これ、「事実がはっきりしない事」に対して「外野が騒いだ」から「真実が見えてきた(?)」ので「外野が騒いだおかげだ」というロジックになっている。
これは結果論でそうなった(そうなりつつある)だけで、
「事実がはっきりしない事」に対して「外野が騒いだ」事とは無関係に「真実が見えてきたが事実は逆だった」「外野が騒いだことは間違いだった」という分岐も当然ある。
魔女裁判で言うと魔女裁判にかけたらたまたま本当に魔女だったので「ほらみろ騒いだ俺たちが正しかった様子見をしてた奴は今どんな気持ち?」といってるのと同じなのである。
(そうでなかったケースの事は全く考えてない)