はてなキーワード: プロパーとは
最近、スポーツが、軽音楽(バンド活動)並に、社会不適合者を育てるのではないか?と思うようになった増田です
(ヤベー口の利き方するプロパーがかなりの割合いる某社を見て)
まぁ体育会系の有害さと、男女のあれそれは横に置いといて・・・・
筋肉貯金、体力作り、運動による脳内物質のコントロール、これらの有用性については異論ないです
きっちりやっていきたいよね・・・
ただ、発達にありがちなこと言うと、協調運動に問題あるから、それ以前の問題なんだよなぁ・・・
(もちろん、発達のアスリートやフィジカルワーカーもいるので全員ではない)
ジム行っても筋トレすらロクにできないよ・・・トレナーつけても全然効いてる様子ないのよな
めっちゃ運動負荷の低いサークルトレーニング用の機器なら、まぁ運動音痴でもなんとかなるけど、
うちの常駐先の管理職の40代の男性、さっぱりした髪型をした中肉中背の快活な男性で、イケオジに分類される方だと思う。そして、プロパー社員のみに人権があるその会社において、派遣に対しても気さくに話しかけてくれるし、スーツや髪型を変えたら軽く話題に触れてくれる程度には変化に敏い人でもある。
しかし、昨日自販機コーナーで20代くらいの女性のプロパー社員がおしゃべりに花を咲かせていたのだが、内容がその男性管理職についてで、まとめれば「一々髪型の変化とかに触れてきてきしょい。セクハラ親父かよ。人事に訴えたい」みたいなものだった。
「髪切った?」はとりあえず話をふくらませるきっかけとしてタモリの会話の手法としてよく使われる定番手法だけど、あれはタモリだから許されるのであって、一般男性であればイケオジに分類される方であってもセクハラ扱いになる。タモリメソッドを使っていいのはタモリだけと言うのがよく分かる一幕だった。
ツッコミどころとして、何で私みたいなのがいたのにその女性社員は話を続けたかについてだけど、この常駐先は先述の通りプロパー社員にしか人権がなく、派遣社員はただのモブかNPCである。
直接指示を出す管理職であっても(今回のイケオジ管理職含む)名前や苗字で呼ぶことはなく呼称は「派遣さん」だし、直接関わることのない平社員や他部署の人間であれば、こちらから挨拶しても無視するような社風である(しかし挨拶しないと教育がなっていないと速攻で会社にクレームが入る)。今回の件も、派遣社員である私がモブかNPCでしかないことから、私がそこに居合わせても話を中断する理由にはならなかった、そんなところだろう。
この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会のトラウマを思い出したので書く。
新卒で就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人材派遣を行う人材派遣会社だった。
当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社の看板も、営業網も使えていた。
それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。
だからか、当時入社するプロパーの入社式はそれはそれは華々しく行われていた。
いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。
プロパー新人が記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。
派遣会社の事務所長から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。
簡単で事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である。
課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。
周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。
15インチスクエア液晶とDELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。
当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。
それから数日して、プロパー新入社員が挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月のお盆明けからだが、と聞かされた。
何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。
すごいね。
元グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって。
すごいね。
そうして彼らプロパーの新人が新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。
忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というものが存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事の特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。
このように同じ職場のメンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである。
いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。
さて、この内容を何故標記の増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったからである。
時は流れて8月。プロパー社員の新人が正式に職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である。
今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会と忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。
私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。
そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。
なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事で必要だから」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである。
偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。
今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。
ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットである。もっと具体的に言うとこの増田、はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。
そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。
みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。
さて、その後だが、元グループ本社のブランドが使えなくなり、営業網から外され、元グループ会社が格安で担っていた間接機能を自分でやらなければならなくなり赤字に転落。
元グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社が転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれ、プロパー社員のボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社の組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件の改悪、激変が続く事になる。
当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単なビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。
