はてなキーワード: 根無し草とは
受験前1年間の塾代
地方出身でここまで出してもらえるのが恵まれていたという話もあるかもしれないがこれでスタートライン
卒業し5、6年して未だに遊んでいる同級生の実家の太さが気になり出す
結婚するから親にマンションもらうだのニートしてても一生暮らすには困らなさそうなのが複数人
うちが貧乏すぎるのか周りが恵まれてるのか分からなくなってくる
現状の稼ぎに差がないだけに経済的な自由度が違うのにいい年なのにモヤモヤしてしまう
身の程を知れば問題ないとわかっていながらも、
引っかかってしまうのをやめたい
口に出してひがんだり羨ましがりはしないけれど、この幼稚な思考はどこからくるのか
原因は私の家庭問題とか、大学で上手く行かなかったことも多くあるけれど、結婚期間ふくめて8年の付き合いだった元夫も原因の一つだったように思う。
彼は私と一体になりたい気持ちが強かったように思う。
付き合い始めて3ヶ月目くらいの、喧嘩したときに、図をかいて説明してみたことがあった。私はホワイトボードの中心に点線を描いた。そしてその線をぐにゃぐにゃとはみ出してる図を描いた。
「私が言いたいのはこういうこと」
私がそう言うと彼は、「○○が俺に、はみ出てきてるってこと?」と言った。
彼に逆の解釈をされて少し驚いたが、いずれにせよ、お互いの領域を超え出るのは良くないという話をした。
「○○は根がない根無し草だから、俺がグラウンドになってあげるよ」と彼は私に告白するときに言った。
私は彼をかっこいいと思っていたので、「試用期間1ヶ月くれるなら」と言って付き合い始めた。
彼は、私のことを深く愛してくれていたように思う。彼の愛情表現がどうだったものであれ。
ただ、私は彼によく「私はあなたのお人形じゃない」とよく訴えていたように思う。彼の愛し方は人形を愛するようだったように私は感じた。
彼は、私の身の回りのなんでもしてくれた。彼は私にとても優しかった。私がうつ状態でうごけないときは彼が掃除をして食器を洗って。私の髪の毛を乾かしてくれたこともあった。
ひどい喧嘩がよくあった。私と彼の間では価値観が大きく違っていた。私は、「私は私、あなたはあなた」という考えが強い。一方で彼は彼が元カノと共有していた価値観、「苦しみもはんぶんこ、楽しみは2倍」。私は彼からしたら冷淡な人間だったのだろう。私は冷淡な価値観しか持てていなかったので、彼の価値観に惹かれた。そういう価値観を持ってみたかった。
彼がインターンシップで私と2週間ほど疎遠になることがあった。私は夜の大学の帰り道彼と電話していて、そのときに知り合いの男子留学生とすれ違った。そのときに彼は私が電話で喋ってると気づかずに話しかけてきたので「I'm talking with a friend」と言った。ボーイフレンドという言葉に小恥ずかしさを感じてそう言ったのだった。そしたら電話越しにそれを聞いていた彼は怒り始めた。怒っていたというより、泣いていた。私は大学から家までの帰り道に彼と電話で喋りながら歩いていたが、彼をなだめなければいけないと思い、何時間も外で彼と電話した。その日家に帰れたのは深夜の2時を過ぎていたと思う。
その日くらいから、私は自分は冷酷な人間なのかもしれない。もうすこし彼のいうような関係を目指そう、と思って自分を変えていった。
試用期間1ヶ月も待たずに大きな喧嘩をした。が、むしろその喧嘩は癒着を強くした。私達はこの後8年間付き合うことになる。
しかし、なんだか付き合い始めてから3ヶ月もすると、うつ状態がひどくなった。毎日泣いたり、大喧嘩したり。楽しいときはとても楽しいのだけれど、次第にうつ状態の日々が多くなった。
象徴的に思うのは、彼が私に鳥を撮った写真を見せてきた際に、「まあ、いいとおもうよ」みたいな態度をとってしまったときのこと。彼は私を喜ばせるために写真を撮ったようだったが、私が喜ばなかったので怒った。というか不機嫌になったあと怒って、泣いていた。「俺はこんなに○○のことを思っているのに、どうして」とよく喧嘩の時に言っていた。一方で私は「私の思考までなぜ彼の思う通りじゃなきゃいけないのか」という苦悩の中にいた。私が悲しかったのは、彼に同意しないと悪意や敵意にしか受け取られないこと。彼は「いつも周りに認められないのだから、せめて私には認めて欲しい」と言ってきた。最初は「私はあなたのお人形じゃない」と言って反抗していたけれど、そうすると彼が大荒れするのが目に見えるようになったので、笑顔で彼を受け入れるようになっていった。
