はてなキーワード: 高等部とは
派遣村の件を、中高一貫教育の「はてな学園」に置き換えてみる。
高等部で学力の低下が問題視されており、ある日赤点の生徒を退学処分にすることにした。
赤点生徒の中には、遊び呆けてて勉強しなかったDQN生徒も含まれてるし、
中途入学でこれから頑張ろうとしてた生徒もいるし病弱な生徒もいた。
でも思った以上に赤点生徒が出ちゃったため、理事長はびっくり。
以前から「赤点は退学にすることもあるよ」とは知られてたものの、
本当に退学になった生徒からは「学習の機会を!」と要求されている。
こんな事態に対してもともと優秀な生徒は「あらそう…大変だなぁ」と同情的(でも他人事)。
必死で勉強して赤点脱出してた生徒は、「おい復学アリかよ!」と大反発。
そして中等部の学生が、「退学イクナイ」「不良が放出されたら喧嘩始めるかも」と擁護しだす。
創価大学に入りたいと言ってる、
恋愛の相談をされたことがある。
その子はすでに恋人がいて
創価大学に入った後、寮などで、
先輩から今はそんな時期じゃないといって別れさせられるのを恐れていた。
そんな極端な例はなかなか無いと思うよー、と言っておいたけど、
創価大学の恋愛に関する考え方にはそういう雰囲気が確かにあったりする。
この考え方も創価学会の組織文化からきていることは間違いない。
創価大学の恋愛に対するスタンスは、大学時代に恋人をつくってはいけません!というものだ。
創価大学の一番コアな部分、特に女子寮ではこうした極端な考え方が流布されているということが知られている。
なぜこのような考え方なのかといえば、池田先生の指導では、
大学時代は自分を鍛える時代だから、恋愛にうつつを抜かしているようではろくな人間にならないからだそうだ。
それよりも今は真剣に勉強したり、組織活動を頑張って福運をたくさん積むことが人生の
幸福に繋がるという指導だったような気がする。
そして、特に女子部に対しては、結局悲しい思いをしなければならないのは女性の方だからという話だった。
だから恋人がいると、今はそんな時期なの?という指導が入るという流れになっている。
私の家庭は親類も含めて皆、学会員だった。祖父が初めに入会したので、学会3世ということになるらしい。組織では福子と言われるらしいが、大学に入るまでこの言葉は知らなかった。
幼稚園の頃は、家が拠点に使われていて、よく地域の学会員が会合で使っていた。いつもその人達の近くにいたので、勤行や唱題することが普通な感覚になっていたと思う。6歳くらいから、母親に言われるままに御本尊の前に座るようになった。で、普通に唱題を始めた。
小学校に入ると、少年部員会というところによく連れて行かれた。会合の中身より、終わった後のゲームやお菓子がおいしかったことをよく覚えている。男子部や女子部の兄さん姉さん達がとても優しかった。
この頃、少し悲しかった出来事。年に一回、実家の地域ではお神輿を担ぐ行事があり、小学生達はハッピを着てワッショイワッショイやってるのだが、私は参加させてもらえなかった。近所の人に母親が丁寧に断っていた。今はこういうのって地域との友好を深めるから大丈夫なんだろうか。自分の部屋の窓枠に腰掛けて、隙間から友達を眺めていた。
5年の頃から、少年少女合唱団という組織にも連れて行かれた。月に2回くらい会館に集まって練習し、発表会とかもあった。とりあえず、行くのがひたすらだるかった。2時間くらいほぼ休憩無しで、立ちっぱなしで歌うことに耐えられなかった。ずるずると6年まで続けてしまった。
中学生になり、体育会系の部活に入るとかなり忙しくなった。その分、会合に行く回数がかなり減った。だが私はなぜか勤行は欠かさなかった。きちんと朝に唱題をして、夜は三座をあげていた。今考えてもよく続いていたものだと思う。この頃になると、他の人と自分のやっていることの違いに気付きはじめて、頭に??がつく場面が増えてきていた。何で僕だけ?会合ってどういう意味があるの?池田先生って誰?・・・だがそれを言葉にすることもできないし、親も担当の男子部にも説明されないので、次第にわざわざ週末を半日潰してまで会合に出る必要はないと自分で考え始めた。
高校に入ると、いよいよ会合に行かなくなった。たぶん高校の3年間で1回か2回くらいしか会館に行ってなかったと思う。部活が忙しかったのもあるが、行く必要性を感じられなかったのが原因だ。担当者の人を玄関先で追い帰す日々だった。強引な担当者は、世間話の後にすぐ、「一緒に唱題あげよう!」とせまってきたのでムカっとしていた。缶コーヒーを買ってきてくれた優しげな担当者もいたなぁ。今となっては人として申し訳無い対応をしていたことを謝りたいです。そして、そんな未活動ぶりの私は、なぜか地域の部長にさせられた。よほど人がいなかったんだろうな。『希望祭』だったか、少し大きめな会合の司会が唯一やった仕事だった気がする。高等部になると、男子と女子は分かれて活動している。ただ、この希望祭のように大きな会合の場合、打ち合わせやら、司会やらで学会員の女の子と一緒に作業することになる。こういうのは初めてだったので、すごくドキドキしていた。司会の相方をやってた女の子も創価大学に来るって言ってたけど、結局来てるのかなぁ。。
高校までは、こんな感じで学会と関わってきてました。学会2世・3世の人って、こういう人多いんじゃないかと思う。何となく学会に入っていて、中学高校の時に、だんだん反発を始める感じ。7割くらいの人は、そのままほとんど活動しなくなったりしているみたい。まれに関西とか、活発な地域やバリバリの親のもとに生まれると、純粋なだけに超バリバリ活動家になってる高校生もいるけど。。