はてなキーワード: エンパワーメントとは
別のタイトルを考えていたけど、文字数オーバーだったから釣りっぽくこっちに。
さて、つい今し方、「 議論するならTwitterより2ちゃんねるのほうが向いている - A Successful Failure」というエントリを見たのでその反論。
http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20100825/1282742633
まずこの方の意見をまとめると
つぶやきツールとして設計されたTwitterはそもそも議論に向いていない。議論は分散しがちで、2ちゃんねるに比べて知の集積の効率は悪い。
ということらしいけど、その結論に誤りがあるのはそれぞれのアーキテクチャに対する認識が甘すぎることによる。
上の人はスレッドが1000レスで打ち切られることを重く見ているようだけど、そのことは本質にはまったく関係がない。
一番重要なのはいうまでもなく、議論の性質である。
2ちゃんねるは完全に匿名であり、場合によってはIDすら表示されないことがある。当然それぞれの書き手のバックグラウンドは互いにはわからない。
J.スロウィッキーはかつて「集合知が発生するためには、意見の多様性、独立性、分散性、集約性の四つの要件が満たされる必要がある。」と書いた。
つまり、不特定多数が意見を言い合う場を有意義なものとするためには、これら四つが必要である。が、2ちゃんねるにおいてはそれらが充分に確保されていない。
一つずつ見ていこう。
2ちゃんねるは匿名であるがゆえに自由に意見を提示できると思われがちだが、実際には見えない大きな力に左右されていることが多い。
上の人の紹介する『アーキテクチャの生態学』にも書かれてあるとおり、2ちゃんねるは集団主義/安心社会型のソーシャルウェアである。それが個人主義/信頼社会型である欧米で2ちゃんねるのような匿名掲示板が流行しないゆえんであろう。
歴史的に見れば、2ちゃんねるは匿名であるがためにお互い空気を読みあって秩序を保っていく必要があった。そのために、AAやコピペ等の内輪の文化を醸成させ一体感を求め、部外者を排除してきた。
このような文化的背景と匿名という性質からは突出したオリジナリティーは出しにくく、自然とプレイヤーは均一化されるため、多様性が認められることは少ない。
これも2ちゃんねるの集団的性質に依拠する。2ちゃんねるは個をエンパワーメントさせるものではなく、むしろ発言者を反撃不可能な安全地帯の中に埋没させる。
そこでは見えない多数派の意見が支配的となり、少数派はその渦の中に巻き込まれ、自らも多数派の意見に同調するかもしくはその場を去ることを余儀なくされることになる。
例えば、「ニュース速報」板においては、斜に構えた反社会的な意見が多数派とされる。そこで社会経験の豊富な大人がまっとうな意見を書き込んだとしても、そんな豆粒のような匿名の書き込みは大きな流れの中ではまったく注意を喚起しない。
繰り返すが、匿名掲示板は個人が主張を行うためのものではない。
ネットの性質上、プレイヤーはそれぞれまったく異なる環境に身を置いているため、分散性は確保されていると言えるかも知れない。
ただ、それにより意見が対立した場合は、支持者とアンチというように単純に二極化され、無意味なレッテル張りと根拠のない中傷により議論はさながら罵倒合戦の様相を呈すことになる。
意見の集約に関してはいわゆる「コピペブログ」であるとかスレ冒頭のテンプレなどが存在しているが、それらの書き込みはいうまでもなくある個人によって我田引水な思考によって選抜されており、その者の主張を多数の意見の引用によって代弁させているにすぎない。
また、そういった悪意がなかったにせよ、少数派の意見が吟味されることは稀であり、多数派の意見を流れに沿ってまとめているだけに過ぎない。
このように、2ちゃんねるはそのアーキテクチャ上の制約により到底自由闊達な意見の場であるとは言えない。
このアーキテクチャにおいて、議論は不可能だ。そのために2ちゃんねるが時代遅れになっているのは否めないが、断続的に情報が提供されている事に関しては充分に利用価値がある。
実際にコピペブログを閲覧するにしても、ニュース系やアニメ・ゲーム感想系の「議論によって充分に洗練されていない素人的で極端」な“意見”は毛ほども参考にならないが、VIPや専門板の豆知識には膝を打つことも多い。
本来的には「つぶやきツールとして設計されたTwitter」は議論に向いていない。
けれど、日本で使用されているtwitterは本国のそれとは異なっている。
周知の通り、同じ140字の文字でも日本語では英語に対して2から3倍の内容を詰め込むことができる。アメリカではマイクロブログとしての利用が主だが、日本では一つ一つがブログエントリそのものである。
多くの人が一つないし二つのツイートでその主張を完結させている。
そしてそれに対してリプライすることで相互のコミュニケーションは可能となる。
ネットの利点と言えば不特定多数の人とコンタクトできることであるが、人間の脳リソースには限界があり、数百人に及ぶ意見を公平に処理することはできない。
ぶっちゃけて言えば、多くの人の意見は取るに足らない。集合知を発生させるために多くの意見を集約させ平均化させることができればそれが理想だが現実には不可能だ。有意義に議論するためには発信者側がその反論者を取捨選択しなければならない。
そのため、過去の発言をさかのぼって優秀な書き手を選び取れるブログやtwitterに勝るツールはない。
また、同様にハッシュタグを用いて広範な意見を取り入れる必要もない。有識者は同じく前提知識を持つものと生産的な議論を続ければいいし、それがtogetterという形で世に出ることで公共の財産となる。
私は私で、同じレベルの人と有意義に議論することに努めたい。頭のいい人の効率を下げたくないし、馬鹿に重箱の隅をつつかれて妨害されたくもない。
2ちゃんねるのアーキテクチャに支配されている限りは独自性のある意見をいうことはできないので議論には不向き。アトランダムで単体の情報の仕入れ先にすべし。