私の部屋がいつの間にか血まみれになっていたことがある。喧嘩して、私が外に出ている間に彼がコップを割って、手を怪我したようだった。壁に血が散っていた。今思うと、大した怪我ではないし、私が先日ざっくり怪我をしたときのほうがひどかったと思うのだが、私は当時、動揺してしまった。しかし、動揺してる様をみせるのは良くないと思い、冷淡な態度を装って一緒に病院に行ってあげ、問診票など私が代筆した。彼は「病院で処置してくれた男の人にかわいい彼女さんですねと言われて俺にはもったいないですよ、と答えたよ…」と言った。私はそんなヒロイックな彼があまり好きではなかった。
あと、私は彼が彼が不安になったり不機嫌になると壁や床に何回も頭を打ち付けるのが怖かった。たとえ夜中でも「ごめんなさい!ごめんなさい!」と泣きながら頭を打ち付ける姿をみて、彼が不機嫌になったり不安になるのが怖かった。
今思い返せば、時間が進むほどに、彼と私の関係はだんだん歪んでいった。
GPSを常に共有していることもおかしかったと思う。これは彼が提案してきて、彼も共有するから私のも共有してということだった。また、結婚する2、3年前に大学で喧嘩したときに、ささいなことで喧嘩して、「もう別れるさようなら」と立ち去ろうとしたら、首を締めてきて、叫ぼうとしたら口を塞いできたこと。
さて、なにかを始めるのにベストなタイミングはいつでも今 なんだけど、
今(2020年) なんか blog を書こうかなって思った時、一番良いのは、note なんだそう
ある増田いわく、 『流行りのプラットフォームなので人がいっぱい居てソーシャル機能が働く』のだとか
増田 (はてな匿名ダイアリー) の特性を活かして、嘘偽りの無い正直な気持ちを言わせて貰うなら、
・・・って感じ。3 に当て嵌まらないすべての人はべつに増田 (はてな匿名ダイアリー) でよくないですかね?
そもそも論として、文業やコンテンツ俺などいわゆる商業アカウントでない場合、現実の自分自身とコンテンツを結びつける必要性ってある?って思う
会社から blog や 機関誌 や Facebook に実名で記事を書け!!と実質的に命令された場合はしゃーなしだけど、
わざわざプライベートで辿れる足跡 🐾 をネットに残したくないんですがそれは・・・
Linkedin が積極活用される社会とか吐きそうなんですけど?
(ワイは金融以外はリファレンスチェックが一般的ではないことを良いことに、割と自分自身の経歴を盛りがち・不利なことは無かった事にしがち)
まぁ、適当極まりない根無し草は少数派だとしても、フツーに不特定多数に見られる事によるプライバシーの懸念の自体はあると思うんですよね
もしも、実名および半実名でコンテンツを発信する必要があるなら、Medium がいいね。日本語だけで閉じてないからだ
精神的に安定してる人と結婚したつもりで、後から「その人はまだ人生で不安定になる辛いことがなかっただけ」とわかり、人生初の苦境で発狂する相手を前に途方に暮れる結末はよくあります。— トイアンナ (@10anj10) June 15, 2020
トイアンナ氏のこの発言を読んで、癌で死んだ母のことを思い出した。
母はめちゃくちゃ精神が安定していた。どんなことがあっても落ち着きはらっていた。
死に至る病を宣告された日の日記は、「わたしはがんだそうだ。いやだなあ」この一言で終わり。
中卒で本といえば料理と裁縫くらいしか読まない母の語彙力では書き表せない思いもあったのだろうが、
しかし私の記憶の中にある母は笑顔でいるかそうでなければ私を叱っていて、
彼女の死ぬ直前の時期の記憶もあるのだが、まったく普段通りだった。
死ぬ前日も三食母の手料理を食べて、翌朝は母が医者に行くということで父方の祖母に預けられ、その日の夜に母は亡くなった。
死ぬ前に父に家事を仕込み、緊急時の私の預け先を決め、その後の生活のめどを立てて私の小学校の転入手続きまでして、立つ鳥跡をきれいに掃除していった母だった。まじスゴ過ぎ。
父と結婚して専業主婦におさまるまでの母はたいへんな人生を歩んでいた。
