はてなキーワード: 首長選挙とは
エクストリーム横浜市長選挙とは、横浜市長選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
当選した候補、または供託金返還となった候補が以下の理由により特別賞受賞となった場合は、逆転優勝とする。但し、選挙期間中の逮捕はこれまでどおり失格扱いとなる。該当者が複数いた場合は、当選した候補が優勝として扱われる。
以下は2021年の横浜市長選挙から追加される特別ルールである
東京都知事選挙以外は競技としての面白さがないためこれまで行われてこなかったが、今回は史上まれに見る混戦と保守分裂により競技として成立すると判断されたため開催となった
https://anond.hatelabo.jp/20200706143404
今回保守分裂の一因となったIRは当初白紙化としていたが、2019年に公約を破り推進に転じる。公約違反と横浜のフィクサーである横浜港運協会会長の藤木幸夫氏を敵に回した以外は特に失政らしい失政もなく現時点ではスキャンダルもないためエクストリーム競技には無縁である
地元横浜選出の代議士で、父親は菅義偉の旧主小此木彦三郎で自身も菅の側近であったが「IR誘致反対」を事実上の反旗を翻した形である。中央政界と横浜市政の混沌の象徴とも言える出馬であるが、左右問わずIR反対派から得票が見込めることと地元の大物代議士ということもありエクストリーム競技には無縁と思われる。
非自民系保守政治家の代表格で旧民主党→みんなの党→次世代の党→希望の党→日本維新の会と、ある意味自民党以上に右寄りの立場の政治家である。2012年の東京都知事選では供託金没収となりエクストリーム競技優勝している。前知事が権力闘争のため県庁所在地の主張戦に出るというのはある意味維新政治家らしいが、2019年の参院選では神奈川選挙区で4位で若干過去の人感が否めない。番狂わせで東京・横浜のエクストリーム選挙2冠達成もあり得る。経歴だけなら小此木に負けないくらいのエリート政治家のはずなんですけどねえ。
立憲民主党の推薦候補でハマのドン藤木氏からも推薦を受けている。IR反対派。公衆衛生学やデータサイエンスを専門とする科学者で政治経験はなし。ハマのドンが持つ基礎票をどのぐらい小此木八郎に奪われないかが鍵
自民党→希望の党出身で3期代議士を努めていて内閣府副大臣も経験しているが3回とも比例復活であり選挙基盤は非常に脆弱。あの江田憲司の選挙区なので無理もないか。選挙基盤の弱さと知名度の低さの一方で、横浜が地元の元代議士という絶妙なポジションでエクストリーム競技優勝候補に
今回のエクストリーム競技最有力候補。かつては国政政党の代表も務め、2009年の民主党政権誕生時は民主党よりであったがその後は維新の会に。2012年の総選挙以降は出馬する全てで落選しており政治家としてはもはや過去の人である。今後は家入一真とマック赤坂とN国を悪魔合体させたようなエクストリーム競技常連プレイヤーとなるだろう。松澤の立候補もあり今回の選挙自民党だけではなく実は維新も分裂選挙である。注目点は松沢と田中の得票数の合計で、次の選挙で維新が衆院選ならば南関東ブロック、参院選では神奈川県選挙区で議席を積み増しできるかの試金石となるだろう
立憲民主党所属の横浜市議会議員で40年以上務めるベテラン。今回は自民・維新・立民と主要政党がどこも分裂選挙となっている。実は勝つ気がないのではないだろうか?
