たとえば恋人がいて、その人が笑った顔の柔らかさに
「ああ、この表情はきっと私しか見れないに違いない」と感動して、
でも、懇願した挙句いざ撮ってみると
ファインダー越しでは違う表情に見えて、
ああ、あんなに美しく見えたのは
私がこの人を好きという感情のためだったのか、
そんなのデジタルカメラで写せるわけないじゃないか、
と気付く。
ここまでは誰でも経験があるだろう。
そこで諦めずに、
「そうだ、じゃあ絵に描こう」と思い立つことが
私には出来る(頭良くね?)のだけど、
何度鉛筆を走らせても、絵心がなくてうまく描けなかった。
私はこの人を好きじゃないのではないかとすら思ったくらいだ。
だから、こういう時に、
自分の感動を完全に表現出来る人になりたいなあー
と思った。
別に絵じゃなくたって、
そもそも写真が上手に撮れればそれで良いし、
読み返す度に優しい気持ちになれるような文章が書ければそれでも良いし、
感動した勢いで一曲作れたりしてもいいかもしれない。
創造力を掻き立てるものは周りに溢れているのに、
それを的確に表現出来る才能がないというのは、なんと悲しいことか…!
私は自分に才能がないと決め付けて表現することをやめてしまったけど、
(もっとも、”やめる”なんて言うほど大それた試みはしてないけれども)
いつか完全なものがひとつでも作れればいいじゃないかと、
不完全なものを作り続けている人たちを見ると、
なんかもう自分ってどうしようもないなあと思う。
俺も創造力と想像力が足りないから 出来る限り抱きしめることにしてる
何かをぶつけたらそれでいいじゃない。 永遠の未完これ完成なりとは宮沢賢治の言葉だけども芸術なんていつまでたっても終わらない。 誰しも取り合えず(for the time being)を切り取るし...