はてなキーワード: 王理恵とは
おお。すまん。
スルーしてたみたいだ。
おっさんは、
ところで、少年よ、
「使えない」という言葉を
現代人はよく使うけど、
なにも君のために生きているわけじゃないからな。
たとえ部下が「使えなかった」としても、
で、
アニメか。
甲乙つけがたいが、とりあえず、王理恵は無いと断言できる。
前口上はこれぐらいにして、本題だ。
あなたが何を期待してたのかわからないけど、
みたいなことを書いて、消しちゃった人かな?
あなたの文章は、省略部分が多すぎて、
おじさんにはついていけないよ。
監督の作風の話も、ようわからん。
アニメ版が「説明不足」で「独りよがり」と言われても、
わからん。お前の話は、ようわからん!
全体的な印象なら、
まあ、ここは感受性の問題だから、
若い君たちに任せる。
一応推測すると、
「アニメ版では登場人物たちの細かい心情描写がカットされていること」
について「説明不足」であり「独りよがり」と言っているのかな?
フィクションなんだし、リアリティを求める必要があるのかどうか。
「とらドラ!」の中で、どういう役割を果たしているかで、
いいんでないですか。
個人的には、
みのりんには爆笑レッドカーペットより、
細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出てもらったほうが、
うれしいな。
君が物語に何を求めているのかが、
おじさんにはわからない。
(1)「萌え」が対象の弱い部分をあげつらったり、弱者扱いして喜ぶ下衆な感情である事はもう常識かと思うが、
(2)そういう「萌え」を他者から浴びせられる人間(今回の場合作者)は、他者からのメタ視点にもかなり敏感になって不思議はないよ。
(1)については理解できる。
(2)は、
「萌えられるキャラクターを作成する作者は『このキャラは萌えキャラだからな』という読者のメタ視点に敏感になっている」
という意味でよいのか?
それを受けた(3)は
「作者は(1)の『萌え≒弱きもの』という構図を意識しているはずだ」
ということかな?
つまり、
「『このキャラは読者に萌えていただかないといけないので、弱きものとして描きますよー』と作者は考えているはずだ」
ということでよいのか。
登場人物たちの役割を考えるなら、
それを考慮しろよ、と
そういうことでよろしいかな。
そうであれば、君の指摘は、
おじさんにとって盲点だったといえる。
そこは考えていなかったよ。
ただ、それを考慮したところで、
登場人物たちが
「自分ひとりで解決して乗り越えちゃう」
という自分勝手さに変化はないだろう。
そもそもね、
おじさんはね、
「『自分ひとりで解決して乗り越える』ということを『成長』として表現している」
「自分ひとりで解決して乗り越える」
というのは、孤独の道を深めてしまう、と俺は思う。
もし、この「とらドラ!」の結末が、
大河と竜二の駆け落ちだったら、
おじさんは困っちゃうな。うーん。
しっかしさ、
現代社会だから、
「自分ひとりで解決して乗り越える」
って部分は、
それはそれと受け入れて
マッチョにいかないと、
サスペンダーのおじさんとか、
勝間勝代(注:このtypoはわざとDAZE☆ミ、勝ちすぎマッチョ!ってことな)とか、
相関45度の人とかに
馬鹿にされるっていう言い方もできるわな。
でもよー、
「自分一人で戦っていく君にはオラクル(カウンセリング機能)が必要だよ」
と俺は言いたいね。
それが、おじさんが、最初に書いたエントリーの主題だからね。