人を罰するのが好きな人って、自分の自由意志、即ち自我の存在の否定を避けることに必死なんだろうな…。
自由に生きることができず、自我を抑えて生きている人ほど、罪を犯す選択肢を選ばなかった自由の存在を通じてしか自我を確認できないという。
人の為と書いて「偽」と書く。
厳罰化ポピュリズムは、誰かのワガママを果たすことが美徳となっている偽りに満ちた世の中が生み出したモノかもしれない…。
Permalink | 記事への反応(0) | 09:36
ツイートシェア