同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社の系列のグループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社)からではなく、他の派遣会社からの人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社の機能に依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。
さらに賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外のEMSに出されるようになっていった。
しかし、プロパー社員と派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統、食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。
ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラは黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である。
そのタイミングで、元グループ会社本社が最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。
そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社のグループ内向け派遣会社であるからである。
かつて敷地内にあった派遣会社の事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。
そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社に正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。
もちろん、断った。
会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業の工場で地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。
だから自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。
さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。
そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足のタイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。
引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社がグループ本社に吸収合併される事が決まった。
本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社の正社員になることができた。神風が吹いたと言える。
そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢の新入社員一年目が、悪夢のホテルでの夜が頭をよぎるのである。
だからみなさん、相手の所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから。
また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである。
頑張ってほしい。
仕事において、責任の所在がわからない、ボールを取りこぼすシーンって多々あると思うけど
別の従業員のせいで自分の仕事が遅れたり、増えたりってのがよくある難問だと思う
というか、遅れる理由の半分以上は誰かのせいだ
プロジェクトにコミットするのであれば、ある程度そこの改善に貢献するべきなんだろうけど
せめてプロパー側にも解決のために手を打って欲しいとは思っている
最低限、そのせいで遅くなっているというのを理解してくれればありがたいんだが
他のエンジニアでは、そのボールを絶対に拾わないタイプの人が一定数居る
まあそれも生存戦略の一つだと思うんだけど
例え話のところが正直わかりにくいのと、話の筋がどこへいくのか(編プロの話なのか漫画家の話なのか自分の話なのかプロパー若手編集者の話なのか)がわかりにくくて読みにくかった。
結局A先生は当初の持ち込み企画を連載できたということなのか。
お体大切になさってください。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
倉田真由美氏「ミス日本」の定義に疑問 ウクライナ国籍変更モデル優勝に「日本的美しさと違う」 - 芸能 : 日刊スポーツ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/entertainment/news/202401240000719.html
differential
ミス日本のご本人のページ見てきた。
『5歳の頃から日本で育ったため中身は日本人そのものです。 そのギャップから自身のアイデンティティに悩みました』
2024/01/25
この混乱しきったコメントが☆1位。
はてな―って善人を目指す意思だけはあるけど頭が悪いんだよね。論点が切り分けられない。
なんの問題についてもきちんと自分の脳を使って考えるということを怠り
「何と書いたら善人席に座れるか」みたいなパターン処理をやり過ぎてるせいでこうなってると思う。
この「ジンシュサベツダー!」も「可哀想な元ガイジン女に同情して見せるのがここでの正着」って思ってるだけ。
当人達は多分イイコト言ってる善人のつもり。
じゃあ切り分けて行こうな。
日本に帰化してて愛国心も強くて日本人としてのアイデンティティを持ってるのに
モデル業で「ミス日本」という一つの最高峰をゲットした功績に対して一部の日本人から疑問を呈されてて
生まれ持ったウクライナの血の彫の深い容姿を否定的に論評されてて可哀想。
肉体的にウクライナ人のカロリーナさんが「日本的な美」って言われてもどうしようもないのに
こんな感じだよな?
以下に解説していく。
倉田が「こんな奴日本人じゃねえ!」って言ってるならそれは酷いぜ?
それなら俺も倉田を許さん。
椎野カロリーナさん(26)さんはきっちり帰化していて他に母国を持たない日本人だ。
何より自分の所属する日本の社会や風土や文化を愛していて貢献しようという意欲に溢れる愛国的な日本人だ。
これだけの条件を満たしてるなら100点満点超えてる。どんな肌の色やどんな顔してようが仲間であり大事な同胞だよ。
でも倉田が言ってるのはこうだ。
カロリーナさんがどれほど日本にコミットしている愛国的日本人であろうとも、精神と容姿は別のことだ。
愛国心だけで優勝できるパトリオットコンテストじゃねえんだよ。
これが認められねえって言うなら恐ろしいぞ。
おっさんの俺が「私は容姿端麗な18歳女子高生です」つってミスコンや女子大入試に参戦するぞ。
外形的な要件の欠格を言われて「アイデンティティを否定された!」って言い出すあのクソみたいな論法やめような。
(ここの感覚を切り分けられないアホがよくミスコン反対とかもやってる。)
まして白人の日本人とか黒人の日本人とかだと、小中学校で容姿をあーだこーだ言われるような可哀想なイメージがあるよな。
https://www.instagram.com/karolina0824/
美人業界の人、己の容貌で人生を渡ると覚悟した美人競技出場者だ。
こういう人が容姿について論評されるのは不当でも何でもないし可哀想でもない。
否定的な論評であってもそうだ。
一般人に身体が弱いとか脚が遅いとか太ってるとか言ったらいけないが、プロ野球選手になら別に言ってもいい。
「そんな体重だから守備が下手なんだよ」とか「太ってても打球飛んでねーんだから痩せろよ」とか言っていい。
まして倉田の「美人だけど日本的な美じゃないんだよね」なんてまるっきりセーフの範囲のただの感想だろ。
テーマに有利不利があるなんて当たり前だろ。
先天的に不利なんですね、不運ですね、というだけだ。
そういうことと変わらん。
モデルやりたくて美人なカロリーナさんは十分恵まれてる強者で、
「でも「日本的な美」ってテーマでこのでっかい目や口や高い鼻はどうなの」と言われている、
こんなもん不当でも可哀想でも何でもねえわ。
濃い顔が好感される傾向のミスコン狙って無双してやればいいじゃねえか。
もう一回☆一位コメ貼るけどさ、
differential
ミス日本のご本人のページ見てきた。
『5歳の頃から日本で育ったため中身は日本人そのものです。 そのギャップから自身のアイデンティティに悩みました』
2024/01/25
倉田はカロリーナさんが日本人であることやそのアイデンティティについては一言も否定してねーだろ。
単にカロリーナさんの肉体的造型及び当日の髪や化粧や表現について
「私の考える日本的な美ではない」つってんだ。
これのどこが人種差別なんだよ?
