はてなキーワード: 「あいつら」とは
ちょっと違う気がするなあ。
そういった事象を棚に上げて日本人「だけ」が「謙虚」であり続ける事を強いられる事に対する鬱憤が、いわゆる「若者の右傾化」なんだろうね。
これには全く同意なんだけど、「あいつら」がそれを正当化しているかどうかはこの際関係ないんじゃない?
要は、「お前達は生まれながらに邪悪だ」と言われ続けてきたことに対する鬱憤と、若者特有のアイデンティティの危機が結びついてるだけなんじゃないかと。
団塊世代は右側から「社会の抑圧」を感じたから左側に噴出したのに対して、今の若者世代は左側からの抑圧を右側に噴出させてるだけだと思うよ。
俺自身十年ぐらい前まではそうだったから言うわけではないが、今の時代は「二十歳までに右に染まらない奴は情熱が足りない」という風に、一昔前と左右が入れ替わっているだけなんじゃないかなあ。
今の若者なんて祖父母の世代ですら戦時中には未成年のわけで、要するに周囲のどこを探しても戦争の加害体験を持った人がもはやいないわけで、むしろ周囲の人はみんな戦争を被害者として体験しているわけ。それなのにいきなり「日本は悪い国だ!だからお前達は軍隊を持つことは許されないのだ」とか言われたらどうよそれ。祖父母の借金を返せといわれればまだあきらめもつくかもしれないが、自分が生まれる前に死んでいた曾祖父母の借金を返せといわれても納得できないのと同じだよね。しかも、金銭ではなく道徳だからこそもっと始末が悪い。ビジネスライクに片付けようとしたら「誠意がない」と言われてまた責められるんだもの。無間地獄だよね。
今の中年以上のサヨはその辺の世代間の感覚の違いをわかってないから「若者の右傾化はけしからん!」と噴き上がってますます若者を右に追いやっているんだよね。モンゴル人が日本人に元寇を謝罪しなくていい程度というとさすがに言い過ぎかもわからんが、もうそろそろ第二次世界大戦は「過去の歴史」として客観視することを許されてもいいと思うんだよね。ネオナチがまだ生きているドイツならともかく、日本ではどんな馬鹿な右翼でも再度「大東亜共栄圏」を唱える奴はいないわけだからね(というか「東アジア共同体」はむしろ左側に歓迎される理念になっているぐらいだ)。
邪悪ならそいつが改心すればいいけど、邪悪でないなら改心しようがしまいが解決しない。
わたしはそうでないのに、あいつらはそうメッセージを投げかけてくるのだ、というなら「あいつら」にそうさせなければいいが、実際は自分の側もそう思うのだ(という話をしてる、元エントリは)というなら問題はメッセージどうこうではなく今ある「(産む側も無論含む)全体的な」状況そのものだということ。
これは会社員にとって、会社が労働力を提供して報酬を得るものである限り動かないので「育てたい・育てたくない」の問題でもない(だから金を出していないはずの同僚も「メッセージ」を出すだろう、と元エントリにある)。
昔みたいに、親と同居で親が孫の面倒みるとか、
もちろん。だから「昔みたいに」するという対処もやるべきだろう。
特に打ち合わせとかが予定されている場合とか、
リスケジュールは難しいし、他の出席者に嫌味いわれるし。
職種や打ち合わせの性質にもよる。その辺の打ち合わせが難しくない職種を選んだり、打ち合わせの難度を下げる努力は要るだろう。別に直接会わなきゃ打ち合わせは絶対不可能だ、とかでもあるまいし。
夢想的な、という意味? 労働力を重要視しない職場や会社なんて実に夢想的だ。
まあ似たようなことは思うよ。才能がないけど活躍できればいいのに、とか、貧しいけどなにもかも自由に買えればいいのに、とかね。
自分の小学校は一学年一クラスしかなかったから六年間ずっと同じ34人(途中転校生はいたけどね)だった。
中学は二手に分かれたけど規模自体は似たようなもの。ヘタしたら高校まで12年間同じクラスなんてヤツもいたかもしれない。
体育館もプールも図書室もなく、給食もないのでみんな弁当持参。弁当を用意できない生徒のために、クラスごとに日直がオーダーを取って近くのパン屋さんに仕出ししてもらっていた。
自分は母親が元から父親のために弁当を作っていたので毎日弁当持参していて、年に一度母が風邪を引いたりした時パンの注文をするとものすごく珍しがられた。
反対に、毎日パンを注文してる男の子がいた。そのTくんはパン屋さんが休みの金曜日になるとコンビニでおにぎりを買って食べていた。6年間ずっとその調子だった。
私はどちらかというといじめられっこの部類に入っていて、T君もクラスではマイノリティに属してた。
ある日クラス委員の男の子が私の弁当を取り上げて、Tくんの目の前に置いた。
「おまえいつも弁当食うの遅いし、残すんだからTにやってもいいよな」
Tくんは机の上の私の弁当を薙ぎ払うように叩き落した。もう20年近く前のことだが私は忘れない。
私の大好きなほうれん草の玉子焼きが足元に落ちてきたのも。
多分6年間のうちに一度か二度だけ、Tくんがお母さんに作ってもらった弁当を持ってきたことがある。
やっぱりクラス委員のやつが「お、Tめずらしく弁当持ってきてるじゃん。ハンバーグうまそう」と言って、メインのおかずだったハンバーグ(多分冷食だった気がする)を取り上げて一口で食べてしまった時の、Tくんの顔を私は忘れない。
Tくんは私をよくバカにしてからかって、隣の席になった時は私の机に机をごつんごつんとぶつけて「こっちくんなよ!」と言うことがあったけど、席順で回ってくる日直の日、夕焼けが見える教室で最後の片づけをしながら「いつもごめんな。でもこうしないとあいつらに仲良くしてもらえないんだ」とうつむきながらぽつりとこぼしたことを私は忘れない。
「あいつら」はクラス委員のグループだった。Tくんはその中の一人とよく昆虫や電車の話をしていた。
Tくんには年の離れた兄と姉がいて、授業参観は彼らが来てた。若いお父さんお母さんといわれてもおかしくないくらいの年かさだった。
几帳面というか神経質で、字のきれいな子だった。成績はクラス委員のヤツと多分同じくらいだったはずだ。
Tくんは遠くの中学校へ進学した。
同窓会にTくんは来ないだろう。
私は「行かない」と言った。クラスの女子はみんな優しかったけど、私はあの時も今も伝えたいことがうまく伝えられなくて空回りしてた。「変わった子」だった。学校が大きければ比率が同じでも「変わった子」は一人じゃないんだって気付いたのは高校に入ってからのことだ。
「あいつらに会いたくない」と遠回しに言ったら「でも今会ったらきっと違うよ」と明るい声で返ってきた。
違うんだ。あいつらにはいつまでも、あの愚かな、私の弁当を取り上げ、Tくんを追い詰めたヤツらでいてほしいんだ。そうじゃなきゃ私はあいつらを許さなくちゃいけなくなる。自分のやったことなんてきっと忘れてるだろうけれど、でもあいつらが「いい人」になってしまったら私はどうすればいいんだ。
万が一しでかしたことの一つくらいは覚えてて、「ごめんな」なんて言われたら、謝ってこられたら私は許さなくちゃいけなくなるじゃないか。怒りに任せてぶん殴ったら、気を済まさなくちゃいけないじゃないか。私は気を済ませたくなんかないんだよ。
吉田秋生の「櫻の園」に出てきた部長の言葉に私は心から共感する。
だから私は同窓会には行かない。