はてなキーワード: ファインダーとは
正しいかどうかはともかく、納得できる話。
そのとおりだ。不快な思いをするかどうかが問題。マスコミだって相手を不快にさせたら訴えられることもある。だけどマスコミ(報道目的)の場合、社会的な説得力をもった撮影であるということが安心感を抱かせる。
ヘンタイの場合、それが悪意を持って利用されることへの不快感が強いのだ。オナニーや流出・売買といった目的が見え隠れしているどころか「モロ出し」である。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミというフィルターがいかに強力な説得力を持っているかを教えてくれる。
肉眼で鑑賞するのはオッケーで録画するのはダメ、というのは、なんというか本人の人格が介在するかどうかの問題というか、「カラダだけを見ている」度の違いだと思う。
これも納得。カメラのファインダーを通すという行為=風景のトリミングであることは言うまでもない。もっと言うなれば、撮影者が個人であるということで、被写体と一対一のコミュニケーションが成立してしまうという。しかも相手は得体が知れず、悪質な可能性が高い。
対してマスコミは、社会性、組織性というコンテクストが特定の被写体とのコミュニケーションを成立させにくい。集団は集団を撮るのである。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミという社会的な集団組織が特定の選手を狙ったために民衆の不快感をあおったのである。
おぉ。元記事さんいらっしゃ~い。
まず一眼レフか否かだけど、そのような目的なら、無理してでも一眼レフが良いんじゃないかと思う。
絞りやシャッタースピードがマニュアル設定できるコンパクト機もあるが、それらの使い勝手を考えると積極的にその効果を感じるために使うものではない気がするから。一方、一眼レフならマニュアル設定できるのが当たり前。
さて、D40Xだけど、老舗の最廉価+αという位置づけだけに
飽きずに長い付き合いができそうなカメラ
これは少し厳しい感じがするなぁ。
さらにFマウントなのにAFで使えるレンズが限られるのが難点かな。
しかしAFは必ずしも必要としない被写体なら、MFで撮るのも楽しいかも。
ま、そんな感じで、粗を探せばちょっとネガな点もあるかな。
そこで、代替案だが、キスデジ、ペンタ、Sony、オリンとかになるが、、、
その前に予算的に考えると、手振れ補正は要らないだろう。もちろんD40Xにも付いてないし。
画素数はもし600万で不満を覚えるなら、それが1000万でも時間の問題かとおもう。
以上を踏まえて7万未満のレンズキット(LK)を一気に上げると、
キャノ キスデジN LK ¥69,780
オリン E-500 LK ¥51,198
ペンタ *ist DL2 LK ¥54,499
ペンタ *ist DS2 LK ¥62,000
ペンタ K100D LK ¥63,455
http://kakaku.com/itemlist/I0049000000P202/
それぞれ個性のある機種だけど、私自身が買うとしたらK100Dかな。やっぱり手振れ補正欲しいしw
次点はDS。この価格でペンタプリズムはすごい。ファインダーは大切。
・・・ごめん。ペンタが好きなんだ。この3行は無視してくれ。
ボディがなんなのかわからないけどマット式のビューファインダーじゃないの?
マット式だと、ピントが正確にあってないと、濁ってというか荒くみえる。
でも、撮影結果もにごって?ということだったら違うかなー。
撮影結果もピンずれしてるとか。
たとえば恋人がいて、その人が笑った顔の柔らかさに
「ああ、この表情はきっと私しか見れないに違いない」と感動して、
でも、懇願した挙句いざ撮ってみると
ファインダー越しでは違う表情に見えて、
ああ、あんなに美しく見えたのは
私がこの人を好きという感情のためだったのか、
そんなのデジタルカメラで写せるわけないじゃないか、
と気付く。
ここまでは誰でも経験があるだろう。
そこで諦めずに、
「そうだ、じゃあ絵に描こう」と思い立つことが
私には出来る(頭良くね?)のだけど、
何度鉛筆を走らせても、絵心がなくてうまく描けなかった。
私はこの人を好きじゃないのではないかとすら思ったくらいだ。
だから、こういう時に、
自分の感動を完全に表現出来る人になりたいなあー
と思った。
別に絵じゃなくたって、
そもそも写真が上手に撮れればそれで良いし、
読み返す度に優しい気持ちになれるような文章が書ければそれでも良いし、
感動した勢いで一曲作れたりしてもいいかもしれない。
創造力を掻き立てるものは周りに溢れているのに、
それを的確に表現出来る才能がないというのは、なんと悲しいことか…!
私は自分に才能がないと決め付けて表現することをやめてしまったけど、
(もっとも、”やめる”なんて言うほど大それた試みはしてないけれども)
いつか完全なものがひとつでも作れればいいじゃないかと、
不完全なものを作り続けている人たちを見ると、
なんかもう自分ってどうしようもないなあと思う。