繰り返しになるがミスコンってのは自分の肉体で勝負する競技会だ。
カロリーナさんのウクライナの血は顔平たく身体も平たい日本女の中で「目立つ」という有利に働いたはずだ。
(言っちゃえばウクライナではそこまで目立つ容姿でも人気のある容姿でもないないなんて可能性もある)
一方で日本では「濃すぎる」とか「日本的美ではないよね」とか言われて不利に働くこともあるだろう。
それら全部ひっくるめてカロリーナさんという競技者の手持ちの武器っつーだけだろ?
カロリーナさん自身も凡庸な容姿の一般女性と自分を差別化して美人業界を這いあがってきた美人戦士だ。
カロリーナさんが差別されてるとしたら容姿差別ならされてるが、それは上等の世界で生きてるんだよ。
一方でカロリーナさんは帰化人であることを問題にはされてない。少なくとも倉田はそんなこと言ってない。
これで何がどう人種差別だっつーんだ?
そういう言葉を使う時にもうちょっと慎重に考えることが出来ないんなら、
それはお前等こそが差別という問題を軽く考えてるという証拠でしかない。
cinefuk 国籍が日本でも、5歳からずっと日本で暮らして日本の義務教育を卒業しても、
「平たい顔」じゃないと日本人になれないんだなあ
こいつとかもな。
倉田は「カロリーナさんが日本人であること」は一言たりとも否定してないじゃん。
お前は一体何を読んでコメントしてるんだ?
こういう日刊スポーツ記事程度の文量すらちゃんと読まずにいい加減極まりないコメントを平気で書きつけることが出来るってとこ自体
こいつが差別問題なんて少しも真剣に考えてない証拠とみていいと思う。
正直に言いなよ。
あんたにとっては差別問題なんてネットでくっだらねー党派性石合戦するための具でしかねーんだろ?
ichi404 調べれば調べる程ミスコン自体辞めるべきって思う。辞めればこういう疑問も無くなるのだから。
2024/01/25 リンク yellow122yellow
こういう奴とかもね。
人類を皆殺しにすりゃ―差別問題なんてなくなるねーって感じか。
ねえ、こういう奴が何かを真面目に考えてると思う?
一見善人ぶったポーズをとりながら何一つ真面目に考えてない連中って言うのが沢山いる。
そういう奴等って何と評価すべきなのかな?
Fuggi
そうかもな。
そこの議論で倉田と戦うなら俺は別に関知しないし罵ったりもしない。
ここではあくまで倉田が言ってもいない
「人種差別」「日本人アイデンティティの否定」を指摘してたやつらに
差別について真面目に考えた形跡がないと思わんか?
ただ、ミスコンなんてものの選考基準は陸上競技の順位に比べりゃずっとガバガバで、
倉田だろうが誰だろうが優勝者への不服というのは言っていいし
それに対して「俺様定義」「難癖」なんてことは言えない筈だぞ。
(だってお前らミス日本の募集要項ページ見て何言ってんのかわかる?)
