善照寺を観てからしばらく考えていた。
善照寺は徹頭徹尾白井晟一の作品だった。たしかに寺の様式を守ってはいるがそれだけに収まるものではなかった。そこにあったのは思索と思惟の時空であるように感じられた。これは白井の建築すべてに通底するもので、その意味ではここで驚く必要はない。ところで白井晟一が善照寺としてつくったものはいったい何だったのか、という問いが湧いていた。
結論をいえば白井晟一は寺の格好をした住宅を造ったのではなかったか。
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