元検事でコンプライアンスの専門家。横浜市長よりも法務大臣のほうが向いている。
横浜市内の水産卸売業を営む経営者。横浜市議選ならば通りそうなのだが。
知らない人なのでTwitterと後援会サイトを見たらN国っぽい感じががしました(※個人の感想です)
現職の林文子にIRを装填として小此木・松沢・田中など知事経験者や大臣経験者の大物が挑む構図。これ本当に基礎自治体の首長選挙なんですか?というメンバー。ほとんど無風だった2020年の都知事選と比べて見応えあり。こうなると誰が当選して誰が供託金没収になるか微妙なところである。万が一林・小此木以外の候補が当選すれば菅義偉は地元への求心力すらないということになり、菅政権へのダメージは都議会選挙以上のものとなるだろう。
エクストリーム競技の注目株は田中康夫。エクストリーム東京都知事選の過去の優勝者の複数の特徴を持ち「供託金が帰ってこない候補の中で一番票を集める」可能性が一番高く見える。優勝:田中・準優勝:松沢という組合せならば「維新所属の知事経験者のワンツー」という快挙?になる。それにしても自民だけでなく維新も立民も分裂選挙で泥沼となっている。IRという大きな対立軸がありながら政局的な理由で候補者乱立というのはある意味日本政治の縮図とも言える。
特定個人が消防団不要な都市部に住んだ場合と消防団が事実上必須な田舎に住んだ場合で市民税、県民税は違うんだろうか?
同じなんだとしたら不公平だよな
でも、これから先人口が減っていく日本でこの問題はどう解決すべきなんだろう?
手の届かない田舎を切り捨てたとして、人口増えたら廃墟を一度更地にしてから開発しなきゃならんわけで、二度手間だよな。
切り捨てた田舎に人が残った場合はもっと面倒で、切り捨てられた側は切り捨てた側を容易に受け入れるはずがないので、人口増加で移住してくる人達に切り捨てた意識がなかったとしても軋轢は今以上に酷くなるだろう。
話は逸れるが、田舎でCOVID-19の感染が広がった場合って、都会の病院にわざわざ搬送してるのかね?
様々な災害対策も含めて、人口が減っていくことに対してどう対処していくのかって、首長選挙の際にきちんと問題提起されてるんだろうか?
問題提起されてたとしても田舎の首長候補は「私は田舎を見捨てさせません」としか言えないし、都市部の首長候補は明言を避けることしか出来ないよなぁ
限界集落が自滅した後、その集落へ至る道はメンテナンスされるんだろうか?
かといって取り壊すにも金はかかるが、放置したらしたで問題は色々発生するだろう。
今はまだ「地方の田舎を切り捨てるか?」というレベルだが、これが「地方の都市部を切り捨てるか?」にならない保障もない。
そりゃ東京に人が集まるわけだよな。
テレワークを支えるインフラの維持にも金と人と時間が必要なわけで、切り捨てられそうな地域にそのインフラが提供されるかどうかわからない。
特にMNOなんか現在進行形で官製ダンピング押し付けられて体力削られる事が確定してるからより一層インフラ投資の対象の選別は厳しくなるだろう。
最近、首長選挙の立候補者が街頭演説していたのを通勤中に見た。
その瞬間に、「あ、この立候補者には投票しないだろうな」と思った。
後日、その立候補者のチラシがポストに投函されていた。目標、政策には納得できるものもできないものもある。
それはどの立候補者でも自分と意見が合うところ、合わないところがあるのは普通だから後は人柄を見て決めるだろう。
その時、「人の名前を間違えたまま放置したり、わざと正しく書かないような無礼者の仲間にはなりたくない」と思う。
アベノミクスという言葉があるのだから、アベ政治と表記しても良いではないか、というのなら、それでもいい。
ただ、人を非難するときにあえて名前を正しく書かないという点だけで、その人は自分が気に入らない相手のことは軽んじていいと思ってる、そう判断されても仕方ないのではないか。
推薦コメントを書いた浜矩子同志社大学教授は安倍政権と書いていた。
浜教授は毎年アベノミクスが終わるとかアベノミクスはアホノミクスなどと主張する本を出してきたが、政権を指すときにはきちんと安倍政権と書いている。それだけでこれまで、無礼なおばさん扱いしていた自身を恥じたくらいである。
私の名前もよく漢字を間違えられる。間違える側はなんの気もないのだろうが、間違えられ続けてきた私は、「たった一度、メールを送ったりポストに投函する前に、正しいかどうか確認する手間もかけてもらえないのか」と思うし、それだけで軽んじられていると感じる。
だから、人の名前を間違えたまま放置したり、場合によってはわざと正しく書かないような人が庶民の声に寄り添うとか、弱き者、小さき者の味方でなければならないとか、みなさんの心をつなぐと主張してても、「気に入らない相手なら軽んじても平気なのだろう? 排除しようとするのだろう?」と考えるのだ。
政治家が気に入らない人を排除していいと思い出したら、それこそ恐ろしい事ではないか?