「いいやこれこれこうでカロリーナさんこそ日本的な美の代表者なんだよ!」
という反論なら言っていい。
「何をおっしゃる私こそ日本的な美を体現する者ですぷっぷくぷー」と言えばいいよな。
「これからグランプリ王者として日本の美を表現していったるからチェケラ!」
でいいんだよ。
どうせよくわからん基準なんだからそれこそ当人の心意気ひとつだ。
こんなこたあ俺なんかに言われなくたってミス日本という勝負に立った時点で覚悟完了してると思うけどね。
yajicco 差別の話は可哀想とかそういうことではない。オリジンで差をつけるなと言っている。「ガイジンはミス日本に相応しいとは思わないな。やっぱり日本人でなきゃ」は差別なんだよ。しかも要件に書いてすらいない。
2024/01/26
同じ能力なのにオリジンで差を付けられるのが「差別」であって、
オリジンから発した能力や形質について評価を受けるのはしかたねーことだろ。
俺はお前の反論が頭悪いからいま「バカか?」と言う評価を下してるが
お前の頭の出来だって祖先の誰かからの遺伝なのかもしれない。科学的にはそうだ。
けど俺が見てるのはここに現れたお前自身の頭脳のパフォーマンスなんだから
「それは私の祖先が問題なのか?」って食い下がるのは違うだろ。そんな話はしてねえよ。
祖先から受け継いだ容姿や知能で戦っていくのは仕方ないことだろうが。
な?論点の整理が出来ないだろ?
これだけクドクド言っても全く理解出来てないこの頭の悪さ。
こいつらはなんとなーく「なんか可哀想だと思う!」これだけ。
頭が悪く不真面目で怠け者。
善はぼんやり目指しただけで達成出来ると思ってることなんだよな。
それなりの精進と能力がなければ善になんてたどり着けないってことがわかってない。
善人っぽいポーズだけキメたらあとはちゃんと考えなくても怠けてもいいと思ってる。
善を舐めてる。
shinonomen
可哀想かどうかと差別かどうかは関係ない。例えばイーロン・マスク氏は全然可哀想ではないが、来日したマスク氏に「外国人の入店はお断りだ」と言ったら差別だろう。
あのさあ、
なんで「可哀想ではない」って書き方したかはきっちり述べてあるだろ。
・「ジンシュサベツダー」って言ってるけど人種差別じゃねえじゃん
・そもそもこいつらは差別という概念をきちんと定義も出来てないじゃん
・ボンヤリ頭の「なんか可哀想かも!」というボンヤリ感情を「サベツ」と発話してるだけだろ
と。
その上で
uchya_x 可哀想って何?
とかいうふざけた事を言うなよって話だろ。
2024/01/26
それはなんらふざけてねーし不当でもねーよ。
要するに「差別」だけでなく「美」というものも全くわかってないよね、ボンヤリ頭くんたちはさ。
美ってのは差別だ。
何か理想が設定され、そこに近付いていく。
食事制限で脂肪を削ぐぐらいなら上等で、多くは人間まるごと削いでいく。
俺もお前も生まれ落ちた時点でワガノワに入れないことが決まってる。
これが美だ。
「頭の大きさ、手足の長さ、比率的に言ってあなたはバレエの美を満たしてません」て追い返される。
これはふざけた話か?そうかもな。
だが美とはそうしたものだ。
これが気に食わねえって人がいたら、
君が反対すべきはミスコンやバレエ団なんてチンケな物ではなく「美」そのものだ。
美に踊る己の心を厳しく観察し滅尽する修行の日々が始まるということだ。
でもそんな覚悟はねえんだろ?
日々あらゆる美を楽しんで執着しておきながら、ミスコン見たら「え?これ差別じゃない?」などと寝言を垂れる、その中途半端なモラルをどうにかしないか?
何よりこの場合はカロリーナさん自身がある種の基準の美と言う差別のレースに乗ってんだ。容姿差別は上等、人から与えられる基準も上等、だってそういう競技会だからよ。
差別だって言うなら今「あんたの美貌は日本の美じゃない」って言われてるカロリーナさんだけでなく、「あんたの美貌は出場水準じゃない」って言われた大勢の予選落ち者だって同じように差別されてんだぞ?