ギャンブラーだった祖父は母が小学生のころに死んだ。田舎の地主の娘である祖母はなんと戦前にピアノを習っていたというお嬢様(これはめちゃめちゃスゴいことらしい。父方の祖母が「ピアノを習っていたほどのお嬢様なのに苦労して……」とよく言っていた)で、お嬢様が男っぷりのいいろくでなしに騙されて結婚しちゃうというまあありがちな展開で祖父と結婚し、赤貧を洗いまくっていた。
生活力のないお嬢様の祖母は夫を亡くしてもちろん実家に泣きついたのだが、親類は祖母を見捨てた。民生(地元の高齢者はなぜか生活保護のことをこう呼ぶ。)を受けたりしながら、子どもを連れて他人の家に下宿して(当時は珍しくなかったようだ)祖母は働き、のちには家も手に入れた。
そんな生活の中、母は弟の面倒を見ながら成長し、高校進学をあきらめてデパートに就職。二人の稼ぎで弟は高校も出たのだが学業は伸びず就職もうまくいかなかったようで、土方の仕事をしているときに早く結婚。その奥さんがよろしくなく、母と祖母が暮らす家に転がり込んできて暴力によってその家を奪ってしまって母たちは再びの根無し草に。手塩にかけて育てた弟は奥さんの横暴についていけず失踪してしまったので、祖母と母の家は奥さんと子どもと奥さんの彼氏が住んでいるという謎の状況に。(ちなみにこの辺の後処理は後に私と私の父でやった。大変でした。なお叔父は見つかっておりません。失踪宣告出すと取り下げられるので生きてるのだけはわかっている。)しかも借金も背負わされたそうだ。
再びアパートを借りるなどして暮らしていたところで父と結婚し、借金を父が返し、専業主婦におさまった。父も高卒で決して高給取りではなかったが、節約家の働き者だし子供(私だ)も生まれてなかなか幸せな時間だったのではないだろうか。
しかしそれも数年で死の宣告を受けることになる。つらっ。
母なし子とはいえ何不自由なく育った健康優良児の私には大変な人生に思えるのだが、戦後の時代にはそこまで珍しいレベルの苦労でもなかったのだろう。この辺の苦労を母から聞いたことは一切ないし、父も祖母もたいして話さない。雑談の折節に断片的に出てくるエピソードをつなげたのが上記の話だ。さらっと書けばこんな風にまとまってしまうが、想像を絶する暴力と非論理の世界。
母の不在をふたりの祖母が埋めてくれた私は、昔から老人会に入り浸っていて高齢者の話を聞くのが好きなのだが、昔の世界ってものすごく非論理的だったんだなと思う。財産を奪われる、暴力を振るわれる、異性に騙される、病気は治らない、宗教に騙される、親類に奴隷扱いされる……「え、なんでそんな矛盾した行動が許されるの?」よりも、「なんでそんな矛盾した行動を受け入れてしまったの?」という疑問が湧いてくることが多い。警察に行かないの?弁護士を立てないの?それってただのレイプだよ?それってただの詐欺だよ?そんな出来事が、「あんなこともあったわね~」「若かったんだな~」で済まされる。
自分の境遇に逆らわずに受け入れるこうした態度も、トイアンナ氏が冒頭のツイートのフォローとしていう「自分の機嫌の取り方を自分で知っている人」の強烈な一形態だと思う。
不遇と戦うことよりも、受け入れることのほうが心は波立たない。詐欺を訴えることよりも、被害を受け入れて、こつこつ働いてもう一度お金を貯めるほうがわかりやすくて楽だ。
母が落ち着き払っていられたのは、お年寄りたちが落ち着き払っていられるのは、苦境を経験して、人生に期待していないからなのだと思う。失ってもなんとも思わない。最初からないのだから。
母が死んだとき、父は火葬される母を待つときに少しだけ泣いて、後は何も言わなかった。
今になってときどき、母の思い出をぽつぽつ話したりする。
思ったことを書いただけなので、何がいいとか悪いとかの意見は特にないのですが、
ただ、花柄のデザインの古びた母の日記と、母の丸っこい字で漢字の少ない文章を思い出して、
生きるって大変で正解がないなあ~~~。と思った。という、日記です。
ふたりで暮らそうと話している人がいるが、その人は5年経ったら家を出ていくつもりらしい。
私は実家暮らしで、家から死ぬほど出たかった。ここで生い立ちとか話すつもりもないから深くは言わないが、家は私が帰ってくる場所だと思ったことがなかった。
それで相手が「2人で暮らしてみよう」って提案してくれたから、乗らないわけはなかったんだ。家が嫌いだった。