世の中には意見が決定的に合わない相手もいる。特定の政治家の活動が気に入らない事もある。しかし、そういう時こそ気に入らない相手を非難するときに、自分が周りから無礼者に思われないようにした方がいい。
そして、特定の政治家を応援する人もよく心したほうがいい。世の中、賛否が分かれるなにがしかがあるとき、態度を決め兼ねている人を動かすのは、最後は礼儀正しいのかどうかだし、政治家本人だけでなく、その周りで応援している人もその評価の対象だ。(安倍政権とネトウヨ、野党とパヨクの例を見よ。取り巻きは政治家本体と絡めて見られるのだ)
本当だ。ありがとう。知らないで書いてた。
推薦者とかも知りたいんだけど今までの市政ってどんなんだった?
国政を切り離して見た時を基本として見るか、繋げて見るか。
両方見なきゃなんないんだろうとは思うけど。国政と繋げて見なきゃなんないのかね。
震災の影響とかも。
政治へのアクセス手段と頻度(収入や残業時間含む仕事職業が関わる)との支持政党の関係が一番調べたいところだな。
なんかマスコミ参考にしてる人は推薦者見てる気がするんだよな。
推薦者(支援者)や前任者と新人候補者の関係って地方首長選挙と国政(議会選挙)では重みが違う気がしてる。
野々村という兵庫県議会議員の会見動画なるものを見て唖然とした。
あんなの会社とかにいたら、典型的な「仕事のできない人間」なのは一目瞭然。
でも、あんな人間でも、選挙期間中に名前を連呼して選挙区を走り回って、
あまり深く考えてない選挙民に名前を覚えてもらえれば当選してしまう。
投票日は平日なんだが。
選挙の機会が少なく、選挙結果の生活への反映が実感できるので、
選挙回数の少なさが影響しているに違いない。
いずれの選挙も、比例代表制。多くの主要政党は長い歴史があり政策は一貫している。
政党は、合併したりするよりも、開票後の議席数での主導権争いを優先する。
議席配分が決定した時点で、次の選挙への運動はもう始まっているのだ。
永年存続する党組織内の目利きが、実務能力を主な基準に名簿順位を決める。
仕事ができない無能者が議員になる可能性はここで非常に低くなる。
いずれも直接選挙ではない。第一院は第二院の議員、州議会は市議会議員による投票で決まる。
この際、市議会与党とは異なる政治信条を持つ者が選ばれることは珍しくないし、
自治省は対立的性向を持つ人物を、そもそも「実務能力のある人間」として選ばないので、
都市部の首長選挙が単なる「人気投票」と化してしまっている日本人から見ると、
市長の実務能力が担保されているオランダのシステムは羨ましい限りだ。
衆議院も参議院も2票ずつ。県知事、県議会、市長、市議会、それぞれ一回ずつ。
選挙の回数が多すぎるので、
前回の自分のどの投票が生活にどのような影響を与えたのか覚えきれないし、
失敗や成功を参考にできる他国の制度(イギリス・フランス・ドイツ・ベルギー等)が間近に見れるから
成り立っているとも言える。
ナポレオン退位以来200年間、国体が変わっていないという利点もある。
日本の選挙制度の成立にはアメリカの制度の影響が色濃く見えるが、
立派なタテマエとは裏腹に、アメリカの選挙制度の社会に与える影響ってどうなんだろうね。
それでもウィルダースのような排外主義者が議員として影響力を持つことができるので、
「実務的な」オランダ人たちはそこに頭を悩ませている。
早朝インターネットでニュースをチェックしているとある記事を見つけました。
その記事が文句の付けようのない糞記事だったのでこの胸くそ悪い気持ちを皆さんに共有したい。
「大阪市民よ怒れ!!橋下市長無責任自爆選挙 東京と大阪の、恥ずかしい首長選挙?」
http://toyokeizai.net/articles/-/30408
