて論外だ。本来、プログラマーに求められるのは怠惰さともいえる。オブジェクト指向にせよ、いかに同じロジックを書かないかという目的もある。
むしろ、短期間に集中して無駄の少ない簡潔なロジックを書くことが求められるべきだろう。長時間の労働はプログラムの質を低下させる。長時間やったほうが効率が上がるというプログラマーは、本当に集中して仕事をしていない。個人差はあるだろうが、本気で仕事をしてれば、10時間もやっていれば疲れが出てくる。納期前日はともかく、平常は無理をしても全体的なパフォーマンスが落ちる。
労働としては、コピーライターに近いと思う。こんな少ない文字数の文章に、いくら払っているかと思われるだろうが、労働の質が異なるのだ。品質の高いプログラムを書くためには、技術情報収集をしたり、風呂に入ってぼんやり考えたりといった、「仕込み」が効いてくる。この仕込みが最終的な成果物につながる。
しかしながら、こういったプログラマーの仕事は一般的な労働の尺度では理解しづらいだろう。自分がある程度プログラムを書いたいた人間は、ある程度理解できるだろう。しかしプログラミング経験の浅いプログラマーはそれを理解できない。上流SEと称して、発注伝票を切ることしかスキルの無い連中は、そういった感じではないだろうか。
さらにいえば、体育会系の人間にはそのあたりが理解できない。体育会系といってもイチローや中村俊介のような卓越したスキルを持つわけでもなく、絶対服従と忍耐力だけしか能の無い連中だ。彼らは、成果物イコール労働時間と考える。だからプログラマーが「怠惰」であることが許せない。彼らが評価するのは労働時間だ。
僕は、体育会系で有名な大手元請けのプロパーとして働いていた。そこで働いているうちに、仕事のスタイルに疑問を持つようになった。そういった疑問や無力感が重なっていき、精神を病み、今でも後遺症に悩まされている。幸いにも生活保護を受けられているのがせめてもの救いだ。
日本の情報産業はもう駄目だと思っている。中国、インド、韓国はもちろん他の新興国にも追い抜かれる可能性があると考えている。僕の見てきた限りでは、業界の病巣は根が深い。個人的にはプログラマーがゼネストでもして、たちの悪い元請けを一社潰すくらいのショック療法を行わないと、状況は変わらないと考えている。
プログラマーに限った話じゃないが、「労力と成果は比例する」とか思ってるクズって何なの? 「少ない労力で大きな成果をあげる」のを目指すからこそ、会社の成長も、社会の発展も...
中村俊介は『サッカー選手じゃ無い方』。元日本代表のMFは、「中村俊輔」な。 wikipedia:中村俊介 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%BF%8A%E4%BB%8B