荻野幸太郎さんが言っているのは「物理的に全く同じ表現でも、それを正当化できるかどうかは、メタ的な文脈の構成、企画・制作側の理屈にかかっている」という話であって、「正当化可能な文脈、理屈が伝わるような表現を採用すべき」という話では無いのだが、それを理解していない人が批判側にも擁護側にも多いのが残念。
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