私は大阪市民なのだが東京で恥ずかしい首長戦を繰り広げているのは存じてます。
大阪市でもあまり誇れないような経緯で市長選が行なわれようとしてます。
しかしまだ告示もされてない選挙に対してなぜこの方は”自爆”と言い切っているのでしょう。
とりあえず記事を開いてみる。
東洋経済オンラインは新聞とは違って多くのインターネットメディア同様筆者の名前が記名されている。
ブラザー・キムという人が書いてる記事らしい。(だれだよそれ・・・)
そして記事冒頭
わたくし、黒春エリトは日本の政界に辟易してかれこれ35年目に突入するわけだが、それは政治家の質が低いことと、馬鹿な順に政治家が当選していくことに嫌気がさしているからだった。”
文章構成がメチャクチャ、前フリと本題が合ってない。
ここで3ページ構成の1ページ目が終わる。
続いて2ページ目
いやいやいやいや・・・
この方は結果を事前に決めつけてしまう傾向にあるようですね
もしくは舛添氏が当選して橋本氏が爆死する未来が見えているのでしょうか。
そしてちょこっとだけ橋下氏批判
”橋下氏は一連の未熟な言動やメディアに対する幼稚な攻撃性で国民からは単なるコメンテーターに戻った方がいいと思われていると思うのだが、既にどうあがこうと政治家としてのパワーの源泉である信頼と民意を失っていることに気づいていないのが、不思議でならない。”
「思われてると思うのだが」ってどうしようもない決めつけが再び炸裂
民意を失ってると書いてあるが橋下氏を選んだのは我ら大阪市民の民意なんですけどね
他の政党が負けるのが怖くて候補者を擁立しないので今のままだと橋下氏の不戦勝です。
そう大阪の首長戦が恥ずかしいことになってるのは橋下氏よりもはるかに
”橋下氏は、「世界中のエリートの働き方を一冊にまとめてみた」を読んで、反省すべし”
http://www.amazon.co.jp/dp/B00HD09Z1K
著者:ムーギー・キム
ステマのために大阪市民よ怒れとか言って煽ってきてることに猛烈に腹が立ちました。
”常に敵が必要で、名指しで批判して記者やメディアに圧力をかけるという暴力的な手法で有名な橋下氏には、ぜひ名指しでこのコラムを批判していただきたい。そうすれば炎上商法でまた私もヒト儲けできて大歓迎なので、次に名指しで大げさに批判される際はぜひ、このコラムと「セカエリ」を批判していただくようお願い申し上げたい”
ようするにメチャクチャな批判をして橋下氏が釣れたら本の認知度が上がってラッキーってことですよね。
東洋経済オンラインはビジネス系の質の高い記事を配信してくれるので大好きだったんですけど
こんな意味の分からない質の低い糞みたいなステマ記事を載せるとは・・・
という東洋経済オンラインにガッカリした話。
呆れてきたので原因を考えてみようと思った。
日本における、一票の格差は恒常的に最大5倍に達したままである。先の参院選で高知の広田一氏は13万7千票で当選したが、神奈川の千葉景子法相(民主)は69万7千票を集めて落選している。全体にとって不利益な政策がとれられたとしてもフェアな競争がなされていないのであればいたしかたないというものだ。
政治への新規参入はほとんど成功しない。政治家家業の大抵は世継ぎかのれん分けだ。
有権者は投票すべき政治家がいかな人物であるのかという品定めを行う機会というものをほぼ得ることができない。政見放送は粗さえ出さなければ話題にもならないし、見られもしない。文書図画は決められた枚数しか配ってはならないし、選挙カーは名前の連呼しか許されてない。選挙期間中はWEBの更新はダメだとか本当に意味がわからないが、そうした現状を是とするのは既存の政治家だ。新規参入を防ぐための策はきちんと機能しているといっていい。