県外から来てくれるって言うんだから、失礼なことに何度も疑ったし、その分とても嬉しかった。「リビングでくつろげない家は幸せとは言えない」って言ってくれた彼女だったから、私に帰る家をくれるのかなって期待してた。この家を出ていくきっかけをくれて、私と暮らしてくれる選択をしてくれたことが、どれほど救いになったことか。
でも冒頭の通り、5年ぐらいしたら別の県に出ていくらしい。「郵便番号覚えたら引越し時」だと、私と暮らす提案をした時も言っていた。
彼女は自分でも根無し草を名乗ってる。ひとものに執着せず、自分が死んでもいい場所を探して定期的に移動したいのだという。
自分勝手で被害妄想だと自覚しているが、私と暮らす前から私を置いていくことを考えるんだと思って悲しかった。もしそうするならついて行きたかったが、仕事上どこでもやっていけるのが彼女で、私はどう考えてもやっていくのは無理だった。
文面から感じ取れると思うが、私はとても重たい。私と暮らすことを選んでくれたひとのことを、簡単にはいさようならと見送ることができる自信が無い。絶対執着する。
それを伝えて、酷く困惑させてしまった。5年なんて過ごしたら、依存してしまう執着してしまう。執着される覚悟は彼女にはないのだ。簡単に暮らそうなんて言ってしまう彼女には。
恨み言みたいになってしまった。それほど好きで、根無し草の彼女が私に執着してくれないかと思う。
一緒にこの土地で死んでくれ。
あー重い重いもうやだ誰か助けて。どうすればいいんだ。もうグーグルで、根無し草スペース依存とかで検索かけてヤフー知恵袋とか出てこねぇかなって思ってるよ。
不眠症でずっと心療内科にかかっているけれど躁鬱病にもなってるんじゃないかと思うくらい気分の浮き沈みが激しい。
今日はとても嬉しいことがあった。
捨てる神あれば拾う神ありなんて実際にはなくて、いつもどんなにがんばっても空回りばかりで、捨てる神ばかりだと思ってた。
特に5年前の職場でパワハラと職場いじめを受けて退職してからは自分に価値があるなんて思えなくなってた。
どんなに人間関係が苦痛でも働かなくちゃ生きていけないから、短期のバイトばかりしてきたけれど、短期ではなく長く働けそうな職場に出会って、でも新しく入ってきたヤカラみたいな人とは合わなくて、仕事のやり方も苦痛で、それでもおかしいのは自分の方だろうと退職を決意した。
きっと私はこの先どこにも居つけない。
そんな虚しさも感じながら、だけどいつものことじゃないと思っていた。
本当は合わない人と1ヶ月も付き合いたくない。今すぐ辞めたいけれど、流石にそれはしてはいけないと出勤していたら、会社の上司があなたの仕事は評価している。
会社に不満がないなら勤務帯を変えるので残らないかと言ってくれた。
会社には就業時間が短くて生活出来ないというのを退職理由にしていたので、就業時間を延ばしても構わないと言ってくれた。
ずっと円形脱毛症になるんじゃないかと思うような皮膚の痛みを感じていたので、そう評価していただけるのは嬉しいのですが…と断りかけ、この数カ月自分が感じていた働きにくさ、ヤカラみたいな人についていけないこと、だけど浮いてるのは私のほうで、人付き合いがうまい人は上手に合わせてること、そんなことを名前は出さずに話した。
もしもそれが理由なら人と関わらずに働ける部門があるので、良かったらそちらへ移ってみないかと問われた。
このままいつも通り新しい職を探して去るしかないと思っていたので、本当に嬉しかった。
こんな上司もいるんだと思った。
私も本当は根無し草みたいなことに疲れていて一つのところで働けるものなら働きたかった。
実現するかどうかはわからない。
その辺のモブに「かっこいいお兄さん」とか「素敵な人」とかよく言われる事に気付いた。
11→6→7、と一人ドラクエ祭り開催中だけど他はこんなに言われた記憶ないのに。
子供の頃SFCもやってるけど気付かなかった(リメイクで台詞変わってるのかもしれないけど。もう記憶ないわ)
でも主人公は旅立っちゃったからヘンリーと結婚した、ヘンリーもそれに薄々気付いてて受け入れてる、ってのが妙にリアル。
そりゃあてのない旅を続ける根無し草よりは王子の方がいいよなー。
二人(リメ版だと三人か)の女どっちと結婚しても何だかんだで上手く行くのも
子供の頃から抱いていた「ビアンカはまだ分かるがフローラは親が決めた相手と無理やり結婚させられてそれでいいのかよ」
と言う疑問に対して、何だか答えが出た気がして納得してしまった。