お前等が好きなアイドルも俳優もキャラも何もかも、ある種の基準を勝ち抜いた差別レースの勝者だぞ?ちいかわやポケモンですら可愛いキャラレースの勝者だ。
……ってなことを少しでも考えてから
お前らにそんな言葉使えるほどの知能はねえだろ。
という話をしていました。
katsyoshi 可哀想だから差別しちゃいけないんだっけ?(頭だけ読んでみたら差別肯定する無駄な文章だった
2024/01/26
引退後の生活なら昼間に家にいるだろうけど、現役世代はそもそも昼間は自宅にいない。
余剰電力は売電されるが、無慈悲な売電価格だ。活路は余剰電力で夜の電気需要を賄う節電なのだけど、蓄電池がめちゃんこ高い。
判断基準は補助をどう活用するかで、補助金なしでプロパーな価格で導入は現実的ではない。
それ用の設備投資は必要になるのだけど、そこはそれほどではない。
ただ、これには致命的な欠点がある。
昼間の余剰電力を夜に使うと翌朝車に乗れないし、昼間に車で出掛けてしまうと、その間の太陽光発電の余剰電力は今やタダ同然の売電価格だし。
なんだか絶賛的な評価が多いみたいようだが、社会学は門外漢だけに、個人的にはモヤモヤが残った。
前回は上野千鶴子や吉見俊哉、大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者も社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端の社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たとえば落合恵美子が実証的な観点から上野千鶴子を強く批判する論文なども収録されていたのですが。
そのころから比べると、社会学も大きく変わりました。どちらかといえば、より地味な、地道な、実証的なスタイルで調査研究をおこなう社会学が求められるようになったのです。今回の『岩波講座 社会学』では、そうした社会学者が中心となって執筆します。特定の対象と特定の問題に、特定の理論と特定の方法を携えて実直に調査研究を続けるような、そんな社会学者たちはこれまでたくさんいたし、いまもたくさんいます。いま、この社会にとってほんとうに必要なのは、「職人的」な社会学者なのです。
要するに、この講座のシリーズ全体でおこなうのは、社会学そのものの再定義です。もっといえば、これは「本来の社会学」へと立ち戻ろうとする試みです。社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない。私はすでに、2018年に有斐閣から出版された『社会学はどこから来てどこへ行くのか』という対談集で、そのような趣旨のことを述べています。
まずここで説明されるべきは、「地味な、地道な、実証的なスタイルで調査研究をおこなう社会学が求められるようになった」理由であり、そしてかつてはそうしたものが忌避(あるいは小馬鹿に)されていた理由である。例えば、社会学という学問の発展の結果なのか、社会経済的な環境の変化や取り組むべき新たな社会問題の登場の影響なのか、社会科学研究全体のトレンドの変化の影響なのかが、きちんと説明されるべきである。上の文章はそうした説明が一切なく、以前の社会学は中身がからっぽだったが、自分たちが「地味な、地道な、実証的な」ものに改善したという、それこそ中身が空っぽなことを言っているだけに過ぎない。
「社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない」というのも、別に社会学に限ったことではない。具体的には見田宗介や宮台真司のことを言っているだろうが、30年以上前には「大風呂敷を広げた預言者」は、哲学者の浅田彰など、社会学以外にも数多く存在していた。現在だと斎藤幸平や成田悠輔の名前が「現代の預言者」として思い浮かぶが、彼らは経済学者である。社会学者で思い浮かぶ名前はもういない(古市は軽薄ではあるが預言者的では全くない)。
そもそも、「地味な、地道な、実証的な」をくどいほど強調している点で、おそらくはSNS上の社会学バッシングを気にして怯えるばかりの、自分たちの中身のなさを暴露している感じがする。本当に「地味な、地道な、実証的な」人は、そんなことは口が裂けても言わない。ネット上の悪口など意に介さず、自分の研究にコツコツと取り組むだけだ。「大風呂敷を広げた預言者」についても、そうした人がなぜ必要とされるのかの現代的な状況について丁寧に分析・説明するだろう。
そして後半は、紙の本との出会いが大事だというノスタルジックな感情論に終始している。もちろん世代的に共感できなくはないが、30年前からの情報環境の劇的な変化と今回のシリーズの編集方針との関係について、社会学者として何か分析的な議論があるべきだろう。
細かいところだが、「巻数も26あったと記憶しています」って、なんですぐ調べないのだろうか。「地味な、地道な、実証的なスタイル」な人は、そういうところから絶対に手間暇を惜しまない。そもそも、岸氏はネット上の発言しか知らないのだが、それらを読む限り、経済政策論にも安易に口を挟んだりなど、「地味な、地道な、実証的なスタイル」の人には全く見えない。