選挙前に配られる官報?には学歴と略歴とがんばりますぐらいのことしか書いていない。しかもみんな自由形式で書きたいことしか書かないから比較もできない。地獄の業火に焼かれろ的な「とんでも」は発見できても、普通の候補者だと違いがわからない。ネットショップで価格もスペックも比較できず写真だけで選べという店であたり商品が引けるわけがない。この場合消費者がとりうる選択肢は限られる。どこかの既知のブランド品から無難な商品を買うか、さもなくば買わないかだ。
結果、約半数が投票に行かないし、地方の首長選挙は現職が9割の勝率となる。保守的なのではなく、新規が得体が知れなすぎるのだ。誰に投票していいかもわかっていない有権者など、確率的な数でしかない。だから当選するために確実に投票してくれる組織を囲い込むことに政治家は腐心する。そのために地盤やお金が必要となり、結果、特定の組織に利益誘導的にならざるを得ない。たとえその組織の利益が大多数の利益を損ねるものだとしてもだ。バラバラに動く有権者は特定の利益のために組織だって行動する人たちのまえに為す術などあろうはずがない。
もっといえば罪刑法定主義なのかも怪しいところだ。判例主義といったところで検察と裁判の判検交流に代表されるように三権分立など建前になってしまっている。厳密にしてしまえば、物事なににつけても対立がうまれ滞ってしまうので、そのような体制のほうがいいこともあるだろう。だがバランスは重要だ。現状は人治が法や道理を押しのけるまでになっているのではないかと思う。
例えば先日可決された東京都の青少年保護育成条例の改正に代表されるように、法は立てるが、運用するのは、お目こぼしをするのは我々だという暗黙の権力行使を許していてはそもそも政治家は必要ではない。議会も必要ではない。
政治家自身、何を議論して、何を決めて、それがどんな結果を及ぼしているのかにまで想像力が働いていないのだろう。やはり局所利益誘導的なのだ。決定には関与しても、立ち上げにも、運用にも、またそれが為されているのかの確認にも公正に関与できていない。政治家がただの多数決要員なら無差別に選出された陪審員でやったほうがよほどいい。
以上の原因と仮定から、スキャンダルや醜聞にまみれ、日本の政治の質が低かったとしても致し方ない。
自浄効果も期待できず新規参入も無理なら当然の帰結だ。絶望した!
ほにゃららでふがふがな社会に絶望した!と、いうところで思考を停止して右派左派同様ギャーギャー騒ぎたてるのも無理からぬこと。実際、じゃあ他に何か手立てあんの?と聞かれてもお手上げだ。誰か政治家の代わりをやれよといわれても、多分同じことをやらざるを得ないだろう。日本の政治はもはやこれで完成品なのだ。アラブでは、民主化民主化と騒いでいるが、日本には閉塞感はあっても打ち倒すべきシンボルもテーマもない。やはり行き止まりだ。
基本に立ち返る。
最大数の幸福を追求したいと考えるならば、人ではなく仕組みに裁量を持たせたほうがよい。そのためには公正な競争がなされなければならない。公正な競争がなされるためには、新規参入や撤退に自由度をもたせればいい。
既存の仕組みでも運用する人さえ違えば充分なのかもしれない。既存の政治市場と、並行稼動で仮想市場をつくっておいて、実際の議員の投票はこうだったけど、その地域の有権者の実際の意見はこうでした!的な仕組みがあるだけで、何がおかしいのか評価はできるようになる。というわけでYouつくって。
ttp://www.izai2.net/muison.html
無医地区の、無医地区たる理由は、診療所の個人経営が成り立たない地域だからでは無く、医師の子弟の教育が困難なわけでも有りません。 そこの地域住民が悪い、殊に、自分が有力者だと思い込んでいる首長、議員、町内会長、大地主、資産家等が、馬鹿な要求や他所者扱いや三流医師扱いをするから、医師が嫌がって地区を出て行くだけの事なのです。 本質的には、その地区出身の若者がいなくなるのと全く同じ理由なのです。
馬鹿な要求の例が、診察時間中に、有力者が自分や自分の縁者について、先に診察しろと言う事、往診が必要な状態ではないのに、俺の顔を立てて往診しろと言う事、不要なビタミン剤や点滴をしてくれと言う事、時間内に来れるのに、特別扱いとしてわざと時間外診察を要求する事、診察券や保険証を呈示せず口頭で受付に氏名を告げもせず、顔パスを要求する事等々です。 直接に医師に言うとはねつけられるため、看護婦や事務員を介して要求することも有ります。
もし、その診療所が、地区の自治体立だったりすると、さらに酷いことになります。 まず、そこに医師が赴任する事が、首長選挙の道具になることが多々あります。 医師が赴任した時点の首長は、医師を「連れてきた」事を次の選挙の時、功績の一つとして宣伝することがよくあります。 この時、住民の意識の中で、医師が首長より上の存在になっていれば問題は少ないのですが、大概は、首長の「子分」と見なされていますから、選挙で対立候補が勝ったりすると、新首長は、診療所の運営に嫌がらせをする事もあります。 また、政治絡みでなくとも、住民の中には、俺の税金で建てたのだから、俺の言うことを聞けと言って、前述の馬鹿な要求をする者が後を断ちません。
首長選挙とかで「無党派層で拮抗し、民団の組織票で結果が決まった」とか、
あり得なくはないだけに、ちょっといかがなものかと思う。
7~8割も自由意思で行使するならいいんじゃないの。
投票率上げて希釈すればいいだけのこと。
ここでいう「永住者」ってのは、「永住資格」を有してる者だよ。
永住権を取得するには、基本的に独立した生計を営める資産かそれに値する技能が必要になる。
平たくいえば、納税できる程度にはってこと。
それなら、永住権などハードルが無駄に高くて不確実な方法より、日本人と結婚するなりで国籍を取得する方が乗っ取りやすいんじゃないの?
本当に祖国に忠誠を誓ってるなら、一時的な国籍離脱など取るに足らんと思うのだが。
「キャスティングボートを握る」を理解してるのか?
「言う事を聞かせられる」もそれに含んでるんだよ。
「首長選挙」ってことを理解してるか?
議会でキャスティングボートを握るのとは違うんだけど。
議会の場合は、拮抗する二大勢力がなければ、ただの少数でしかない。
空理空論もいいところだな。
全員じゃなけりゃいいのか。2割3割ならそういう人間が地元で選挙権を行使できてもいいのか。
その永住者の滞在費は、誰がどう負担してるわけ?
永住者ってのは現地に住み着いて生活してる者が大半だよ。祖国からの仕送りで暮らしてる奴なんて少数派。
意味分からん。中国共産党が具体的な指示出さない限り彼らが何も行動起こさないとでも?
自己負担で日本にやってきてる在日韓国人とか、半世紀経ってるのに未だに祖国に忠誠誓ってるようなのがまだまだいるんだが。
首長選挙でキャスティングボートを握ったところで、肝心の首長に言うことを聞かせられなければ意味なし。
「キャスティングボートを握る」を理解してるのか?
「言う事を聞かせられる」もそれに含んでるんだよ。
問の答えになってないんだが。
その永住者の滞在費は、誰がどう負担してるわけ?
そのうちに1パーセントが毎年沖縄に戸籍を作って、それが10年ほど続いたら、それだけで自治体の選挙のキャスティングボート握れるんだよね。
首長選挙でキャスティングボートを握ったところで、肝心の首長に言うことを聞かせられなければ意味なし。
また、議会でキャスティングボートを握るには、前提として拮抗してる二大勢力がないといけない。
そもそも、そんなに沖縄に長期間滞在できるなら、もっと沖縄経済いい感じになってないか?
人が増えれば、それだけ需要も増えるだろうし。
「公共事業を持って来て、地元経済の活性化をお約束します!!」
地元選出の国会議員(自民党の中でもそこそこ有力者)のこのような発話に対し、脂ぎったオヤジたちが「おおーー!!!」と叫ぶシーン。地元のニュースでこんな光景を見た。これが、自分が政治判断を行う際の原風景となった。
俺は、地元の高校を卒業し、地元の国立大学に進学した。そして、選挙権を取得したばかりの頃、自分が住んでいる市の首長選挙があった。地元の新聞を購読していた俺は、市も、県も、財政状況がヤバイことをなんとなく知っていた。そして、通っていた大学の教授も、市の政策担当スタッフの一員とかで、講義中にも、とにかく収支状況がやばいと話していた。俺は、自分が過去に見たニュースを思い出した。そして、市の財政状況を調べた。ネットの社会になって、PDFが多少時間を食うのを除けば、すぐにでも情報にアクセスできた。
俺は、絶句した。信じられない赤字状況だった。市だけではなく、県も調べてみた。市よりももっと酷かった。とてもじゃないが、返還が不可能だと思った。
何にお金を使っているのか。もちろん、人件費や医療費は大きな割合を占めていた。しかし、もっと衝撃だったのは、公共事業の割合の高さだった。市のサイトで、当時の公共事業費の割合を調べてみると、人件費と医療費よりも高額だった。
しかし、地元に新しいスポーツ施設や新しいコンサートホールなど、箱モノは建設されるが、スポーツ施設も、コンサートホールも、既に地元の中心街の近くに存在していた。そこそこの規模の市にとって、利用目的が重なる施設は、3つも4つも要らない。そして、前の市長時代に建設した歴史博物館も、小学生の地元学習しかいかない。当然、観光客も寄り付かなかった。
赤字体質はこのせいか。国の財政赤字が解消できないのも、この人たちが有力な票田だからか、と。俺は、この時、いつも脳裏に浮かぶ、脂ぎったオヤジたちをどうにかしなければならないと決意した。
市長選挙は、珍しく、民主系候補と自民系候補の対立となった。自民系候補は、商工会議所の推薦と、前市長の応援を受けていた。自民系候補は、地元選出の議員ともつながりが深く、選挙の際には、財政支出を増やし、公共事業によって景気回復を目指すと公言して憚らない候補だった。あれを造る、これを造る、と。民主系候補は、地元のサヨク弁護士だった。小さな政府を実現すると公約に入れていた。
選挙自体は歴史に残る大接戦だった。接戦の中で、民主系候補も途中で政策を変更せざるを得なかった。民主系候補も、公共事業には必要なものがあると、途中で政策変更し、自民系候補の票を取り込もうとしていた。
俺は、途中で政策変更をした民主系候補に嫌気をさしながらも、民主系候補に入れた。結果は、大接戦の末、民主系候補の勝利。文字通り、薄氷の勝利だった。そして、自民系候補に集まった票の多さに落胆した。お前ら、自分が住んでいる市を食い物にする気か、と。今、自分の市は、民主系候補が2期目を務め、当時の公共事業費の1/3となっている。人件費も医療費も1割強削減され、赤字解消が進行している最中。現在の市債残高は、かつての半分にまで減った。民主系候補が勝利したら景気が後退する、と当時の自民系候補が喧伝していたが、国政レベルの問題は別として、市の政策が原因で景気が後退したという実感はない。
そして、市長選のあとに、知事選があった。知事選は、民主党が地元選出の議員を立て、自民党が役人を立てた。県は、市よりも財政状況がやばかった。財政再建団体転落寸前だった。この状況を改善しなければならない。これは、両候補に共通だった。流石に今回は自民系候補も、市と異なり、公共事業の支出を言うことはなかった。民主系候補は市と変わらず。知事選は悩んだ。財政状況の改善に向けての取組。両者の違いは、どこを削るのかの違いに過ぎなかったからだった。知事選は、最初から自民有利と言われていた中で、俺は、民主系候補に入れた。
結果は、予想通り自民系候補の勝利。しかし、二期目を務めている現在の知事も、財政赤字の解消には十分に取り組んでいない。3割近く、人件費の抑制は成功したが、選挙の票田に影響するためか、市のように大胆な公共事業の削減はできない様子。赤字団体への転落を寸前で回避し続けている。素直に思うんだが、利用目的がほとんど同じの県の施設と市の施設が同一市内に複数あるって、住民の視点から考えても無駄じゃないか?例えば、市民プールが複数あって、さらに県民プールもある。市民プールを一つくらい削っても、おそらく利用者への影響はない。
さて、Part.1終了。反応はどうなんだろう?次は国政選挙について書きます。続きはまた今度。